幸せの定義
体調不良が続いています。
少しずつ快方に向かっていますが、気管支の違和感と声枯れと咳が続いています。明日もファスティングかなぁ。
そんな中でしたが、今日は生徒さんの家で食事をご馳走になりました。
とても素敵なご両親で、仲良しな家族です。
食事が終わって、教育の話になりました。
義務教育の間でも、のんびりすくすくと過ごすことができないのが、都会の子どもたちです。
小学校低学年から塾に通い、比較的、確実で安全な会社員になるための人生を歩んでいます。
0%〜30%もしくは70%〜100%に入る生き方(私たちの様な生き方)は、0%〜30%のリスクがある。
でも、30%〜70%の間に入れる生き方だったら、最低でも30%でいれらる。
とおっしゃっていて、
本当にとても良く分かるし、反論もないし、私も自分の子どもを持ったら、努力で確実にそこそこまで幸せになれる道があるのなら、そちらを推奨したくなるかもなぁと思います。
でも、何かが違うんだよなぁ。なぜ、何が違うって言語化ができないんだろう。そして、それを伝えることは、果たしてできるのだろうか。
これをきちんと言語化していかないと、この先、ずっと壁にぶつかっていくんだろうなぁと思いました。
安全に豊かに楽しく満たされて生きていく事も幸せかもしれない。
でも、命を燃やしながら、自分の中にある潜在的な力を社会に生み出して、自分だけの道を切り拓いていく事も幸せなのです。
悩みはあっても、ストレスが少ない。
考えることはあっても、仕事への不満はない。
仕事が人生そのものであり、生きることと仕事をする事が同義語である。
私は、とても幸せな生き方ができていると思っています。
でも、それぞれ、自分が幸せな生き方をできていると思えていれば、それはそれでいいのかな。
頭がぐるぐるします。
答えなんてないのかもしれないけど、もう少ししっかりと言語化できる様に、考えてみようと思います。
田中素子
写真は、川越でいただいた芋蕎麦。