【考察】スズム事件ー「まふまふが受けた被害とは何か」
※2024年7月加筆・訂正
はじめに
2015年10月10日、ニコニコのボカロシーンを牽引してきた一人の人気ボカロPが突如として活動終了を報告した。
彼の引退に至った経緯の告白は大きな波紋を呼び、これに伴って彼から被害を受けたという人達が一斉に名乗りをあげ、ネットは騒然となった。
そのボカロPの名前はスズム。
彼の名前を取ってこの一連の騒動はスズム事件、あるいはスズム引退騒動等と呼ばれている。
本記事では以下、スズム事件の呼称で統一することとする。
スズム事件についてはボカロ界隈や歌い手界隈を昔から知る人達には広く知られており、とりわけ歌い手のまふまふがスズムの被害者の一人であることは、まふまふの高い知名度と人気もあってか当時を知らない世代にもよく認知されている印象を受ける。
ネット上に流布しているスズム事件の情報については、まふまふの件に限定しても、これまで正確に情報が整理されたものはほとんどない。
ツイッターや匿名掲示板、YouTubeのコメント欄といった断片的な情報が見受けられる場所では、まふまふ・スズム双方のリスナーやアンチ等によって曲解された根拠のない妄想や憶測を含んだものも少なくなく、近年においても元々リスナーであったという立場からなのか、「こうであってほしい」という著者の願望を投影した主観的で考察とは名ばかりの記事が未だに出されているのが現状である。
今、改めてこのスズム事件が注目されている。
私は当事者でもなければ関係者でもないため事件の全貌や被害の真相は分からないものの、現在出ている情報を整理した上で、極力バイアスを排した考察を提示することは有意義なものであろうと考え、本記事を執筆することとした。
本記事では一連のスズム事件の中でも、特に取沙汰されることが多いまふまふが受けたとされる被害についてフォーカスを当てていきたい。
スズムについて
まずスズムを知らない人のために、その概要を踏まえておきたい。
スズムは2010年からニコニコ動画に投稿を始め、2012年から2015年にかけてボカロ曲を投稿していたボカロPである。
スズムが手掛けたと”される”ボカロ曲としては「世界寿命と最後の一日」や「過食性:アイドル症候群」が代表曲として広くよく知られている。前者は2024年1月27日現在でニコニコ動画でトリプルミリオンを、後者はダブルミリオンをそれぞれ記録している。
サークル活動としては2011年にスズムは人気歌い手のそらる、ろん、絵師のMACCO、さいねと「あすかそろまにゃーず」を結成して活動を行っていた他、2012年には『六兆年と一夜物語』『インビジブル』『地球最後の告白を』といったボカロ曲でミリオンを頻発していた当時のカリスマ的ボカロP・kemuを中心とした「KEMU VOXX」のメンバーとして活動していたこともよく知られている。
またTVアニメダンガンロンパのエンディングテーマ『絶望性:ヒーロー治療薬』を手掛けたとされ、ボカロPの150Pが企画した「終焉ノ栞プロジェクト」に参画した他、当時の歌い手シーンを牽引したりぶ、__(アンダーバー)、Geroを始め多くの歌い手に楽曲提供を行った。
このようにスズムは作詞、作曲、アレンジ、ミックス、マスタリングといった様々なジャンルを手掛けるマルチアーティストであり、2012年から2015年にかけてのボカロシーンを牽引した一人であったと言えよう。
しかしながら、メジャーデビューアルバム『八日目、雨が止む前に。』をリリースした2日後の2015年2月6日に行われた音楽ナタリーのインタビューにおいて、「当初の予定だと僕、そろそろ引退するはずだったんですよ」とスズム名義の引退を示唆し、その理由として集大成となるアルバムが完成したことでスズムでやることはなくなったこと、別名義で作曲や「演奏してみた」や「歌ってみた」をやりたいと考えているという今後の展望を語っている。
それから半年ほど経った10月10日、自身のブログでスズムとしての活動終了を報告した。
