英語を言語と捉えるか、お勉強と捉えるか
7年くらい英語を教えているんですが、
生徒の中で2種類の子がいるように思います。
英語を言語、と捉えている子と、
お勉強、と捉えている子。
これがあんまり学習歴に関係なくて、
長いこと習っててもお勉強感がある子もいるし、
2年くらいしかやってないけど言語と思ってるな、って感じる子も。
これ私だけがなんとなく思っていることなのか、
英語を教えている方は感じられているのか、
よかったら教えてもらいたいところなんですけど。
どの子も同じように、
英語を聞いてマネするところから
会話練習をたくさんして、
だんだん読みの練習に入って、
そのうち英検の勉強や文法をしだして、
英作文とかもやりだしたりして。
とこういう流れでやっていくんですが、
英検とか文法をやりだすあたりから、
なんとなく「言語」に寄っている子と、
「お勉強」に寄っている子がいるかんじがしてきます。
「言語」と思ってるかなと思う子は、
あんまり考えずにフィーリングで正解を選んできます。
自分の中にある「違和感」を大事にしているというか、
なんかこれは違うっぽいぞ、と思ったらそれは選ばないというか。
そしてなんとなくこういう意味だろう、
とざっくりと文章全体を理解しているという感じがします。
「お勉強」と思ってるかなと思う子は、
ひとつひとつの単語の意味を調べたり、
全文日本語訳を書いてみたりしますね。
「doesってなに?」とかそういう疑問も持ってたりします。
これこれこういう決まりでこう並べるよ、というような説明があると
納得して選ぶことができます。
英語を要素で分解して考えてるといいますか。。。
私は本当は前者のように、
いっぱい英語を聞いて話して読んだことがあるから、
なんか自分の中に「違和感」が生まれることを期待して、
英語を教えているつもりなんですよね。
そういう感覚が育っていたらガリガリと文法をやらなくても
相手の言うことが分かる、文章の意味が分かる、
言いたいことが言える、のじゃないかなと思うからです。
だけどそうじゃないタイプの子もいるのかも。
きちんと理由があってこう並んでいる、ってわかった方が
理解しやすいのかもしれない、と最近思ったりします。
それが個人の思考の傾向なのか、
教え方のせいなのか、
その辺がわからないままですが、
タイプに合わせて英語を理解していってもらえるように
するのが個人塾のやるべきことではないかと思うので、
がんばる所存です。
どなたか詳しい方がいたら教えていただければありがたいです!