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今までとこれから
Romantic と話した。自分のおよそ半分の年齢である。
彼と話していると、どうしても自分の今までを振り返ってしまう。彼が聞き上手というのもあるが。
さかのぼって18歳になる。1981年、大学進学のため予備校に通っていたが、バイトを始めたのがきっかけで水商売の道に入った。夜の遊び人なら誰でも知っている六本木のディスコで背伸びして、最先端の12インチシングルをかける仕事へ、レビューショーの制作などを20代前半で、さらに見栄を張ってプロダクションのようなものを作ったが、1年くらいで破綻した。
「人に使われた経験が少なかったんでしょうね」(Romantic)
20代後半は真っ当なサラリーマン、といっても海外ホテルチェーンの現場に企画だから水商売か、そこでそこそこの経営ノウハウを覚えた。計数管理なども。
調子良く行ってたがバブルがはじけ、会社をクビ、ふらふらしてるとこに知り合いからカラオケボックスの運営の話、乗っかってやったのが30歳、場所は川崎市高津区子母口、1992年12月24日オープン、これが当たった。
カラオケビジネスは当時イケイケだった。空き店舗を何にするか、空いてる土地の有効利用に、カラオケボックス、カラオケビルがどんどん進出した。新しいビジネスだった。なんの経歴もない自分でも仕事が取れ、株式会社にし、売り上げを伸ばした。いろんなスタイルを提供して多店舗、多角化した。が…。
「バブルの勢いが抜けなかったんでしょう。僕はバブルを全く知らないです」
思い当たることはある。大きくしたくて何でもかんでもやったし、好きな人には給料をたくさん出した。カッコつけて会社の所在地を西麻布にして、おまけに趣味の麻雀でスタッフと遊びたくて、会社のビルの地下店舗を雀荘にした。わざわざ麻布警察で風営法を申請した。やり過ぎだよね。
30代半ばで行き詰まり、あとは閉店ラッシュ借金返済の道、トータルで1000万以上あったと思うけど。
「よく自己破産しなかったですね」
金融機関から借りてなかったのが良かった。近くの銀行に預金小切手の申し込みをしたが断られたのが幸いだった。会社も自然消滅という形で収まり、借金は、少しずつ返していたら、債権者がもう返さなくていいと言ってくれたりして…、生き延びた。
2003年5月、40歳で今の店を持った。最初は順調、そこら中の街のカラオケ好きがやって来た。ところがまたそれも一過性、3年くらいで客数は半分になった。ただ、思いつきで始めたピアノで歌う朝の営業がうまく行って、太いお客様がつき、なんとかしのげるようになった。東日本大震災、コロナ禍と通り越し、もうすぐ22年・・・
「22年ですか。22年前、僕は9歳」
「店を22年続けるって、いや、20年続けるって、どうなんですか?」
「10年で長いほう?」
どうなんでしょうね。店は、この場所は、あなたの、Romantic のものです。使いたいように使ってみたらいい。頑張りましょう。手伝います!