『青春』の意味
みなさんにお聞きしたいことがあります。
青春があったという自覚がありますか?
手を挙げた人はもう30過ぎてるんじゃないですか?(ド偏見)
歳を食うほどこういう質問に「青春はあったよ」とか「青春はね....」と思い出を語り出す人が沢山出てくるってアルムのモミの木が言ってました。
私はまだ成人にもなっていないので、自分が今青春してるなっていう自覚はありません。そういうのって過ぎてから気づくものです。自分のやってきたことはこういう風だったって客観的にカテゴライズできるのには、おそらくまだ時間がかかるでしょう。
で、なんですけど。青春があると言い切った人にお願いしたいことがあります。
青春を言語化していただけませんか?具体的に。
いやそう言われても....ってなると思います。だって、そういうのがはっきり見えないことは私たち何となくわかってるじゃないですか。青春とはコレです!って短絡的に結びつけてる人は多分青春足りてないと思います。もしくはまだ青春してる。そんなひとつの言葉で語れるような時期じゃないから、『青春』という便利な言葉ができたんでしょう。言い換えが効かないから言葉は生まれるのです。
しかし、そんな青春を言語化しろっていう厄介な奴らがいるんです。それは、高校演劇の審査員達。彼らは、青春を表現してくださいと言っちゃうんですよ。
もちろん、審査員は名だたる演劇人です。その地区では名前を知らない人はいないんじゃないかみたいな感じの人達がきているわけで、それだけ彼らは歳も食ってます。ということは、長い間自分自身が青春に触れていないことになります。だからこそ、青春が何なのかを客観的に見つめることができるわけです。
しかし、高校生は青春の真っ只中にいます。だから、青春が何なのかがわからないし、表現しようがない。「こうやってください」という明確な答えがないなら更にわからないはずです。彼らはまだ答えのある勉強しかしてきていないはずですから。
彼らは大人の求める答えに必死に食らいつきます。あーでもないこーでもないと、何度も何度も練習をします。でも、いつでも評価されるのは、その大人が思う青春で、彼らなりの青春ではないのです。つまり、大人が考えている青春と、高校生の考えている青春にはズレがあります。
だから、青春って評価ができないものだと、私は思います。
人の青春なんて、自分の事じゃないんだから完全にわかることはできません。ある程度の共通部分はあるかもしれませんが、全てが重なる人はいくら親友でもいないでしょう。親友と彼氏を共有してたとか、文字通り一心同体だったみたいな人がいるなら、私はこの言葉を撤回しますが。
では、改めてお聞きします。
青春ってなんですか?
これをちゃんと言語化できたなら、あなたはもう大人でしょう。
若造の私には、まだ到底理解ができない領域です。