自己肯定感は嘘
自己肯定感というありふれた言葉をいまさら語りたくはないけれども、それでも自己肯定感が嘘だなあと思うようになったし、4年間にして自分を受け入れられるようになっている気がする。
まず自己肯定とは、自分がダメでもまあいいかと受け入れられる開き直りだと私は思っている。私は4年になって素の自分も他人の前に出せるし、それが怖くなくなったと思う。
それは開き直ることができるようになったこと、周りの人もダメであることを知ったからだと思う。
開き直りとは20年生きてしまったことでいまさら自分は変えられないし、という諦めである。自分がいまさら性格や容姿で悩んだって友達は自分についてずっと昔から知ってくれてそれでもなお友達でいてくれる。だから自分は自分が思うほどおかしくないという開き直り。
周りの人もダメであることを知ったのは最近で、自己肯定感を飛躍的に高めてくれた1番の要因だと思う。私が最初完璧に思えた人たちだって、ダメなとこもある。性格は絶対に表裏一体でできてるし、悪口を言わずに誰にでも合わせることができる人は意外とみんなから距離を取られていて深い友達がいなかったりする。最初が完璧に見えたのは、ただその人が他人に見せれる自分の役がかなり固まってて、演じることが上手いだけだ。
自己肯定、昔は自分を愛すことだと思って頑張っていたけど4年経って別にそういうことじゃないなと思う。ただ他人の状況を客観的に見て、全員平等にダメなところがあることを知って、自分に開き直り、自分にダメなところがあっても合理的に他人と相対化して受け止められるようになったというだけだ。
でも明らかな能力差とか、体力差とか、肌の荒れづらさとかそういうもう一生変えられないことに対しては一瞬どうしても比べちゃうし、不公平だって思うこともある。でももうちょっと人生を読み進めたら大したことなくなるんだろうなと思ってとりあえず生きていく所存です。