そしてその活動終了に至った経緯というのは、決して先述したインタビューで語られていたようなポジティブな意味ではなかったことも明らかとなる。スズムは引退に至った主要な理由については次のように説明している。
こうしてスズムは自身が作詞、作曲、アレンジ、演奏を行っていない楽曲や自身が行った内容の詳細を明かすことなく、ボカロシーンを去った。正確には去らざるを得なかったといったところだろう。
スズムと交流のあった活動者達はあるいはエールを送り、あるいは静かに別れを告げ、あるいは沈黙して各々が様々な思いを胸にその引退を見届けた。
しかしながら、スズムによって被害を受けたと暴露する歌い手やボカロP、関係者等が数多現れ混沌とした状況となった。
本記事はあくまで一連のスズム事件の中でもとりわけまふまふにフォーカスを当てた記事であるため、ここではその詳細については省略することとする。詳しく知りたい方はニコニコ大百科の下記の記事を参照していただきたい。
まふまふとスズムの関係について
歌い手のまふまふについて今更説明は不要かもしれないが、軽く触れておくこととする。
2010年にニコニコ動画に歌ってみたを投稿して以来、今日に至るまで歌い手及びシンガーソングライターとして活動し、作詞作編曲やミックスエンジニアリングまで多岐に手掛けるマルチクリエイターとしても活躍している。
10代~20代から高い人気を誇り、現時点でXのフォロワーは217万人を超え、YouTubeの登録者数は355万人、動画の総再生数は20億を超えている。
歌い手のそらるとのユニット「After the Rain」としても活躍する他、歌い手のライブイベント「ひきこもりたちでもフェスがしたい」の主催、Vtuber事務所・ネオポルテの運営やエージェント型クリエイター支援企業である株式会社 Guildの役員を務める等、実業家としても活躍する自称「何でも屋」である。
2020年にコロナの流行によって自身の東京ドーム公演が中止となり、翌年の2021年に史上初の東京ドーム無観客無料配信ライブを行い全世界で同接約40万人を記録、同年の紅白歌合戦には”歌い手”として出場し「命に嫌われている」を歌い、後日NHKがYouTubeに投稿したハイライト動画は数日で400万再生、高評価数14万を超えたこと等は記憶に新しい。
そのようなまふまふがスズムと交流していることが確認出来るのは、X上では2011年11月7日が最初だ。当時まふまふ20歳、スズム19歳である。
しかしながら、これが最初の交流というわけではなく、スズムへのリプから2011年11月以前から交流があったことが窺える。
当時まだ駆け出し同然だったまふまふにとって、スズムはどのような存在であったかが窺えるツイートが残されている。
スズムは当時からアレンジャーとしても活動しており、その技術力をリスペクトしていたことが分かる。
X上では2人が友人のボカロP、歌い手、音楽仲間と共に交友を深めていたことが確認できる。
まふまふとスズムのX上の交流は2011年から2013年10月まで毎月リプライをしていることが確認出来ていたが、10月を最後に翌年の2014年3月まで突如やり取りが途絶えている。
以降2015年7月までのやり取りが確認出来るが、リプライが突如途絶える以前と以後とではX上の交流が少なくなっていることが窺える。
そして2015年10月10日、スズム引退に際してまふまふは次のような意味深なツイートをX上に投稿している。
その後、まふまふは2015年10月18日のリプを最後に、二度とX上でスズムに関して言及することはなかった。
何故まふまふがスズムから被害を受けたと言われているのか
スズムとまふまふ、そして両者の関係について軽く紹介してきた。
それでは、本題である何故まふまふがスズムから被害を受けたと言われているのかについて本格的にみていきたい。
事件の真相に肉薄するにあたっては、まずは当事者であったまふまふやそらるの一連の発言を踏まえる必要がある。
長文の引用が続くが、御容赦いただきたい。
◆2015年12月10日 まふまふのニコ生にて(まふまふ発言)
◆2016年1月8日 まふまふのアメブロ(「晴れときどきまふまふ」)
