ただいま
世界一周を終えて日本に帰国するときの記事になります。
記事の前半は、ウユニからの出国で最後に色々あったことを記録しています。
最後の国になったボリビアの記事は下記をどうぞ。
結論から言うと、冒頭で色々あったとは言え、2022年11月に無事帰国しました。
この時まだ日本は、帰国する時にはワクチン接種証明やらデジタルの入力フォームに記入が必要な時期でした。
バイバイ ボリビア
今回の旅のゴールは、ボリビアと決めていたので後は日本に帰るのみでした。
帰るのみなのに、中々の空旅になったんです。
まず、とにかく一旦リマに戻らなくてはなりませんでした。
リマ→マイアミ→NY→日本(羽田)という行程です。
が!しかし。
そのリマに行くまでに、ウユニ→コチャバンバ→サンタクルス→リマという空旅を遂行しなければなりませんでした。
トランジットの嵐です。
今、振り返ってもできる気がしませんね。
バスの方がよかったかも知れないです笑。
ちなみに、アメリカにトランジットで数時間だけ滞在する場合でも、必ずESTAは必要です。
遅れることで有名なウユニ発
とりあえず、リマを目指します。
まず、ウユニ発の便が定刻通りに飛ぶかどうかから不安でした。
よく遅れることで有名らしいので。
ここでつまずくと、残りあと2本もダメになりますから。
ホステルにタクシーを頼んでおいて、予定時刻に空港到着できました。
チェックインカウンターが開くのを、ソワソワしながら待ちました。
無事チェックインを済ませると、今回はサンタクルスで一回荷物をピックアップするよう言われました(スルーバゲージできないよってことです)。
さらに別のカウンターに移動し、空港使用料11Bを払って、ゲートで飛行機を待ちました。
心配をよそに予定時刻に無事離陸し、あっちゅー間にコチャバンバに着きました。
ここまでは順調。
やっぱり・・・
ウユニからコチャバンバまで来ましたよ。
チェックインを済ませて飛行機を待っていると、フライトが遅れるという連絡が入りました。
うん、そんな予感がしていたよw。
だって、窓越しに見える整備中の飛行機のスタッフの動きが明らかにおかしかったもの・・・。
車輪の所の整備士さんたちの人数が増えていく増えていく。
見るからに何かあったなとリアルタイムで分かりました。
うん、安全第一。
しっかり整備して安全にフライトしてくれればいいです。
時間は二の次です。
とは言いながらハラハラしながら作業の様子を見ていました。
そして、予定時刻より遅れること1時間半以上。
別に用意された機体に乗って、なんとか出発しました。
はい、次のフライト大丈夫か?
大丈夫じゃない
これまたあっちゅー間にサンタクルスに着きました。
そうです、現在コチャバンバからサンタクルスに移動してきました。
ここからボリビア出国です。
ペルーに行けないとヤバいのです!
荷物を受け取ったらダッシュでチェックインカウンターに向かいます。
ボリビアーナ航空のカウンターに着いたけれど、リマ行きの表示がない・・・。
ヤバい気がする。
とにかくカウンターのスタッフに聞いてみる。
すると、案の定
「そのフライトの手続なら終わったわよ。」
ドーーーーーーーーン。
「貸してみて(パスポート)」と、焦る私をみたお姉さんが、何やら操作し始めた。
お? お?? お?まだ行けるか??
隣のスタッフと何やら話をしながら、ウユニからの連絡便が遅れていた事情を察してくれていた模様。
チェックインさせて欲しい!!!
「チェックインはしたわ。急いでゲートに向かって。もう荷物預けは終了してるからこのまま行くしかないわ。」
お、おう!!ありがとう!!
液体系とかなんもしてないけど大丈夫か?とか思いながらもダッシュ!
すると、出国用の手荷物検査ゲートが閉まる寸前だったらしく警備スタッフのお兄さんに
「え?国外?まだいたの?どこ行くの??」
「リマに行くの!!」
「早くしな!急いで!!」
バックパック下ろして、そのまま機会に通してもらう。
え。普通アウトやんな?
あれ?通った?行けた???いいの!?
「通してくれてありがとう!!」
速攻でイミグレへ。
ここも行けた!後は、ゲートへGO!!
