怒る理由が見つからない
暖かさに誘われて、よく歩いています。
そうするとあちこちの植え込みに可愛い花が咲いていて、思わず写真に撮っています。
さて、今週は立て続けに、私自身のピアノの生徒さんから、
「素子先生って、本当に優しいって学校で有名だよ。」
「素子先生ほど優しい大人の人、あんまりいないよ。」
「怒っているところを見たこともない。」
と言われました。嬉しい限りです。
私の事を本当に近くで良く知っている人は「そんな事ないよー!」と否定することでしょう。
私自身もそう思っています。
では、子どもたちに叱るのを我慢してるかというと、全然そんな事もなく、ただ、叱る事がないだけなのです。
「じゃあさ、どんな時に怒るの?宿題しなかった時?」
「いや、宿題していなくても怒ってないよね?むしろ、みんな毎日忙しいのに、よく弾いてきてるなぁって感心してる。」
「じゃあ、忘れ物した時?楽譜忘れたら怒る?」
「いや、困るけど怒らない。今日のレッスン、楽譜なしで何ができるかフル回転で考えるよ。」
「じゃあ、何かを壊したら怒る?」
「うーん、わざとじゃなければ怒らないよ。物はいつか壊れるんだから、それが今だっただけでしょ。」
「じゃあ、何なら怒るの?!」
「そうだなぁ.…先生たちに隠れて、先生たちのお財布盗んだら怒るよ。」
「やらないよ、そんな事。思いつきもしない。」
「でしょ、だから怒る事がないんだよ。」
子どもたちが投げてきた内容は、普段怒られている事なんだろうなぁと思って聞いていました。
でも、子どもたちが言ってきた内容のミスなんて、私だってやってしまうし、多くの大人がやってしまうのでは?と思うのです。
それなのに、子どもがやったら怒られてしまうのですから、不思議です。
何度もnoteに出てきている私のダルクローズ・リトミックの恩師、宮良愛子先生がおっしゃっていた言葉で、これまた印象に残っているものがあります。
「生徒ができないのは先生の責任、生徒ができたのは生徒の頑張りなのよ。それを逆だと思っている人が多い。
生徒ができないのは生徒のせい、生徒ができたのは先生(自分)の手柄だと思ってしまっている。
そうじゃなくて、生徒がどうやったらできるんだろう、どうやったら分かるんだろうと工夫をして考えてレッスンをするのが、先生の仕事なのよ。」
これは先生だけじゃなく、生徒=子ども、先生=大人と置き換えても同じだと思います。
そう考えると、たいていの事では、子どもたちを叱る気になんてならないです。
でも思い返せば、Creo BOXをはじめたばかりの頃は、みんなはちゃめちゃで、よく叱ってた気がするなぁ。
きっと彼女たちにとっては叱られている内に入らないのか、もしくは忘れちゃったのかもしれない。
まあ、それもよしということで。
田中素子