第333回/何て尖った特集号だ![炭山アキラ]
現在発売中の音楽之友社「月刊ステレオ」2022年8月号は、メイン特集が「バックロードホーン・スピーカーの世界」という、何ともコーナーを攻めまくった誌面が素晴らしい。バックロードホーン(BH)は私自身、われこそが伝道者と自認しているだけに例月にない量の企画へ絡ませてもらい、うれしかった。
まず、私が執筆したページではないが、モノクロページの巻頭企画「バックロード派VSアンチ派・ホーム&アウェイ対談」というページは、BH派の私とアンチBH派のトップウイング菅沼洋介さんのリスニングルームをお互いが訪問し、高音質ソフトを再生しつつ「BH是か非か!」で激論を交わすというもので、2人の間には生形三郎さんがレフェリーとして入り、執筆も生形さんが担当してくれたページである。
菅沼さんはTAD-CE1(¥800,000×2 生産完了)という日本が誇る高級ブックシェルフ型スピーカーをお使いで、たとえ方式論争であったとしても、ベニヤ剥き出しのわが「ハシビロコウ」が同じ土俵で対決するのはいささかTADに申し訳なかったのだが、純粋の対決企画としては相手にとって不足なし、といったところだ。
何といってもTADはとてつもないコストをかけたマグネシウム&ベリリウム振動板の同軸2ウェイ+ウーファーという3ウェイに対して、こちらはピュアパルプのフルレンジ+アルミ振動板のホーン型トゥイーターという構成だ。振動板素材で見劣りするのは否めないが、いやなに、パルプだってアルミだって他の素材では出せない利点があるから私は使い続けているのだ。
「ハシビロコウ」にマウントしているFE208-Solの振動板素材はESコーンといって、バナナの幹から産生される繊維である。20世紀の初代FEは木材パルプ製で、あれは中高域に何となくガサッとした歪み感というか耳障りなところがあったが、バナナパルプになってからその歪感は追放された。バナナパルプの粘り気がある繊維のせいだと当初説明されていたが、その後レギュラーのFEは振動板素材がケナフパルプに変更され、それでもガサつきは耳に届かないから、おそらくさまざまな技術を複合して質感を向上させているのであろう。
また、パルプはゆっくり時間をかけて素材をほぐすと長い繊維となり、力をかけて短時間でほぐすと短繊維となる。一般に、長繊維で振動板を漉くと強度に優れ、短繊維では音のスピード感や高域方向への伸びが優れる。FE208-Solの振動板はその特性を生かし、第1層に長繊維、第2層に短繊維を配した2層抄紙技術が用いられている。そのせいもあってか、208-Solは20cmフルレンジとしては例外的なくらい、トゥイーターなしの1発で十分音楽が聴けるくらいに高域が伸張している。最初聴いた時、何かが間違っているのではないかと思ったほどである。
ちなみにこの2層抄紙技術は、フォステクスのユニットとしてはそう珍しいものでもなく、FF-WKシリーズやFE-NSシリーズなどに採用されている。よくこんなコストをかけたもの作りが許されるものだが、そこは世界最大のスピーカーユニット・メーカーたるフォスター電機の強みだ。ご存じの人も多いと思うが念のため。フォステクスはフォスター電機の社内カンパニーである。
Solについて解説し始めるとそれだけでコラム1回分が飛んでしまうから、先を急ごう。私と菅沼さんは音楽のセレクションが一部重なっており、とりわけ"長岡ソフト"がお好きだというので、リファレンス・ソフトの何枚かがそういうものになった。
誌面でも語られているが、菅沼さんは「高音質ソフトこそ最新テクノロジーの詰まったスピーカーで聴くべし」という考えをお持ちで、それは私も一部賛成だ。特にTAD-CE1の中~高域の高解像度と切れ味はさすが世界級というべきもので、「古代ギリシャの音楽」冒頭の巨大パーカッション・ケースをひっくり返したようなサウンドを何とも豪華絢爛に表現して見せる。うん、これは「敵ながら天晴れ」というほかない。
その一方、オーディオラボ・レコードの「ザ・ダイアログ」などはどうやってもドラムのスピード感が足りず、吹っ飛んでくるような音にならない。CE1はそもそもブックシェルフ型で内容積が小さいところへ持ってきて、もちろんネットワーク素子が入っているから、そんなもの限界がかなり早い段階で訪れるのはもう物理現象としかいいようがない。
菅沼邸の音を堪能させてもらった後は、近隣のイタリア料理屋で昼飯を食い(庶民的な構えと価格の店だが、旨かった)、わが家へ向かう。菅沼邸と拙宅は高速を使えば30分もかからない。車社会の茨城県民としては「ご近所さん」くらいの距離である。
