17歳高校生が鉄道で二晩かけてモルドバへ行った話
ヨーロッパといえばどの国を思い浮かべるだろうか。
フランス、ドイツ、オランダ、誰でも知っている国は多いだろう。
しかし、まさか「モルドバ共和国」と答える日本人はいないだろう。
ヨーロッパの秘境(と言っては失礼な気がするが)「モルドバ共和国」。あまり日本人には馴染みのない国である。
しかし、2022年から始まったロシアのウクライナ侵攻で、この小さな国の名前を日本でも聞くことが多くなったのではないだろうか。ウクライナの隣国ということもあり、非常に多くの人々がウクライナから助けを求めてこのヨーロッパ最貧国とも言える小さな国になだれ込んできたのだ。
しかし、最近「モルドバにもロシアによる侵攻の危険が迫っている」という報道をよく見かける。というのも、ウクライナと国境を接しているこの国の東側の一部地域は、「沿ドニエストル共和国」として独立を宣言し、ロシア軍が常駐している状態が続いている。ロシアが欧州に牙を向けている今、ロシア軍が常駐している未承認国家を抱えるモルドバにとっては、かなり厳しい状態のようだ。
なぜ17歳の私がこの時期にモルドバに行くことに決めたのか。
ウクライナ侵攻のニュースが入ってきた2022年2月、私はひどく後悔していた。「まあいつでも行けるだろう」と何かしら理由をつけてウクライナへ渡航することを先延ばしにしていた過去の自分を恨んだ。今行こうとしている国が明日には戦争に巻き込まれているかもしれない。そんな事今まで「平和なヨーロッパだったからこそ」考えたことがなかったのだ。
決して不謹慎な事を言うつもりはないが、近い将来この国に行くことが困難になってしまう可能性が少なからずあると考えた私は、思い切って今行ってみることにした。本当はモルドバ東側地域の沿ドニエストル共和国まで足を伸ばしたかったのだが、未成年である17歳の私は「自己責任」という言葉が使えないので、日本国による保護が行き届かない未承認国家への渡航は「成人してからのお楽しみ」としておくことにした。
今回の旅の行き先はモルドバ共和国の首都「キシナウ」。学生の貧乏旅行なので、約120€という限られた予算で0泊3日の強行旅程を組んだ。
要約すると、往路は陸路で二晩列車の中で過ごし、キシナウに約10時間半滞在した後、帰りはブダペストまで飛行機でワープして帰る、というもの。
二晩も移動にかけておいて滞在時間10時間半とは何事だ!!と思われる方も多いと思うが、お金も時間も限られている学生にはこれが限界だった。
説明はこのくらいにして、そろそろ出発としよう。
出発地はオーストリアの首都ウィーン。
国際列車が多く発着するウィーン中央駅から旅は始まる。
ウィーンからモルドバを結ぶ直通列車などというのは流石に存在しないので、まずはルーマニアの首都ブカレストを目指す必要がある。
ちなみに私は貧乏な学生なので寝台車は使えない。座席車で19時間かけてブカレストまで行くことにした。
19時間飢え死にしないだけの食料をスーパーで買い、ブカレスト行きの表示があるルーマニア鉄道の座席客車に乗り込んだ。流石にルーマニアまで座席車で乗り通すような貧乏旅行人はいないのか、私の乗り込んだ座席車には私以外誰もいなかった。
客車一両貸し切り状態。狭い寝台車の空間に高いお金を払うよりも快適かもしれない。しかも二等車のチケットなのに、一等車の客車が割り当てられていた。昔は車内サービスが充実していたのだろうか、車両の真ん中にはバーのようなスペースもあった。もちろん今は誰もいないが…
貸し切り状態なので撮影もし放題である。勝手にバーで記念撮影をした。
また、私が乗っている座席車は長い列車の最後尾だったため、後ろからの景色を楽しむこともできた。
2時間半ほど走り続けると、列車は隣国ハンガリーの首都ブダペストに到着した。ここから数人の乗客が私が独占していた客車に乗ってきた。
とはいえ「数人」だった。
ブダペスト東駅に到着した列車は、ここで進行方向を変えてルーマニア方面へ進んでいく。椅子は一等車なだけあり非常に快適で、ガラガラなので足を延ばしてしまえば、長時間座っていてもなんの文句もなかった。
