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音楽大学で学ぶ事

ジャックと音楽の木 田中素子です。

昨日は午前中にあった、髙田美佐子先生のフォルマシオン・ミュジカルのクラスを終えて、懐かしの母校 武蔵野音楽大学と長年住んでいた江古田に行ってきました。

大学時代というのは、私にとってとても特別なもので、ノルタルジックなものでありつつ、異次元空間にワープしていた様な気すらする時間達です。

武蔵野音楽大学というところは、驚くほどのお嬢様(洋服に合わせて通学カーの色を変える、しかも同じ車種で!!)がいる一方で、いわゆるオタクレベルの音楽大好きな人達が集まる場所でもありました。

特別お嬢様ではなく、かと言って、マニアックな音楽好きでもない、ただ何となく音楽大学に進学した人達もいます。私はこの層に属していました。

特に親しくなった友人達は「マニアックな音楽好き」が多かったため、そこから影響を受けて、開眼したようにクラシックの世界にずぶずぶとハマっていったのが音大時代で、来る日も来る日も音楽の事を考えていました。

10代後半から20代前半の脳も身体も成長のピークを迎える全盛期に、全ての事柄よりも音楽を優先していたわけです。夜遊びは、ピアノの練習が終わった21:00からでしたし、お昼休みも一人暮らしのアパートに戻ってピアノの練習をしていました。

音楽大学を卒業するという事は、音楽力や演奏力が身につくという事だけではなく(むしろ、それは音大を出ていなくても身につく人たちはいます)、最優先で音楽の事だけに向き合い、同じような仲間達と共に過ごした時期があるという事の証明なのだと思います。

そして、その多感で吸収力の高い時期に、細胞レベルに染み込まれた価値観は、たとえ、その後にどんな道を歩もうとそうそう揺らがないものだと思います。

かけがえのない時間を私の人生にギフトしてくれた両親に、改めて感謝です。

さて、音楽が最優先の価値観を持つという事は、もちろん資本主義とも社会主義とも逸脱し、むしろ、宗教を信仰している事に近いと思います。

事実、音楽を生業としている人たちには、お金や時間や物質的なものよりも、美しさや感動、真実やホンモノの価値など精神的な豊かさを尊ぶ人が多いと感じます。芸術全般にその傾向なのかもしれません。

私が、ジャックと音楽の木 で、先生方と関係良好に、新しい価値の創造をしていく事を楽しみ合っていけるのは、共に共通価値観、共通言語を持っているからだと思います。

話は代わって、前回の記事で、ひと段落ついたら、頭切り替えて、親子リトミックとゆっくりさんリトミックの体験会募集に力を入れよう、と宣言したその日から、まだ何も動いていないのに、毎日数件の申込と、驚くほど大きな団体からのオファーも頂いています。

私がそれどころじゃない時には、ぴたりと止まっていた問い合わせが、意識を向けた途端に待っていたかのように動き始めました。

とても不思議で、とてもありがたいです。

音楽と関わってくださる人々を幸せにするために、今日も楽しみ、頑張ります。


田中素子


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