ハイエンドの域へ差しかかろうかという高級スピーカーからBHへリファレンスが変更されたのだから、もちろん音の違いはとてつもなく大きかった。菅沼さんのリクエストもあったものだから、まず最初に陸上自衛隊富士総合火力演習の戦車砲から聴いてもらう。いうまでもなく、TADの最も苦手とする音源だ。
能率100dBを優に超える「ハシビロコウ」でもプリのボリュームを12時まで上げ、パワーアンプから200Wほども食わせてやらないと、この大砲は臨場感のある音にならない。しかし、ひとたびその条件を満たしてやった時のサウンドは、某誌の編集に「寿命が縮みましたよ!」と絶叫させた、迫真の爆発力を聴かせる。菅沼さんとレフェリーの生形さんにも堪能していただけたようである。
一息ついて、普通の音楽をかけ始める。菅沼さんは「やっぱり全体に音が荒いですね」とツッコミが入り、特に中低域に余分な音がつくというのはお2人から共通した指摘だった。私にいわせれば、そんなものガマンしなさいといった程度の瑕疵なのだが、気になる人には耳について仕方ないらしい。
「ハシビロコウ」のどこをどうすればその難点を克服することができるか、私も概ねは知っている。しかし、それをやると必ず楽音にもダメージが生じ、せっかく最強ユニットを存分に鳴らした切れっきれのサウンドが幾分なりとも失われてしまう。世の中すべてバーターで、特にオーディオの音作りなど、もちろん一人ひとりに委ねられている。私はそれをスピードとパワーへ全振りしている、というだけの話だ。
少し別企画の話を混線させてしまうが、作家の榎本憲男氏が執筆された「スーパースワン調整法」は、一部のスワン・ユーザーにとって福音となるかもしれない。しかし、それはあくまで世界有数に尖ったサウンドを聴かせる「スーパースワン」の角を矯め、聴きやすくするという方法論であることに注意したい。榎本氏はロックがお好きで、そのためにはこの手法がマッチしたのであろう。長岡優秀外盤やわが「変態ソフト」などを聴くのであれば、それはソフトに収められている強烈なピークを丸め、持ち味を損なうことにもなりかねない。「あんな対策は良くない」と申し上げるのではなく、諸刃の剣であることをご承知いただきたいということだ。あくまで向き、不向きの問題である。
わが家での"対決"を終え、今度は近隣のジャズ喫茶「三州亭」(ミスティと読む)でコーヒー・タイムと洒落込んだ。こちらのマスターは何とあの取手一高を甲子園へ連れて行った元の監督さんで、同時にスピーカー自作派、長岡派でもあるという稀有な人だ。おかげで長岡氏の傑作D-70やD-58ESといったそうそうたるBHでジャズを聴くという、何とも贅沢な時間を味わうことができるお店である。
同店のD-58ESには究極の20cmフルレンジFE208ES-Rがマウントされていた。巨大なアルニコを外磁型で用いた猛烈なユニットである。誌面でも生形さんが触れられているが、ジワジワとBHの毒が回ったのか、菅沼さんは「これなら欲しいです」とおっしゃるではないか。FE208ES-Rは極めて入手困難だが、そう遠からず最新の限定20cmが出ることは間違いないから、それに合わせて今度は私と菅沼さんがタッグを組み、D-58ES製作ということになるかもしれない。その節はこちらでもお伝えすることになろう。
やれやれ、まだ山ほど書きたいことがあるのに、冒頭企画だけでこんな文字数になってしまったぞ。まぁいつものこととはいえ、こういう文字数制限なしのコラムは楽しくてつい書きすぎてしまう。
菅沼さんとの対談企画のすぐ後に、「スワンとは何か」という哲学的なタイトルのページがくる。ここで私は「スワンの歴史を書いて下さい」と編集子から依頼をもらった。結構文字数が豊かだったので、ここを先途と長岡氏がスワンへ至るまでの「長岡BH史」、スワンの着想とその発展、「スーパースワン」と「モア」の衝撃などについて書きまくった。ほとんど資料なしに書いたものだから年代の考証等にいくらかの齟齬はあるかもしれないが、ある程度の史料価値はあるページになったと思う。
そのページでは、元大工という異色の経歴を持つ編集の守屋君が「スーパースワン」を製作し、記事にまとめている。その彼にして製作に難儀した部分があったそうで、実は私も試作第1号を手がけた際に同じ個所で難航した。師匠の偉大な作品に私ごときが手を入れるのは申し訳ないが、板厚による寸法誤差を気にせず製作できるよう、ごくほんの僅かな改訂を入れた「スーパースワンa」を公開したら、ファンの皆さんに喜ばれるだろうか、はたまた叱られるだろうか、などと思案しているところだ。
