材料学的バルザック『絶対の探求』を読む
オノレ・ド・バルザック『絶対の探求』1834年・フランス
※大学書評コンテ落第文につき拙き赦しを請願候。埋める所もなければネットの海にぶちまけ供養候。
オノレ・ド・バルザックは偉大な小説家であった。彼の小説群は長短90篇もの「人間喜劇」シリーズより成り、2000人もの登場人物をスター・システムとして再登場させる手法で、作品は網を組むように繋がる一つの大きなドラマを形成する。その結果、彼に至っては20巻以上の全集すべてが読むべき作品であり、全集でさえ収録しきれない傑作がなお存在する有様だ。その長大さは文章もそうであって大抵、冒頭数十頁は人物、舞台紹介で、「そういう準備的な事柄に不服を申したてる人もいるが、しかしそれは、そもそもの原因をへずに感動を(中略)ほしがるようなものである」らしい。だから最初は事が起こらずとも我慢しなければならない。全く知らない二世紀前の異国の風土やフランス革命の歴史が語られ、私も何度挫折しただろう。しかしその先に待つのは壮大な人間ドラマなのである。
膨大な著作の中で『「絶対」の探求』を選んだのは本作の主人公バルタザル同様、私自身「絶対」の探求者であったからだ。「絶対」とは何か。古くは神であったろう。しかしその絶対性は科学によって否定された。バルザックの生きた19世紀はそんな宗教から科学へ移った時代だった。天才化学者バルタザルはかの有名なラヴォアジエの弟子として登場する。当時はボルタ電池の発明で新たな結晶析出法である電解精錬が注目されていた。析出物は銅など種類は限られているが、当時はまだ様々な物質が析出可能と思われていた。だからバルタザルはある絶対的な物質の精錬に取り組んだのである。それが破滅への研究だとは知らずに。
彼が得ようとしたのはダイヤモンドだ。炭素の共有結合結晶であるダイヤモンドは物質の中でも極めて安定である。しかし共有結合は結合だけ見れば金属よりも遥かに強いが、それ故延びず割れやすい。傷には強いダイヤモンドでも、ハンマーで叩けば粉々に砕けてしまう。バルタザルが求めたものはそんな物質だった。裕福な出自の彼がなぜ家を破産させてまでそれを求めたか。その訳は例の如く冒頭、彼の出自に関する描写にあり、バルザックの写実主義は伏線というにはあまりにも膨大な要素の結びつきによって人間の必然的な結果が考察される。これを倒叙したらばコナン・ドイルの『緋色の研究』の如き探偵小説の源流とも言えよう。
ダイヤモンドは正に物語の家族を表していた。その強い愛情による結合は少しの亀裂で砕け散ってしまったのだ。人の思い描くダイヤモンドの幻想にはそれが壊れることを知らぬ永遠の形として浮かばれる。彼が元来大事にしてきた庭のチューリップもその永遠の幻想を前に散ったのである。片輪の妻を心から愛した彼が欲したのは完璧な形ではない、永遠に変わらぬ形だった。人間は誰しも永遠を欲するものだ。もし永遠が手に入るなら、それを得ない法があろうか。そんな難しい命題が潜んでいるのもバルザックの小説の魅力なのである。