【アーカイヴ】第232回/リードワイヤー専門工房 KS-Remastaでド変態な話を聞いた8月[田中伊佐資]
●8月×日/カートリッジのリードワイヤー専門工房 KS-Remastaへ行く。良質なヴィンテージ導線が手に入り、代表の柄沢伸吾さんにそれを素材にしてリードワイヤーを作ってもらいたくてお邪魔した。そういう材料の持ち込みはやっていないようだが、知り合いのよしみで快く引き受けてくれた。
柄沢さんのマッド過ぎて笑うしかない職人芸は、ここ5、6年で急激にエスカレートし、その甲斐あって遂にフラッグシップ・モデルが完成したらしい。
ところで、リードワイヤーは導線やハンダなどの素材で大部分の音が決まると僕は単純に思っていた。
しかし柄沢さんは新品、ヴィンテージを問わずおびただしい種類の素材を片っ端から試していく時代はとうに終わっていて、もっと別の次元で仕事をしている。
ある時、導線の端子を付ける部分の被覆を剥ぐ「方法」が音質を決める大きなキーになることに気づいてしまったそうだ。そこからエキセントリックな道を歩むことになる。
なんとはなしに柄沢さんの独演会が始まった。
被覆を剥ぐのは、普通の精密ナイフ(デザインナイフ)を使ってなんの疑問もなく10年間ほどやっていました。仕事としてただ丁寧にやっていただけです。エナメル線の皮膜はきれいに剥がさないとハンダのノリが悪くなり、その結果、端子が取れたりしたらまずいですからね。音のことなんか気にしていませんでしたよ。
1930年代の赤エナメルのワイヤーに出会って(商品名はLegend)、これは0.1mm径の細い導体なのでもっといい刃物が欲しくなったんです。軽いタッチでエナメルが剥がせたらいい。そこで医療用メスを見つけて、試してみたんです。そしたらお得意さんから、なにを変えたんですかと問い合わせが来た。精密ナイフからメスに変えただけなんですけどね。目に見えないレベルで、エナメル被覆の剥がし残しがあったのかもと疑いましたよ。
安い線材でもそのメスを使うと確かに音がラウドになるんです。きれいに剥がせば音が変わることをぼんやりと知りました。
その頃から工房の最高峰を作りたくて製品のモニターになってもらっているお客さんから意見を聞いていました。
自分は透明感の際立つ音が好きなんですが「それではリアリティがない」と指摘されて、自分の好みを捨てて1年間、ハンダと松ヤニの研究を続けました。いくつかの材料をブレンドしていき、これで間違いないところまで追い込んで、そのお客さんも完璧だとまで言ってくれました。
ところが最後に気になる一言があったんです。
「これは劇的にいいけど、敢えてひとつ言わせてもらうと製造ロットによって、ハッとするくらい良いときと、悪くはないけどそこまでいかないものがある」
これはバラツキではなく、微妙な個体差があるという意味です。多分そんなことはオーディオに限らず工業製品では珍しくないことだろうけど、僕は完璧なフラッグシップを作りたかったので、聞き過ごすわけにはいきませんでした。
どこかに落ち度はないのかなと探しました。そこで先ほどの話に戻るんです。被覆を剥がす刃がにぶくなると確かに気持ちよく仕事ができなくなる。
そこで新品の刃に替えてみたら音がよくなった。これにはまいりましたね。だって作るたびに刃を替えなければならないでしょう。ならば自分で研ぐしかない。2012年くらいから研ぎの研究も始めました。
包丁もさんざん研いでみましたよ。当たり前かもしれませんが、1000円よりも5000円の包丁のほうが切れはよくなります。でも昔、もっとすごい切れ味の包丁があった気がして、それがどうしても思い出せなくて悶々としていたことがありました。
ある日、近所に住む方の包丁を研がせてもらったことがあったんですね。野菜を切ってみるとまな板にグギッと食い込む感じがした。ああこれだとぴんと来ました。鋼(はがね)の差だったんです。
ネットを見ていたら「錆びない包丁は切れません」というキャッチにぶち当たりました。そう言えば、いままで研いでいたのはみんな錆びないタイプでした。昔の包丁はよく錆びましたよね。
それで手元にあった百均の彫刻刀を研いでみたんです。もちろんすぐに錆びるような安物ですよ。そしたら切れ味がぶっちぎりですごかった。これまでと隔絶の差がありました。だけどいくらなんでも百均の彫刻刀が一番いい刃物のはずがないでしょう。もっといいものが欲しくて鋼の探求が始まりました。先行きは長いなと自覚しましたよ。