54ページからの「国産バックロードホーンの歴史」は、ステレオ時代誌の澤村信編集長が執筆されている。コーラルの歴史は実に読み応えのある内容だったが、BHそのものについてはいささかの異論なしとはしない。同社のBHスピーカーシステムBL-25と同20には、同社の高級フルレンジBETAシリーズがマウントされていた。BETAは振動板が軽く大きなマグネットを背負ったユニットではあったが、Q0の値が0.5であるところから見ても、最初からBH用に作ったユニットとはいい難い。どちらかというと密閉やバスレフへ向くユニットである。
あくまで私見ではあるが、BETAにこのキャビネットは、少しばかり大きすぎたのではないかと思う。バックキャビはそのままで、あと二回りほど小さなホーンにしていたら、よりバランスしていたのではないかと思うのだ。
と思ったら、雑誌に掲載されているのは2世代目のBL-25D並びに同20Dではないか? 個人的には、初代モデルの方がまだしもユニットにそぐわしかったのではないかと推測するところだ。
それは、次に紹介されているビクターFB-5でさらに顕著となる。ホーレイのウーファーにあんな巨大なBHを組み合わせれば、さぞかし低域はボーボーと膨らみ、量感ばかりで正体不明の低音になっていたのではないかと推測せざるを得ない。もし私がウーファーでBHを作るなら、バックキャビの内容積はそのままに、1/5以下のホーンとすることであろう。格好は良いが、ユニットとキャビのバランスが悪すぎるといわざるを得ない製品だった。
記事には紹介されていないが、ほぼ同時期にはさらにいくつかの国産BHが登場している。デンオン(現デノン)のS-300と同500は、フォステクスのフルレンジFP163と同203(いずれも旧型)をマウントしたもので、作りはしっかりしていたがサランネット付きで音がもう一つ飛んでこない製品だったと故・長岡鉄男氏が書き残されている。ネットは外せたのかもしれないが、内部は表面仕上げされておらず、ネット付きで聴くことを前提とした製品であった。
また同時代には、キット製品ではあるが三菱ダイヤトーンのKB-610HというBHがあり、名作16cmフルレンジのP-610AJを2発にコーン型トゥイーターTW-503をマウントしていた。はっきり申し上げて、このBHがまともに鳴ったとはとても考えられない。そもそもP-610というユニットは平面バッフルや巨大キャビネットの密閉/バスレフ型へ向くユニットで、BHには最も向かないユニットの一つといってよい。なぜダイヤトーンともあろう会社が、ここまで相性の悪いユニットと箱を組み合わせようと思ったのか、理解に苦しむレベルである。
長岡氏は1970年代に突如として勃興した日本オーディオメーカーによるBHブームについて、以下のような内容を書き残されている。
なぜメーカーがBHに注目したのか分からないが、メーカーのエンジニアにはBHのノウハウが圧倒的に不足しており、BH向きのユニットを開発することもしていないし、ユニットに応じたキャビの設計もできていなかった。あっという間にブームは終焉したが、それも当然のことであろう。
以上、手元に資料がないので内容は大意だが、遺された製品群の資料を読むだけでも、そりゃそうだったろうなぁとしか私も言葉が出てこない。コーラルとデンオンが辛うじてBH的な音だった可能性はあるが、残りは推して知るべし。今もお使いの人がおられたら申し訳ないが、少なくともそのスピーカーで長岡ソフトを聴いても、それがそのソフトの音だとはお思いにならない方がよいだろう。
ならばなぜ、フォステクスと長岡氏は今へ続くBHの系譜を打ち立てることができたのか。一度フォステクスのエンジニア氏に、FEがなぜあれほどBH向けの特性をそもそも有していたのかを問うてみたことがあるのだが、当時のエンジニアはとうに引退しており、あの特性で設計された理由は分からず仕舞いだった。そこで私が少しばかり想像の翼を羽ばたかせてみようと思う。
FEのシリーズ1号機は10cm口径のFE103だが、このユニットはもともとある大手オーディオメーカーが新製品のテープレコーダー(時代からしておそらくオープンリール)へ内蔵するスピーカーとして、フォスター電機へ発注されたものだ。それもかなりの高級品だったそうで、担当エンジニアは腕によりをかけてより良いユニットの開発に取り組んだ。しかし、開発に予想外の時間がかかってしまい、しびれを切らした発注元は出来合いのユニットをマウントして製品を発売してしまったとか。
納入先がなくなって途方に暮れたフォスターは、せめて初期生産分だけでも売ってしまおうと型番もつけずに茶色の段ボール箱へユニットを収め、秋葉原のショップへ卸したらあっという間に完売し、リピート希望が殺到したものだから、ここでようやくFE103という型番を与え、単売ユニットとして本格デビューを遂げた。他の口径はここから改めて開発されたものである。