一見古そうな客車だが、しっかりコンセントも使えた。
深夜2時。ハンガリー側の国境駅Lököshazaに到着した。ルーマニアは出入国審査が省略されるシェンゲン協定に加盟していないため、ここでは列車内で出国審査が行われる。列車が40分ほどこの駅に停車している間に、車内に警官が乗り込んでくるので、日本人はパスポートを渡すだけで良い。何もなければその場でハンガリー出国スタンプが押される。
ハンガリー国境での出国審査を終えると、列車は10分ほど走行し、国境を越え、ルーマニア側の国境駅Curticiに到着した。今度はルーマニアの警官が乗り込んできて、入国審査が行われる。「ルーマニアに何をしに来たの?」と聞かれたが、「モルドバに行くんだ」とだけ答えておいた。
あとはもうひたすら座り続けて、ブカレストを目指す。座席車だが無理やり横になって最低限の睡眠環境を整え、なんとか眠ることができた。
何度か起きて寝て、起きて寝て、、を繰り返し、朝を迎えた。ルーマニアの大地をひたすら走ってゆく列車。終着ブカレストに近づくにつれて、ガラガラだった私の乗っている客車にも、徐々に人が増えていった。
午後4時前。長い長い座席車の鉄道旅を終え、ついにブカレスト北駅に到着。意外と身体は元気だ。17歳男の体力を舐めてはいけない。
ヨーロッパあるあるだが、ウィーンを出発した時とブカレストに到着した時では、列車の編成が完全に異なっている。途中駅で客車の切り離しと連結を繰り返した結果だ。
ブカレストでの乗り換え時間は約3時間半。キシナウ行き夜行列車は19時20分出発予定だ。少しブカレストの街中を散歩する事にした。
ご飯はできるだけ安く済ませたかったので、そこら辺の屋台で適当に美味しそうなものを買って食べることにした。しかしルーマニアレイの現金を持っていないので心配したが、屋台でもカードが使えたので全く問題なかった。
とりあえずお腹に屋台の食べ物を放り込み、ぶらぶら散策。
散策も程ほどにして、早めに駅に戻ることにした。
妙に場所が分かりにくいチケットカウンターでチケットを受け取った。ヨーロッパではチケットを予め家で印刷してきたり、スマホでチケットを提示したりするのが最近の流行りだが、ブカレストからキシナウまでの夜行列車は必ずチケットカウンターで受け取らなければいけないシステムだった。パスポートの確認でもするのかと思ったが、ただチケットカウンターのおばちゃんがチケットを印刷してくれるだけだった。謎である。
しばらくホームで列車を待っていると、なにやらすごい勢いで青い客車がホームに後ろから突っ込んできた。素人でも見てわかる、ソ連客車。これがモルドバ国鉄の寝台列車だ。
さて、ロシア語しか喋ってくれない乗務員にチケットを見せ、「1号車ならあっちだ」的な事を言われてその指示に従って列車に乗り込んだ。
なんだか快適そうじゃないか。この雰囲気、個人的にとても好きである。古い客車ではあるが、決して不便はなさそうだ。なんなら無料の車内WiFiもついている。
この時点でオーストリア連邦鉄道が誇るNightjetは完敗である。まさかモルドバ国鉄の旧ソ連型寝台列車に車内WiFiがついているとは思わないじゃないか。「モルドバ、意外と先進国説」が私の中で浮上。
そして車内には多くのロシア語が。英語とかいう便利な言語は無い。
列車は定刻にブカレスト北駅を発車。同じ部屋になった乗客とも軽く挨拶を交わし、、、たいのだが、ここで困るのは「私はロシア語を話せない」という事だ。どうもこの車内の公用語はロシア語のようである。いきなり「Русский?」と聞かれても困る。しかし英語をお願いしたらそのお兄さんは英語で話してくれた。よかった。
しばらくそのお兄さんと英語で話していると、とあることに気づいた。「僕はオーストリアに住んでるんだ」という話をすると、突然お兄さんの話す言語がドイツ語に変わった。なーんだ、ドイツ人だったのか。
しかし相手がドイツ人となると、別の問題が発生する。「あはは、だからか。君の話す言葉からはオーストリアの訛りがちゃんと聞こえるよ。母音の延ばし方とかね。」とか言われて恥をかいた。とほほ。