◆2016年10月17日 まふまふのツイキャスにて(まふまふ発言)
◆2017年2月6日 まふまふのツイキャスにて(まふまふ・そらる発言)
以上が、まふまふ・そらるがスズムや自身の被害について言及している主要なものの全てである。
まず、まふまふがアメブロで詳細に記述している内容だが、「僕と一部の人間がとある人物に騙され仲違いをさせられるように仕向けられていた」というこの「とある人物」はスズムのことを指すのではないかと投稿当時から考えられている。
先述したように、まふまふとスズムは2013年の10月を最後に翌年の2014年3月まで突如やり取りが途絶え、その後もX上での交流はそれ以前と比べて少なくなっていることもあり、まふまふが「詳しく調べると僕と一部の人間がとある人物に騙され仲違いをさせられるように仕向けられていた」ことに気づいたのがこの間のことで、それによって交流が減っていたのではないかというのである。
まふまふやそらるといった当事者や関係者が公の場で「とある人物」はスズムであると明言したことはなく、スズムであることを裏付ける明確な根拠はないものの、そらる・まふまふの配信等での言動や時期から見てスズムだというのは暗黙の了解となっている節がある。
それでは、まふまふが2017年2月6日のツイキャスで「曲返して曲」と発言したことについてはどうであろうか。
スズムは自身の楽曲について、「作詞、作曲、アレンジ、演奏の中で自分が行っていないものを自分が行ったように伝えていたことがあり、それが自分の利益となっていたこと」を認めている。
これは裏を返せば、スズム自身が作詞・作曲・アレンジ・演奏を行っていないスズム名義の楽曲があるということに他ならない。
そうした経緯を経て、スズムの話をしている最中にまふまふの「曲返して曲」という発言があった。
その発言以前にもまふまふはスズムとは明言していなかったものの、自分が作った曲が自分という名前が伏せられた状態で勝手に上げられていたという話をしていたこともあって、従来よりネット上ではまふまふはスズムに楽曲を盗作されたと言われてきたのである。
その楽曲が何なのかについては、まふまふが『夢花火』を投稿(2013年8月1日)した直後から『すーぱーぬこわーるど』を投稿(2013年12月20日)するまでの間が一番辛かったと発言していることを踏まえ、この間にスズムが投稿した楽曲は『世界寿命と最後の一日』(2013年9月5日)と『嘘つきピーターパン』(2013年10月18日)の2つしかないことから、このいずれかがまふまふが被害を訴えている楽曲ではないかと考えられてきた。
ネット上ではまふまふが被害に遭った楽曲は『世界寿命と最後の一日』と見る傾向がおおむね強いが、『嘘つきピーターパン』の投稿日がまふまふの誕生日であることや、説明文に「今日は主役の居ない誕生日の話をしよう」とあること、その他の独自の根拠に基づいて『嘘つきピーターパン』がそうだと主張する者も存在する。
しかしながら、『嘘つきピーターパン』がそうであると考える人は、まふまふが自身が被害に遭った楽曲について「ミリオン近くのボカロ曲」と発言していることを根本的に見落としている。
『嘘つきピーターパン』は2024年1月27日現在で22.1万再生であり、まふまふの発言に合致しないため、まふまふが被害を受けたとされる楽曲の候補とはなり得ない。
それでは他のミリオン近い楽曲はどうであろうか。
2024年1月27日現在でミリオン近くの楽曲としては『赤心性:カマトト荒療治』(92万再生)があるが、同曲は2016年にハーフミリオンを達成していて2019年時点で70万再生であるから、この楽曲も候補から外れることとなる。
他にミリオン近いと言える楽曲はないため、候補となるのは2024年以前にミリオンを達成した楽曲ということになろう。
2024年1月27日現在、スズム楽曲でミリオンを達成しているのは『世界寿命と最後の一日』、『過食性:アイドル症候群』、『アンデッドエネミー』の3曲である。
以下、頻出するため『世界寿命』と『過食性』に略称する。
