恥を知る

何を恥と捉えるか、そして知覚するかによって、その人の個性や品格が現れると思う。

五十路目前の上司の行動や発言が否応にでも目に入る機会があり、気づいたことである。

  • 同業他社も数多くいて仕事に絡む場で、酩酊して呂律が怪しくなっている。

  • 自分の会社の代表として参加していながら、簡単な質問(例えばどんなクライアントが多いですか?)について、堂々と分からないと答える。

  • 初対面の人に、いきなり自分はこの分野が全然分からない。今日話してた内容が分からない単語ばかりだった、難しかったと文句を言う(勉強させてくださいスタイルなら◎)

私にとって、これらは恥だと感じた。

羞恥心を持つことと、恥を知ることは自分の中では微妙に意味合いが違うと思う。

羞恥心は行動や状況に対して恥じて後ろめたく感じ、本来の力や言葉が抑圧されるような、少しネガティブ寄りなイメージがある。

一方で、恥を知るということは、自分は同じことをしたいと思うか?という問いに対して得られる答えの一種だと思う。
あくまで答えで、そこには幾許か反省は生まれるかも知らないが、自分の価値観を見つめ直すという点では、むしろポジティブである。

わたしは今回、他人の行動を客観的に視認することで自分にとっての『恥』を知った。

見ていていちばん『痛い』のは、そのときの『恥』を失敗だと気づけないこと。

恥を知るは勇に近し、
でかい人間になりたいなあ~

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