そこでまた調べていくと、白紙鋼、なかでも白紙一号が日本刀に最も近い材質だと知りました。ただ鍛冶職人によって作られた新品の包丁はむちゃ高いです。
なのでヤフオクで白紙一号を探していると、骨董品のメスが落札できました。これ以上いいものがないと喜んでいたのですが、使い勝手は彫刻刀のほうがよかったんですよ。最終的には高級彫刻刀がベストという結果になりました。
といっても高級彫刻刀でも、メーカーによって微妙に違うんですね。よく切れるかどうかじゃないんです。エナメルの被覆を剥ぐと音がいい彫刻刀ですよ。そんなの店員に聞いても誰に訊いてもわかるわけない。試すしかないですよね。それでようやく5種類目くらいでしっくり来るものに出会いました。やはりこれも錆びます。錆びると錆びないものでは、その差は激しいですね。もちろん研げることが条件ですけど。
リードワイヤー1セット(4本)を作ったとします。2セット目にその刃が切れなくなって音が悪くなったら、同じフラッグシップとはいえません。
残念ながら、聴き比べると2セット目はSNが悪いんですね。こうなったら仕方ないです。1つの彫刻刀で1セットを作ったら、そのまま続けて2セット目を作ることはやめました。
でも考えてみてください。リードワイヤーは4本で、その両端8か所を磨きますよね。2セット目から急に刃が悪くなるわけがない。1セット目の途中から少しずつ悪くなっていくはずなんです。
だから彫刻刀1本でリード線1か所の作業に限定しました。そしてそれが終わったから必ず研ぎます。
研ぎは大きく分けると、きめの粗い砥石を使う「粗砥」、その次の「中砥」、最終の「仕上げ砥」と3つのプロセスがあります。高級彫刻刀は新品でもすごくよく切れます。でもそのままでは不十分です。さらに仕上げるようにして刃を研ぎます。新品の刃をわざと粗い砥石で研いで、そこから仕上げていくと結果がいいですね。
自分が使っているのはセラミックの砥石です。砥石は粗さが10段階あって、5段階の砥石で研いでいました。ところが行程をどんどん増やしていくと音も良くなってしまうんです。結局、粗砥3段階、中砥3段階、仕上げ砥4段階の10段を使うようになってしまいました。
これで終わればいいのですが、砥石10段階のそれぞれ中間を埋めるコンパウンドというものがあるんですね。フラッグシップのモデルはコンパウンドを最高46種類の配合をしています。これが劇的に効きました。
明らかにリードワイヤーを作っている時間よりも刃を研いでいる時間が長いのですが、一連の作業に没頭するようになって、エナメルをきれいにはがすのではなく、導体をきれいに磨くことに目的が変わったように思います。ミクロのレベルで導体を研磨すると音も改善されていくということですね。
4000円のリードワイヤーを1日4セットくらい作って、食っていければいいなと思っていたんですけどね。こんな手間がかかることを始めてしまいました。
柄沢さんは以前「自分のことを“ド変態”と書いてもらってかまいませんよ」と笑っていた。ここまでの敬服すべきド変態は間違いなく世界で唯一人だろう。ここから先、どこまでこの道を極めていくのか、あまり近寄らずに遠目から見守っていきたい。
ところで遂に完成させたフラッグシップ・モデルは「KS-VWS-Legend/SR-NVK × 8+1ver.3.41046kyL」という長いモデル名になっている。英数字にはそれぞれ意味があるようだ。渾身の力作、価格は税別60万円也。
(2019年9月20日更新)第231回に戻る
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東京都生まれ。音楽雑誌の編集者を経てフリーライターに。現在「ステレオ」「オーディオアクセサリー」「analog」「ジャズ批評」などに連載を執筆中。近著は「ジャズと喫茶とオーディオ」(音楽之友社)。ほか『音の見える部屋 オーディオと在る人』(同)、『オーディオそしてレコード ずるずるベッタリ、その物欲記』(同)、『僕が選んだ「いい音ジャズ」201枚』(DU BOOKS)、『オーディオ風土記』(同)、監修作に『新宿ピットインの50年』(河出書房新社)などがある。
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