『アンデッドエネミー』についてはギガPとの共作であり、ミリオンを達成しているのも2018年12月23日であるため、候補からは外れる。
まふまふが「ミリオン近くのボカロ曲」と発言している2016年10月17日以前にミリオンを達成しているのは、『世界寿命』(2015年8月18日達成)と『過食性』(2016年2月13日達成)のみであるが、『過食性』はまふまふが一番辛かったという時期とは合致しないため、やはり候補から外れることとなる。
したがってまふまふが被害に遭った楽曲は、従来から言われている『世界寿命』の可能性が高い、と考えるのが妥当であろう。
その場合、まふまふが2016年10月時点でミリオン達成済みの『世界寿命』を「ミリオン近くのボカロ曲」と言っていることになるが、この点についてはまふまふが最後にニコニコ動画で再生数を確認した時にはミリオン近くであったと考えれば整合性は取れるし、むしろそのように考えるのが合理的ではないだろうか。
まふまふが『世界寿命』の再生数を最後に確認したのは、ミリオンを達成する2015年8月以前のことだったものと推定される。
なお、まふまふ発言を率直に受け取り、『世界寿命』は2016年以前にミリオンを達成しているのだから『世界寿命』ではないと主張する人がいる。
その場合には当時においてミリオン近くという表現が適切なスズム名義の楽曲を示す必要があるが、そのようなスズム名義の楽曲は存在しないため、この種の主張に信憑性はない。
さて、『世界寿命』の作曲者がまふまふであることは「自分が作った曲」「僕が書いてた曲」発言や「クレジットが変わってた」という発言からしても間違いないだろう。
それでは従来から言われているように『世界寿命』はまふまふの作詞作編曲による完全オリジナル楽曲だったのであろうか。
仮にそうであったとすれば、まふまふが『世界寿命』の楽曲製作段階でスズムに共有し、スズムがそれを自身のオリジナル曲として発表した可能性が想定される。
作曲家が製作中の楽曲のプロジェクトファイルを親交のある作曲家に送り、その評価を求めるというケースは珍しくない。
『世界寿命』はニコニコへの投稿に先立ってそらる歌唱verが『絶望性:ヒーロー治療薬/スズム feat.そらる』に収録されており、そのレコーディングにはまふまふもスズムやそらると共に参加しているため、こうした過程でスズムにプロジェクトファイルが渡った可能性は充分考えられる。
なお、ここでは『世界寿命』は作曲者まふまふとスズムの共作だったという想定されるもう一つの可能性についても言及しておきたい。
まふまふは「自分が作った曲が自分という名前が伏せられた状態で投稿されている」と発言しており、伏せられたという表現からは伏せられていないものがあるかのようであるし、もし完全にまふまふオリジナル楽曲であったとすれば「名前が伏せられた」と表現するとは考えにくく、まふまふの発言は『世界寿命』はスズム×まふまふとして発表するはずの楽曲なのに自分の名前が伏せられている、という意ではないかとも解釈できるのである。
共作であったとすれば、作詞・作曲・編曲の内訳については以下の可能性が想定される。
①【作詞】まふまふ 【作曲】まふまふ 【編曲】スズム
②【作詞】スズム 【作曲】まふまふ 【編曲】スズム
③【作詞】スズム 【作曲】まふまふ 【編曲】まふまふ
④【作詞】スズム 【作曲】まふまふ 【編曲】まふまふ・スズム
⑤【作詞】まふまふ 【作曲】まふまふ 【編曲】まふまふ・スズム
⑥【作詞】まふまふ・スズム 【作曲】まふまふ 【編曲】まふまふ
⑦【作詞】まふまふ・スズム 【作曲】まふまふ 【編曲】スズム
⑧【作詞】まふまふ・スズム 【作曲】まふまふ 【編曲】まふまふ・スズム
また、2017年にまふまふが発表した楽曲『脱落人生へようこそ』の「何気なく晒した手札のつもりが願わずして陽の目を浴びた咲きゃ綺麗 が世の常のようですなう 御殿がたちまち建ちました」という歌詞はこの件について言及されたとみる解釈も存在する。
