【アーカイヴ】第147回/『アビイ・ロード』の初期プレスでヤキモキした2月 [田中伊佐資]
●2月×日/ビートルズの『アビイ・ロード』は自分のなかでは別格的存在だ。いつ聴いても長編小説を読み終えたような充足感をもたらす。生涯聴いてきた全レコードのなかで熱愛度はまぎれもなく3本指に入っているだろう。ほかの2本指にランクインする盤はその時々の気分で変わる。しかし『アビイ・ロード』だけはずっとレギュラーを守っている気がする。
そういうことなので、程度がいい英国オリジナル盤(マトリクスがA面2、B面1)を見つけるとつい買ってしまう。特になるべく初期にプレスした盤が欲しいと思う。例外はあるが、だいたいにおいてレコードは作った時期が早いほど音の鮮度が高い。
『アビイ・ロード』場合、B面のラベルに最後の曲「Her Majesty」の記載がないとか、裏ジャケのリンゴマークが左にずれている(通称レフトアップル)とかが初期盤だという説がある。そういうものは中古相場がアップしているようだ。
僕はそういった印刷上の外装部分はさして重要視していない。大事なのは、デッドワックス(最内周の無音部分)に、製造過程で刻印されている文字記号だ。ジャケットは入れ替わる可能性があるけれど、これはもう動かぬ証拠となる。
レコードはスタンパーと呼ばれる凸型ハンコでガチャンガチャンとプレスされる。ハンコなので使っているうちに劣化する。デッドワックスを見ると何個目に作られたハンコかわかる。そのハンコを作るための親という意味でマザーと呼ばれるハンコがあり、それも何代目なのか知ることができる。そんな番号や記号の意味を知らなければ、平穏に音楽を楽しんでいられるとは思うのだが、もはや知ってしまったから仕方がない。
『アビイ・ロード』大好きとさきほど書いたが、その思いの8割はB面で占められている。あのB面メドレーは格別だ。だから正確にいえば、A面はなんでもいいけど、B面だけは若い番号が欲しい。そうずっと思ってきた。
あるときeBayを見ていたら見つけてしまった。B面がマザー1、スタンパーRの英国盤である。スタンパーは数字を記号化して表記していてRは2番を意味している。たとえばマザー8のスタンパー700番台とか800番台が普通にごろごろあり(すべて英国オリジナル盤として売られている)、これはもう奇蹟的な出会いとしかいいようがない。これがどんだけすごいかというと、気持ち的には、ポールの4月ドーム公演が抽選入場だったとして、00002番を引くくらい。かな。
よし入札だと思って写真をよ~く見たら、ラベル上部に「Made in France by Pathe Marconi」という文字が印刷されていた。なんと写真ではフランス盤だった。説明文か写真かどちらかが間違っている。
そして非常にまずいことに、「いますぐ落札」をできるようになっていた。世界は広い。そんな細かいことをろくすっぽ見ない、がさつな輩がポンと落札してしまうことだってあり得る。写真が間違っていただけの単純な話だったら、スタンパー2番はそいつのところへ行ってしまうのだ。
これを逃したら、おそらく一生拝むことができないブツだ。画面を見ながら「誰も入れんじゃねえ」とうめきつつ、もう平静ではいられない。
ここで勝負に出て落札するとする。もしフランス盤が送られてきたとしても「おーい、説明と違うぞ」と返品することはできるだろう。しかしやりとりを含めて返送などすべてが手間だ。それでまあ無難に、稚拙な英語能力を駆使して「UK盤、フランス盤どっちなの?」と質問を送ってみた。
ところがこの出品者、なんだか知らないが数日経ってもなんも返事をよこさない。その間ずっと「いますぐ落札」状態だからこっちはもう気が気でない。
これはきっと英語が通じていないんだと判断し(わずか2行くらいなんですけどね)、2月の「音ミゾ」にゲストで出てもらったトーマス・フォーティアさんに事情を伝えたところ「OK、僕からも(ちゃんとした英語で)質問を送ってみるよ」となった。その直後のことだ。突然そのオークションは終了した。
「うはー、やられた。遂に売れちまったか」とがっくり来て、その売り手の出品物を見ていったら、『アビイ・ロード』のマザー1、スタンパーRが出ていた。写真は正しい英国盤。訂正して再出品したのである。なんか一言返事くらいしろよと思いつつもすぐに落札した。価格は80ポンドだ。
2週間くらいしてその『アビイ・ロード』は送られてきた。盤はなかなか重く、量ったら154gだった。
B面は間違いなく1-Rだ。ところがA面はマザー5番のスタンパー130番。遙かに後ろなのである。いったいどういう製造工程でこの両面がカプリングされたのかと理解に苦しむ。ちなみにジャケットはレフトアップルではない。やはり外装は関係ないのだと思う。
ここから比較試聴。持っているマザー1スタンパー208番(148g)、マザー1スタンパー99番(132g)、最後にスタンパー2番を聴く。
ウーン、この差はかなり微妙だった。208番はやや音のエッジが丸い感じで最下位になるが、99番と2番の優劣はほぼない。雰囲気にちょっとした違いがある程度。重量でわかるようにプレス工場が違うから、その差が出たくらいのレベルなのだ。過剰に期待していたせいもあるが「バンザーイ」ではなかった。しかも新着盤は、終始一貫して細かいチリチリ・ノイズが出る。個体まで考慮すると、99番の最軽量盤が僅差で王座を守った。
さてこれからの『アビイ・ロード』ライフだが、まずはどうにかしてスタンパー2番のチリノイズを取りたい。頻繁に聴いてレコードのエージングをすることも大切だろう。そしてゆくゆくはなんとかしてマザー1、スタンパー1番を手に入れたい。ただその運はもう完全に使いきってしまった気がする。
(2017年3月10日更新) 第146回に戻る 第148回に進む
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東京都生まれ。音楽雑誌編集者を経てフリーライターに。現在「ステレオ」「オーディオアクセサリー」「analog」「ジャズ批評」などに連載を執筆中。著作に『音の見える部屋 オーディオと在る人』(音楽之友社)、『僕が選んだ「いい音ジャズ」201枚』(DU BOOKS)、『オーディオ風土記』(同)、『オーディオそしてレコード ずるずるベッタリ、その物欲記』(音楽之友社)、監修作に『新宿ピットインの50年』(河出書房新社)などがある。
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