そしてその後お兄さんは相部屋になったもう一人の乗客としばらくの間ロシア語で会話を楽しんでいた。初めて「ロシア語ができたらよかったのにな」と思った。
ウトウト寝ていたら、国境Iasiに到着した。時刻は午前3時過ぎ。ルーマニアの出国審査の時間だ。
そして出国審査を終えた後は、私が今回の旅でとても楽しみにしていたイベントが訪れる。客車の台車交換だ。欧州側と旧ソ連圏では、線路の幅が違う。なので客車ごと持ち上げて、台車自体を全て変えてしまうのだ。力業である。
ここからは初めての旧ソ連圏。台車交換を終えた列車は少し進んで、今度はモルドバ側の国境で停車した。ここではモルドバ共和国の入国審査が行われる。全員分のパスポートを回収して束ねて、そのままどこかに行ってしまった。パスポートが手元にないとヒヤヒヤする。ちゃんと戻ってきてくれよ。
戻ってきたのは良いものの、薄すぎである。どこに押されたのかと5分くらいパスポート中を探していた。モルドバ共和国のスタンプの形は、EU諸国と合わせているようだ。正直つまらん…
その後はキシナウ到着5分前に乗務員に起こされるまで爆睡していた。起きた直後に窓から見た朝日に照らされるモルドバの町の雰囲気がとてものどかだった。しかしあまりにドタバタしていて写真を撮る余裕はなかった。残念。
午前8時過ぎ。ウィーンを出発した翌々日。二晩かけて辿り着いたのはモルドバ共和国の首都、キシナウ。ヨーロッパとは違った、なんとも言えない雰囲気が漂っていた。
駅の出発表を見てみると、モスクワ行きやサンクトペテルブルク行きの列車がある事に気づいた。しかしロシアのウクライナ侵攻以降、運行を停止しているようだ。
キシナウ駅を出てすぐのところに両替所があった。この国の通貨は「モルドバ・レイ」。モルドバ共和国独自の通貨を使っている。なおこの通貨はレアすぎるのか、モルドバとルーマニア以外では両替できないらしく…
キシナウに到着したのは土曜日の朝だった。駅前の通りに出てみると、床にたくさんの衣服や雑貨が置かれて売られており、市場のようになっていた。
たった数時間しか滞在しないとはいえ、ネットが繋がらないのは不便なので、街で見つけた通信会社Orangeのお店に駆け込み、親切なお兄さんに英語を話すよう強要させ、SIMカードを入れて繋げてもらった。
しかし、SIMカードの値段には驚いた。データ通信を20GBも使えるものが、なぜかたったの220円だった。意味が分からない。ネットの速度も速いし。なんならいつも使っているオーストリアのネットより速い。
やはりネットがあると心強い。Google Mapsを駆使して、散策を再開。
まだ朝ご飯を食べていなかったので、見つけたスーパーで朝ご飯を調達することにした。スーパーにはキリル文字が書かれた商品も多く並んでいた。パンを二つと、なんか面白そうだったのでキリル文字が書かれたミックスジュースを買ってみた。
随分とハイテクなベンチを発見した。洒落ている。ベンチに座って朝ご飯を食べていると、散歩中の犬様(ワンちゃん)が一目散に駆け寄ってきて、私の顔を舐めまわしてきた。きっとこのミックスジュースが原因だろう。癒された。
犬に舐めまわされたことをTwitterで報告すると、「狂犬病には気をつけろ」という警告が飛んできた。時すでに遅し。
土曜日の朝という事もあってか、街はとてものんびりとしていてとても居心地は良かった。
あと個人的に気に入ったのは、絵が並ぶとある公園の道。私がもっと大人でお金に余裕があれば、一作品くらいお土産に買って帰りたかったな。
しばらく歩いていると、なんだかごちゃごちゃした面白そうな市場を見つけた。
地味に気になったのが、この町、妙にXiaomiのお店が多い。あまりにも主張が激しいので思わず入ってしまった。丁度Xiaomiの新しいスマホに買い替えようとしていたので、他の国で買うよりも安いのかなと思って値段を見てみたが、決してそんな事はなかった。なので結局オーストリアに帰って普通にAmazonで買う事にした。
モルドバ共和国まで来て私はXiaomiのお店で何をやっているのだろう、とお店を離れボーっと歩いていると、突然よく知っている言語で声をかけられた。
「何してるんですか」
何してるんですかって….えぇ???
