サブスクで音楽が聴き放題になったのに、出合いが増えた気がしない
定額制の音楽配信サービスが始まって数年が経過し、今や、定額配信はすっかり定着した感があります。「YouTube Music」や「スポティファイ」、私も愛用しています。サービス開始当初は、リストに入っていないアーティストが多かったものの、私は「聴き放題」という魔力に取りつかれ、それこそ、貪り食うように聴いていました。特に、MDを編集して聴いていた時代の楽曲を、今、再び聴けるという事実は何にも代えがたく、当時を思い出しながら、切ないような、甘酸っぱいような気持ちで、配信を楽しんでいました。
ところが最近、気づいたら、同じような曲ばかり聴いている自分がいます。もちろん、検索して聴くだけでなく、リコメンドに沿って聴いていくこともありますが、大体は、聴いてきた曲や、なじみのある曲、アーティストばかり。「お気に入り」が増えるということが滅多にありません。
せっかく「聴き放題」なのだから、もっと幅広く音楽に触れたいという希望を持ってはいるものの、どうも、見ず知らずのジャケット(楽曲)には手が伸びません。では逆に、なぜ昔は知らない曲にも積極的に触れていたかと思い返してみると、「ワッツイン」とか「CDでーた」といった音楽雑誌を読んでいたからだと気づきました。
当時の生活習慣はと言えば・・・。まずは毎週、欠かさずに音楽雑誌をチェック。インタビュー記事や、レビュー記事を読んで、シングルやアルバムの内容を確認(勉強?)します。アーティスト本人の思い入れを聞くことも興味深いものでしたが、本人以外からの紹介や批評も楽しみにしていました。そして、いつ聴きたい曲が流れるか、タイミングを逃すわけにはいかないと、テレビやラジオ番組をくまなくチェック。最終的に、入手するCDを厳選して、発売日のリストを手帳に記入。当日を、ワクワクしながら待っていました。
要は、入手に時間や手間がかかる分、既に、はち切れんばかりの思い入れをもった状態で、楽曲に接していたのです。元も取らないといけないから、そりゃ、繰り返し聞きますよね(笑)。期待が外れた時の「ガッカリ」も含め、吟味するという経験が、楽曲への理解、音楽自体への造詣を深めることに繋がっていたというわけです。
今は、とにもかくにも、「とりあえず聴く」ということができてしまう。だから、パッと聴いたときに、多くの人の感性に響くかどうか、という点が楽曲の価値のようなものになっているように思います。感覚的にはファッションに近い。その代わりに、消費期限が短いという。音楽配信サイトのインタフェースは、そんな時代に即したつくりになっているように感じます。良くも悪くもカタログ的と言いますか。
楽曲のことをより深く知る手がかり、つまり、「楽曲の背景」と、実際の「音源」とが分離してしまっていることによって、音楽配信サービスの価値が半減しているのではないか。(本当は、もっともっと盛り上がっても良いのではないか?)
聴けば聴くほど、知れば知るほど、面白くなっていくのが音楽の醍醐味だと思います。ですから、現状が完成形ではなく、そこに繋がるようなサービスに進化していったら良いなと思っています。当時のイメージで言ったら、音楽雑誌を読みながら、実際の音楽が聴けてしまう。そんなシームレスな環境になれば、まさに夢のようです。
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