この経緯から分かるのは、FE103はテープレコーダーのキャビネット内、つまり非常に限られた内容積へ収めることを前提としたユニットだ、ということである。当時(1964年頃)既にアコースティック・サスペンション技術は開発されており、重い振動板のユニットを使って低域を欲張ることもできたが、当時のエンジニア氏は低域を思い切って諦め、中低域から上の帯域をハッとするほど生々しく再生するユニットを目指されたのではないか。FE103の推奨キャビネットは6リットルのバスレフ型だが、1~2リットルの密閉に入れて吸音材を詰めれば、低音こそ出ないがかなり生々しい声が再現できるスピーカー部が出来上がったことであろう。
そして、そのために設定された軽い振動板と強力な磁気回路、低いQ0値などが、意図せずしてBHとぴったりマッチしたのではないか。当初から単売用に設計されていたら果たしてこんな尖った特性を持たせることがあったろうか、と思うとFEはまさに奇跡のユニットといわざるを得ない。
また、もし件のメーカーが辛抱強くユニットの完成を待って製品に採用されていたら、20cmが設計されていなかったら、長岡氏が秋葉原の店頭で見切り販売されていたFE203を見過ごされていたら、いずれも今日に至るBHの隆盛はなかったろうし、フォステクスだって創業されていなかったかもしれない。そう考えると、現在に至る日本BHの歴史はまさにカミソリの上を歩いてきたような偶然の連続で、これぞまさしく天の配剤としかいいようがない。
またしても、大幅に話が反れた。澤村信氏は「BHは低音が遅れる」と何度も書かれているが、低音が遅れているのはBHだけではないということをここで強調しておきたい。少なくとも長岡式のBHは、振動板が軽く強力な磁気回路を持ったフルレンジが採用されている。一般的なマルチウェイの低音を受け持つウーファーは、遥かに振動板が重く磁気回路も弱い。振動板の動き出しが強力型フルレンジよりも遅れるのは、単なる物理現象である。現に30年ほど前、3ウェイの動的なタイムアラインメントを取る実験をしたら、スコーカー/トゥイーターよりウーファーを1m以上前へ出さないと整合しなかった、という報告もあるくらいだ。BHの低音は1.5~3m遅れといったところなので、まぁ大差ないともいえよう。
それから、澤村氏は「バックロードホーンは振動板の後ろ、つまり逆相の音を共鳴させ」と書かれているが、これは明らかなカン違いだ。ユニット逆相の音を共鳴させているのはバスレフで、BHはホーンの効果で裏側の音を増幅しているのである。共鳴とは全く原理が違うということを、皆さんにはご理解いただきたい。
ちなみに密閉型なら共鳴していないかというとそうでもなく、再生周波数特性の低域限界までほぼフラットに再現できているのは、ユニットの最低共振とキャビネットの空気容量による共鳴現象を利用しているからだ。一方、BH向けの強力型フルレンジは最低共振が極めて小さく、普通の箱では全く低音が出ないものだから後方の音をホーンで増幅して低音を稼がざるを得ない、というのが因果関係だ。即ち、世のスピーカーで最も共鳴を利用していないものこそBHなのである。
今号のBH特集は他にもワイエスクラフト佐藤勇治氏による力作・怪作「スフィンクス」の続編や新作「グリフォン」の製作記事も掲載されているし、当コラムの第260回に登場されている斉藤りか氏による吉本キャビネットのBHキット製作記も面白い。巻頭カラーで紹介されている読者による工作も、オーソドキシーあり奇想天外ありで大いに楽しい。BHからは離れるが、前回のコラムでフライング紹介したイタリアM2TECHの3ウェイ・チャンデバMITCHELLを多元的に紹介した記事は、もちろん私が取材・執筆を担当している。
というような次第で、月刊ステレオ2022年8月号は何とも盛り沢山の企画内容だから、1冊お買い上げになれば何カ月も楽しめること請け合いである。まだ間に合うと思うので、ぜひお近くの書店でお手に取ってみてほしい。
(2022年8月10日更新) 第332回に戻る
※鈴木裕氏は療養中のため、しばらく休載となります。(2022年5月27日)
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昭和39年、兵庫県神戸市生まれ。高校の頃からオーディオにハマり、とりわけ長岡鉄男氏のスピーカー工作と江川三郎氏のアナログ対策に深く傾倒する。そんな秋葉原をうろつくオーディオオタクがオーディオ雑誌へバイトとして潜り込み、いつの間にか編集者として長岡氏を担当、氏の没後「書いてくれる人がいなくなったから」あわててライターとなり、現在へ至る。小学校の頃からヘタクソながらいまだ続けているユーフォニアム吹きでもある。