モルドバ共和国のキシナウをぶらぶら歩いていて突然声かけられた言葉が日本語である。意味不明である。モルドバですよここ。ネットで調べてもモルドバ共和国在住の日本人は数えるほどしかいない、って…
「え、日本人の方ですか?」
信じられなかったので聞いてしまったが、明らかに相手は日本人である。話を聞くと、その方は医師の方で、ウクライナの支援のために今モルドバ共和国に滞在して活動している…という尊敬せざるを得ない方だった。本当にお疲れ様です。
しかしモルドバ共和国まで来て町を歩いていて日本人に出会う確率ってどんな奇跡やねん。Twitterを交換し、ついでにお昼ご飯を食べる場所を探している事を伝えると、おすすめのレストランを教えて頂いた。感謝。
大満足なお昼ご飯を食べ終え、空港行きのバスが出発するバス停まで、ゆっくりと来た道を戻っていく事に。
二晩かけて辿り着いたモルドバ共和国だが、今日の夕方の飛行機に乗って、今日中にオーストリアに帰らなければいけない。今はモルドバ共和国にいるが、私は明日、オーストリアでコンサートがあるのだ。
空港行きのトロリーバスに乗り込むと、ほぼ満員で身動きが取れなかった。チケットを持っていないので車掌から買わなければいけないのだが、そもそも車掌がどこにいるのかすらわからない。そんな状況の中で何かお姉さんに話しかけれたが、何を言っているのかわからなかった。
その後殆どの人が降りてから気づいたのだが、そのお姉さんが車掌さんだった。気づいて大慌てでチケットを購入。
途中で乗っていたトロリーバスの後ろから「ガリガリガリ…」とかいう嫌な音がしたのだが、なんと途中からパンタグラフを降ろしてそのまま空港へ向けて走行し始めた。へえ、これまた随分とハイテクだなあ。
キシナウ空港に到着。決して大きくはないがきれいな空港だ。いきなり入り口で荷物検査があった。
既にオンラインでチェックインを済ませていたので、スマホにチケットを表示させて、そのまま保安検査場に。ところが、、
なんか警備員がロシア語で言ってきて通してくれない。ボーディングパスがどうのこうの言ってるが、何を言っているのかわからない。"English?"と聞くも、"Русский!!!!!"とロシア語オンリーな模様。私もスマホを見せて"Это Боардинг Пасс!!"とかいうロシア語もどきを使って反論するが、相手はどうも納得いかない様子。何がダメなんだ?としばらく問い詰めると、ようやく理解できる単語が警備員の口から出てきた。
"папір!!!"
あ、パピーア(紙)。紙の搭乗券じゃなきゃダメなのね! どうもチェックインカウンターに行って紙の搭乗券をもらって来い、との事。無事解決。教えてくれてありがとう。
保安検査と出国審査を無事終えて、搭乗前に水を買っておこう、と思い水を買える場所を探す。自販機は一台もない。水をパッと買えるところがない。結局、水を一本買うためにカフェに15分位並んだ。店員さんがのんびりのんびり働いておられたのでとても列が長かった。まあ人生生き急いでも良いことないし、これでいいや。(?)
水を買って、搭乗開始まで少し待機。今回私が乗る飛行機は、格安航空会社WizzAirのブダペスト行き。ウィーン行きの便もあるのだが、お金がない私にはウィーン行きの航空券を買えるほどのお金はなかったので、ブダペストからは陸路でウィーンまで帰ることに。
さよならモルドバ共和国。たった半日の滞在だったけど、とても楽しかった。
モルドバの地を離れ、陸路で二晩かけてきた道のりを飛行機は約1時間でひとっ飛び。速すぎる。
あっという間にブダペストに到着し、相変わらず乗り心地が最悪な空港バスに乗ってブダペスト中心部へ。
いつも通り地下鉄に乗り継ぎ、ウィーン行きの列車が発着する東駅へ。
駅前のマクドナルドで夕食を済ませ、、
ブダペスト東駅まで来たらもうオーストリアに帰ってきたも同然。オーストリア連邦鉄道ご自慢の高速列車Railjetで、ブダペストからウィーンへ。
乗りなれた列車。心が休まる瞬間。長旅ももうすぐ終わりだ。
ブダペストからウィーンはたった2時間半。
午後10時20分。ウィーン中央駅に到着。
ただいま!!
後日談:
この旅の数日後、ウィーン市内で財布を盗られる事件が発生。しかし財布の中に入っていた現金はモルドバ・レイの紙幣のみだった。先ほど書いた通り、モルドバ・レイはモルドバとルーマニア以外では両替する事ができない。犯人はさぞ愕然とした事だろう。
筆者: Naotaka Sato 旅する音楽家
2016年からオーストリアのウィーンで音楽の勉強をしている学生。
本業はピアニストとバイオリニスト。
14歳の時に一人旅の楽しさに目覚め、この旅をしていた当時は17歳。