という最後の最後ですんごい怒涛の展開でしたが、結果的に無事リマには着きましたw
バックパック小さめで助かりました。
手荷物2個持ち込みOKだったのも幸いしました。
南米旅で何度もお世話になったリマ空港
空港泊したり、ラウンジ使ったり色々お世話になったリマ空港。
ですが最後は、空港直結のホテルで一泊しました。(めちゃ便利だった)
コスタ デル ソル ウィンダム リマ エアポート
ウエルカムドリンクありがたかった。
この旅最後のピスコサワーになった。
なかなか大変なアメリカ入国
早朝の便で、リマからマイアミへ。
今、アメリカに入国するの大変です。
まず、イミグレでめっちゃ並びます。
私は、次にNYへの乗り継ぎが迫っていたのでスタッフに言ってワープさせてもらった程。
NYのJFK空港に着いても、空港泊させてもらえなくて、ターミナル転々とさせられて最後の最後にキツかった・・・涙
なんとか凌ぎまして、翌日午前中の便で羽田へ向かいました。
最後のフライトが、この旅で一番長い時間飛行機に乗ったなぁと思いながら帰国しました。
空港のローソン見た瞬間に「あぁ、日本やな。」って思いましたねw。
一人旅を終えて
たった3ヶ月弱の旅でした。
世界一周するにしては短いと思います。
旅を終えたらどうなってるかなぁって想像したこともあります。
最初にも書きましたが、この歳になって自分探しの旅に出たわけではありません。
旅中に人生が変わっちゃうような出来事があったわけでもなかったです。
結論から言うと、何も変わってません。
でも、行ってよかったです。
本当に本当に。
一つ自信になりました。
この旅が、自分にとってどんな意味を持つことになるのかが分かるのはもう少し先になりそうです。
何年後か何ヶ月後になるのかも分かりません。
今、振り返ったところで大義になる段階でもないと思ってます。
それでも行ってよかったです。
大義にはなる段階でないと言っておきながら、自分の中では大きな出来事ではあったので、何か記念に残したいと思って始めた旅の記録ブログでした。
とりあえず、最後まで書けてよかったです笑。
つきなみですが、この旅で出会ってくれた全ての人に「ありがとう。」で締めたいと思います。
2024年の今
世界一周から2年経ちました。
「一人旅を終えて」で書いた感想と今も大きくは変わっていません。
記念にブログを書いてましたが、自分の気持ちや記憶の整理のためにブログやってみてよかったなぁと思ってます。
ブログにした当時は、思いだすのも嫌ですっ飛ばしてますが、アメリカで空港泊した時に、白タクに捕まり法外な値段を取られました(涙)。
空港泊しなきゃいいじゃんと思いますが、ほんの数時間のために一泊5〜6万払うのは、嫌だったんです。
今、NYで宿を取るとそのくらいです。
治安悪いところなら、もっと安く済むと思いますが。
当時、JFK空港は至る所が工事中で「T8しか夜を過ごしてはダメだ」と言われたんです。
T1で過ごそうと思ったのに「出なさい」とスタッフに言われ、T8に戻る時でした。
バスに乗ろうと思ったのに、できなかったんです。
英語が不得意なせいもあって、断りきれなかったんです。
夜で、かなりビビってたのもあります。
最後の最後にやられちゃいました。
皆様もJFK空港を利用する際は、白タクにお気をつけください。
振り返りで嫌な思い出を持ってくることもないだろうとも思いましたが、旅は楽しいだけじゃないこともあるよってことも事実なので。
無事帰って来れたからいいんです。
今回、こうしてnoteに引っ越してきたわけですが、noteにはブログの時にはあえて載せないようにしてた気持ちや考えも少し追記してきました。
旅はその人のものなので、私情は余計な情報だと思っていたからです。
ブログでは、自分の想いは最初の「世界一周に行った理由」とこの「ただいま」の記事以外は、あまり書きませんでした。
ですが、noteは自分考えや意見も入れたほうがいいのかなと思い、当時思ってたことを入れ直した記事もあります。
でも、感情や想いを言葉にするって難しいですねw
帰国して、当分は海外に行くこともないかな〜と思ってましたが、
あれから年1ペースに戻って、海外旅もしております。
一人旅もいいけど、誰かと行くのはやっぱり楽しい。
世界一周という括りのシリーズは一先ず終わりますが、海外旅に限らず知らせたいなって思ったことは載せていくので、まだしばらく続きます。