それによればこの歌詞の意味はスズムに対して何気なく『世界寿命』を見せたところが、まふまふの意図しない形でスズムに投稿されて脚光を浴び、視聴者は作品さえよければ作者など誰でもよくて、すぐに殿堂入りを果たした(ニコニコ動画では10万再生を達成すると殿堂入りとされ、『世界寿命』は投稿から2日後の2013年9月7日に殿堂入りしている)という。
『世界寿命』がまふまふのオリジナルなのか、はたまたスズムとの共作なのかは、当事者や関係者ではない第三者視点からは確定出来ない。
いずれにしても「勝手に投稿されてる」「クレジットが変わってた」「僕が書いてたのに全然違う感じで上げられてて」といった発言から明らかなように、まふまふにとって不本意な形で投稿・収録されたことは間違いないだろう。
それでは何故スズムは名義を伏せる、あるいは名義を変えることが出来たのであろうか。
まふまふとそらるはスズムをそそのかして利用し、その行いを黙認していた大人がいたことを明かしている。
想像にはなるものの、大人達もスズムをマルチクリエイターとして売り出すために、スズムを良いように利用していた部分があったのだと思われる。
またスズム自身が「作詞、作曲、アレンジ、演奏の中で自分が行っていないものを自分が行ったように伝えていた」と語っているように、権利の登録はそうした大人達が行っていたのであろう。
まふまふの発言から考えると、まふまふは『世界寿命』が投稿された2013年9月5日のタイミングか、あるいは『世界寿命』そらる歌唱verを収録した『絶望性:ヒーロー治療薬/スズム feat.そらる』発売前日にクロスフェードが投稿されたタイミング(2013年9月3日)のいずれかで、MV上にまふまふの名義がないことから異変に気付いたのだろう。
先述したまふまふは『絶望性:ヒーロー治療薬feat.そらる』のレコーディングにスズムやそらると共に参加しているが、その時点ではこの異変に気づいていないし、そらるも「知ったのはしばらく先だけど」とコメントしていることからして、『世界寿命』のクレジットの変更はレコーディング後にまふまふやそらるが預かり知らぬところで行なわれたと見るのが妥当だろう。
さらに、まふまふとそらるは自分たち以外にも自分達以上に苦しんでいた人達が存在していたことを明かしている。この被害者達というのもまふまふと同様の被害を受けていたのではないだろうか。
結果的にまふまふが『世界寿命』の権利を回復することはなかった。これは他にスズムから被害を受けた人達も同様とみられる。
その理由については定かではないが、その当時では権利を回復することは難しかったか、あるいはスズム引退と共に目を瞑った、あるいは瞑らざるを得なかったというのが真相に近いのかもしれない。
また、当時スズムと交流のあった人気ボカロPのNeruはスズムがインタビューで引退を示唆した2か月後で、スズム引退の半年前である2015年4月16日にスズムのことを匂わせるようなツイートを行なっている。
Neruは2023年6月8日に自身のツイキャスにおいて視聴者から問われてスズムについて言及し、スズム事件の詳細については当事者ではないから言えない、墓場まで持っていく話としながらも、活動している人には教訓として伝えなければならないとして交友のあるボカロPでシンガーソングライターのsyudouにはこの話を伝えたことを明かしていた。
また、不利益を被る人がいる、何も悪くないのに責任を取らなきゃいけなくなる人がいる、不幸になる人がいるから詳細については言えないという趣旨のことを語り、1人だけの責任ではないのかという内容のコメントに対してはそれも言えないと語った。
スズム事件について当事者達やその関係者達がほとんどその詳細を語らない事情の一端がNeruの発言からもうかがえるのではないだろうか。
終わりに
スズム事件についての情報の整理並びに考察は以上の通りである。
これは一連のスズム事件のほんの氷山の一角に過ぎないということだけは読者の方々に強調しておきたい。
スズムは引退後、別名義で音楽活動を行っており、近年には若い頃には順風満帆とは言えなかったこと、高く評価を受けたこともあったが気が付けば当時の権利がほとんど残っていないこと、要因は自分にあってもきれいに大人に騙されてきた人生であったこと等を自ら語っている。
