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辻占日誌:金曜の夜に
路上占いでのあれこれを「辻占日誌」として綴ってみようかと思います。今日は嬉しかったことを。
昨晩、路上占いに出たんだけど、看板を出してすぐに女性2人が声をかけてくれた。
「ここで占いやってるって聞いて、当たるって聞いて。探してたんですよ」と。曰く、知り合いが私のところで恋愛相談をした話を聞いて、探してきてくれてんだそう。しかも一度早めの時間に来たら私が居なかったので、時間潰して待っていてくれたんだとか。それを聞いて、なんとも言葉にはしがたい、ありがたい気持ちになった。こういうことを書くときの自分の語彙力のなさが本当に残念になってしまうんだけど、本当に嬉しいし、ありがたい。
人に紹介して貰えるって、なかなかないことだと思うのだが、それがここで実際に起こっていて。そして、実際にそれを聞いて会いにきてくれる人がいること、これもまた凄いことなんじゃないか。奇跡なんじゃないか。
いや、正確に言うと、これを「奇跡だ」と思える感覚を持ち続けていたいのだ。そうでないと、なんでもすぐに「当たり前」にしてしまうから。占いが出来て当たり前、お客さんが来て当たり前、誰かが声をかけてくれて当たり前……。もう、そういう風にはなりたくないし、そうなってしまうとすべてが消えていくような気がする。
誰かにかけた言葉が、届いて、その人の中に何かを残して、そして、それが伝播していく。そういう場として、占いの場が機能しているのだとしたらとても嬉しい。ありがとう。あなたが来てくれたこと、私にとってもあなたはギフトです。本当にありがとう。
路上に立って1ヶ月半ほどになるだろうか。最近は、一度受けてくれた人が通りすがりに声をかけてくれるようになった。「この前受けたあとこうなったよ」と教えてくれたり、友達を連れて来てくれたり。それぞれの人がそれぞれの場所で生きている中で、私はそれをほんの少し垣間見させて貰っているだけなんだけど、なんだかうまく言葉に出来ないが、嬉しい。
あなたが世界を変えたければ、笑うことだ。あなたが地球に対して出来ることは、笑うことだ。とある人からそう言われたことを思い出す。
実際、占ってみると笑いが起こることが多い。自分の悩みを可視化することで客観視出来るのかも知れない。「あ、こんなことで悩んでたんだ」と笑えたら、その人は大丈夫なんだと思う。
自分でやっていて何だけど、路上占いって、改めて見てみると結構不思議な風景だ。大の大人が道端で座って、一枚のカードを見ながら真剣に話しているのって、ある意味ではおかしい。しかもそれに人だかりが出来たり、順番待ちが出来たりするのも冷静に考えたらおかしい。でも、そのおかしさが自然に成立する「占い」って、不思議な機能を持ってるなと思う。それを実行する自分もまた、狂気の沙汰なり、ではあるのかも知れないけど。
冬になったら寒いから路上はちょっと続けにくいなぁ。どうしようかな。というのが自分の最近の気がかり。
【路上占い情報】
栃木県の宇都宮市の繁華街で路上占いをしています。出没は不定期ですが、週末はいる確率高いです。
時間帯:22時くらいから、キリがいいところまで。 料金:5分ごと1,000円〜
路上に出るきっかけの話はこちらをお読みください。↓
この夏、路上で占いをした話。
●占いやってます
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