音楽講師が「大人」を上達させるのは、本当はかなり難しいということを言葉にしてみる
音楽講師って簡単になれると思われている(気がします)。特に、趣味の大人を教える場合。「専門的な内容がわからない生徒に、それらしいことを言う」でレッスンが成立してしまう危うさを秘めているということもありますが、根本的な問題としては、レッスンの何が難しいのかが、整理・共有されていないことにあると感じています。
講師が使命感を持って、レッスンの質を上げていくためにも、生徒となる人が、粗悪なレッスンをつかまされないためにも、モヤモヤっとしているものを、言葉にしてみたいと思います。
音楽講師が、講師という仕事に就いた段階では、当然ながら、誰も教えたことがありません。長期間にわたって変遷を見てきたのは、自分というサンプルだけ。つまり、教えるという意味では、自身が教わってきた方法、その1つしか知りません。
でも、一定の教育を受けてきたなど、生徒の前提(能力・スキルなど)が、ある程度揃っていれば、たとえ教えるのが初めてでも、自身が習ったのと同じ方法を用いることができます(精度はともかく)。それは、長い時間をかけて多くの人が取り組み、選択され残ってきた、既に洗練されている方法だからです。
一方、相手が大人(音楽を専門としないという意味での素人)である場合は、生徒個々人の前提が揃っていません。だから、講師が既に持っている方法ではうまくいかないことが多々あります。
基礎があるのか、無いのか。全体的にレベルアップが必要なのか、それとも、どこかがネックになっているのか。何かうまくいかないことがあった場合、あちらがダメだったらこちらでと、試行錯誤を繰り返します。
まずは生徒ごとに個別対応し、その後、レッスンを重ねていく中で、類似する例を集約して、方法論として確立していく必要があります。講師が講師として、時間をかけて場数を踏むことでしか、多様な大人に対応できない。だから、専門性を持った人が講師になったとしても、いきなり「上達するレッスン」を提供するのは、難しいのです。
さらに言うと、自分と向き合って、しっかりと上達を目指す「本気度の高い大人」からしか、方法論に昇華できる事例が集まらないという、別の難しさもあります。どうやって、そういう人が集まる場を作っていくのか。
同じ「個人レッスン」と謳っていても、誰にでも当てはまる部分を順番に提供していくレッスンでは、本当の意味での、個人レッスンとは言えません。やりがいや意欲、楽しさは、「できる」の少し外側にチャレンジするときに生まれるからです。
個々人の特性に合わせて、「できる・できない」の境界線を見極め、それを突破するための具体的な方法を提案できるかどうか。そういうことが、講師には求められます。
逆に言うと、上達を目指す人は、上記のようなことができる講師を探さないと、「一定レベルから先へは行けない」ということになってしまうのです。(同じところをいつまでもグルグル回っている感覚で、飽きてしまう。)
大人のレッスンの難しさ。何となく、伝わったでしょうか。