ないなら、私がつくろう
ジャックと音楽の木 田中素子です。
色々なところでお話していますが、私は、ダルクローズ・リトミック国際サーティフィケイトの免許を持っていません。
会社員時代に、何年にもわたって、朝も昼休みも夜も必死になって、免許試験に向けた練習や勉強を続けてきた私に、一般社会に属する友人たちは口を揃えて言ったものです。
「誰も知らない免許を、どうしてそんなに一生懸命取得するの?」
と。
その頃は、全てをダルクローズ教育に捧げます、と宣言するほどの心酔っぷりだったので、そんな友人たちの言葉も右から左に流れて、必死に勉強を続けていました。
確かに、一般的な「免許」とは、それを持つことで優位性があるものを指します。仕事が増えたり、給与が上がったり、待遇が変わったり、取り扱えるものが増えたり。
ところが、この免許資格は、リトミック界ですらも印籠にならない、なのに、非常に難易度の高い試験を合格しなくてはならないのです。
何年も何年も、回収の目処が立たないことにお金と時間を垂れ流している様に見えた事でしょう。
音楽の世界に関わらず、審美を追求するとどこまでも奥が深くなる芸術文化の世界に於いて、「学ぶ」という事は、それ自体が目的である事が往々にしてあります。また学びを止める事は「維持」にもならなく「衰退」を意味する事だったりします。
だから、私もある時までは思っていました。
「業界外の友達には分かってもらえない。」
と。
しかし、とても恵まれている事に、聡明で社会の一線で活躍している友人が多いので、そんな友人たちの言葉は段々と身に沁みるようになってきました。
私が、これこそは!と思った音楽教育メソッドは、
「ほとんどの人に知られていない」
だから、
「免許を取っても仕事が増えない」
それが現実なのです。
そこで目が覚めて方向転換をするのが普通でしょう。
ところが、私は思ったのです。
これだけ優秀な友人たちが近くにいて助言をしてくれる環境なのであれば、私の役割は、
「ほとんどの人に知られている」
「免許を取ったら仕事が増える」
そんな仕組みをつくる事なのではないだろうか。
今考えると、壮大な方向にシフトチェンジをしてしまったのです。
当然、今度は音楽業界の友人たちから理解されず、ぶつかる時期もありました。
私はどちら側の人間でもあり、どちら側の人間でもないのです。
私自身が、誰かに100%理解されたい、という想いを手放してから、ようやく全てが順調に動き出した気がします。
ありがたい事に、今では業界内外のたくさんの方々に支えられて、少しずつ確実に成長をしてきています。
色々な事はありますが、その都度、結束が固くなり、アイディアが沸き、仲間と恩人が増えていく。
感謝しかないですね。
さて、そんな私自身の免許試験はあと1科目。タイムリミットは来年の夏です。
田中素子
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