まふまふやそらるが語っていたように、スズムが大人達にそそのかされ、利用されていた部分があったことは事実だろう。
その意味ではスズムも当時の大人達の被害者という側面があることは間違いないが、スズムがやったこととして明るみになっているものや、本人が認めていることだけを見ても、彼のやったことが到底許されるべきものではないこともまた事実である。
スズムのファンの中には彼に帰ってきてほしいと望む声が今でもあり、ファンとしてそのように思う気持ちは自然なものであるとは思うが、しかしながら、今後も復帰することなく、ボカロシーンや歌い手シーンに関わらないことが彼が出来るせめてもの贖罪なのではないだろうか。
もっとも、そらるが2017年に「スズムあいつはダメだ」「引退した後も変わらず嘘ばかりついてる」と自身のキャスで語っていたり、スズムが別名義でまふまふを揶揄するかのように「人の反感を買ってしまったら注意してください。そいつが曲を作れる場合は最悪、歌にされますよ(笑)」というニュアンスの投稿や、歌い手の悪口とも取れる内容を投稿して即ツイ消ししたりということを度々リスナーから目撃されていることからすると、反省は表層的なものに過ぎず、本質的な部分は結局何も変わっていないのかもしれない。
さて、まふまふは2013年の8月から12月にかけて、鬱病に追い込まれるほどの肉体的、精神的、社会的な苦痛に苛まれることとなった。
また、鬱病だけでなくパニック障害、躁鬱、人格障害も併発しを発症してしまっていたという。
そうした辛い時期について、まふまふはそらる、うらたぬき、天月、luzを始めとした歌い手の仲間達に助けられながら、ひたすら活動に熱中し、肉体を消耗して寝落ちする生活を繰り返すことによって乗り越えたと語っている。
スズム事件に限らず当時の歌い手やボカロP等といった活動者達は大人達によって騙されたり、利用されたりして被害を受けた人は少なくなかった。
まふまふは芸能事務所等に所属せずに活動し続けることにこだわり、権利の大切さを訴え、騙されてしまった活動者をサポートする活動を行っているが、これは自身の経験や見聞に基づくところが大きいものと思われる。
まふまふのスズムへの心境はツイキャスでの発言を見ても分かるように、複雑なものがあることは間違いない。
スズムを許すことが出来ない気持ちや心の蟠りがあることは事実だろう。しかし、それはスズムがやった行いを考えれば当然のことだ。
楽曲名は伏せるもののまふまふ楽曲の中にはスズムのことを歌ったと思われるものが何曲かあるし、スズム引退後間もない時期に語っていたように、そうした気持ちを楽曲にすることで消化している部分があることも間違いない。
しかしながら、友として過ごした時間をまふまふが忘却しているわけではないこともまた事実である。
まふまふの公式LINE(2016年2月4日開始)に「スズム」と送ると「またいつか遊びたいなあ」という虚しいメッセージが返ってくるのは、その証左に他ならないのではないだろうか。
現在、2024年1月27日の20時である。
いま話題となっている昨日のまふまふの声明文を読む限り、スズム事件に勝るとも劣らない艱難辛苦を再び味わうこととなってしまっていたようだ。まふまふが受けた心労、精神的苦痛は察するに余りある。
そして何より精神をボロボロにされ、憔悴していたまふまふの目を覚まさせ、再び救い出したのが相方のそらるであったという。スズム事件から今日までの二人の歩みを顧みた時、その事実は実に感慨深いものがある。
スズム事件を乗り越えてそらるとAfter the Rainを結成し、様々な楽曲を世の中へ送りだし、ソロでもユニットでも華々しい活躍を続け、歌い手として初の紅白出場を為し遂げ、歌い手を代表する存在へと成長したまふまふである。
再び艱難辛苦を乗り越えて、失ったものを数えることなく、吹っ切れた強気なまふまふがこれまで以上の活躍を遂げていく姿を期待したい。
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