2009 バックパッカー日記 東南アジア編 (タイ バンコク) #4
2009/JAN/18 タイ バンコク 入国
2009/JAN/24 タイ ノンカーイ 出国
2009/JAN/24 ラオス ヴィエンチャン 友好橋 入国
1月18日からバンコクで自堕落な生活をし、
1月23日の夜行列車でラオス ヴィエンチャンを目指しました。
それでは、1月22、23日の日記を回想します。↓
1月22日
昨夜、9時頃、屋台でエビと野菜炒め、貝のタイ風炒め、ご飯を食べ、
ビアチャンを飲んで、すごく気持ちよくなって、カオサンを歩いてた。
服屋、アクセサリー屋、トランス、ヒップホップ、バー、古本屋、ナイトクラブ、英語、タイ語、フランス語、ドイツ語、日本語、スペイン語、イタリア語、韓国語、旅行屋、インターネットカフェ、ゲストハウス、カフェ、土産屋、レストラン、トゥクトゥク、タクシー、警察。サイケトランス流す屋台バー。
1月23日
バンコク発ノンカーイ行き乗車20時発。
12時間、寝台列車。カオサンを離れるのが寂しくなった。
まだ出発まで時間があるから、toykoってビルの二階のdunkin donutsでドーナツ食べながら、書いてる。
思った事を正確に伝えようと思ってる。
ぼーっとしてる日々があって、草、吸い過ぎて今、こうして、何か書こうと思ってる。タイの人が目の前で働いてる。
なんか掛け声みたいな事を言って、レジの人が、返声を言ってる。
何を言ってるかは、わからない。
言葉がわからない分、顔の表現が、すごい豊かになってる。
笑ったり、怒ったり、哀しかったり。言葉なしに表現してる。
一人、口でモゴモゴ言ってる時もある。独り言を口にする事も多くなってきた。
自分が、自分に言葉を投げかけて、もう一人の自分がそれについて考える。深く考えてる。
dun-kin donutsが村上春樹さんの好きな食べ物だと書いてあった。
初めてだけど、コーヒー飲んで、ドーナッツ食べるのおいしいです。
草を吸うからか、時間が早くなったように思える。
どこまで出来るの。これだけの時間があるって、とても貴重な時間。
目に余る物事をこの目から余らせないように見ていく。
目をそらさない。物乞いが路上に座って、手を合わせる。
片方の足を出して、膝から下の部分が切断されていて、足がない。
マクドナルドのジュースカップに幾ばくかのコインを振りながら目を俺にあわせる。
手足の短い人、病気の人、アルコール中毒の人、社会からはみ出た人。
障害者を守る事のできない保障のない社会。
日本で生まれてそんな環境があるなんて知らないから、
ただ街うろついて、草でハイになって、それで終わりなんていやかもしれない。
もっとたくさん見なきゃ行けない。行動しなきゃ行けない。
ただ違う場所で生まれて、社会のシステムも、政府に対する行動も、課題に対する意識や、マナー、人それぞれ違う場所で生きてる。
日本で命を授かった。アジアで、日本で、。それだけ。
国々を歩いて回ってる。食べる物も、違う。これだけ違う世の中があるってこと。目で見て、耳で聞いて、。もっと、もっとある。僕は恵まれてる。
こうやって、思ってる事を書き綴ってる。こんな事ができてる。
白紙のノートに書いてる。ジャンクな言葉を使って書いてる。
一人しかいないってことを書いて表そうとしてる。難し作業だ。
何も知らないで、日本に住んで暮らしてたかもしれない。
幸せだったかもしれない。そんな自分になりたくなかった。
自分がなにものかなんて知らない。あなたも知らない。
空の上から僕をみたらどんな風に見えるかな。
どんな姿で、重い荷物を背負って、街の路上を歩いてるのかな。
かっこ悪くないだろ。自分が自分に対して、かっこ良く生きる事。険しい上り坂。
夜行列車に乗る前に、ダンキンドーナツを食べたことを思い出しました。
自分は、何も知らないって事を、知る ような内容が書かれています。
無知の知。
当時は、デスクトップがたくさん置いてあるインターネットカフェがあった。
メールを家族や友人に送ったり、旅の情報を集めていたりしていた事も、思い出します。
ちょうど、facebookが流行りはじめの頃だった。
バックパッカーと出会う中で、facebookで繋がるようにもなりました。