85日目(3)- 願出
(前回の記事)
さて、朝食の後には、曜日によっていくつかの「公式行事」が控えていた。大きくは「願出(ねがいで)」「風呂」「洗濯」の3つである。
まずは「願出」。
これは土・日を除く毎日、行われる。看守が、各種届出用紙の入ったキャスター付きのラックを押して回ってくると、食器口からヒョイとのぞき込み、「ガンセン!」と呼ばわる。漢字で書くと「願箋」である。届出事のある者はあらかじめ食器口に並んで待っており、「××番、○○願いお願いしま~す!」とやるのである。
ここでは、ありとあらゆる事が全てこの「願出」を経てからでないと出来ないシステムになっていた。
主な「願出」。
もっともよく使用されるのは「仮出願」であろう。
これは、自分でもってきた物品や差し入れ品を部屋に持ち込むための願書である。
衣服なら形態と色、本ならば題名と数量を明記して左手人差し指で指印を押し、提出する。すると大抵は、翌日には房に届けられる。
もっとも、本も衣類も3つまでと厳密に決められており、余分は返却せねばならない。
このような、房の内部との物品のやり取りは、ほとんどの場合、模範囚と思われる囚人服をきた人によって行われるのだが、「誰が何をいくつ持っているか」を実に細かくチェックする用紙を持っており、パンツ1枚から石鹸1個に至るまで正確に把握されているので、こちらがうっかり間違えてもすかさずチェックが入り、余分な物品はいっさい房に持ち込めない仕組みになっているのである。
次によく使われるのは「宅下げ」であろう。
実はこれ、留置場でも同様の規則があった。
理由はよくはわからないが、本来、留置場でも拘置所でも、衣類の洗濯は、下着以外は許されていないのである。従って、ふだん着用しているトレーナーやジーパンは、この「宅下げ」申請を出し、面会に来る家族友人に引き取ってもらい、洗った上で再び「差し入れ」してもらう、というのか本則なのであった。
ただ、現実には僕のように遠隔地で捕まった者はそうそう頻繁に面会がある訳ではなく、やむなくその場で洗うしかない。留置場では刑務官が洗ってくれていたが、拘置所では自分で洗う仕組みとなっていた。そこで登場するのが「特別洗濯願」なのであった。
自分で洗うのになぜに「洗濯願」? と言う疑問のわく向きもあろうが、要するにこれは、「下着以外の衣類を乾かしてもらう」願書なのである。しかし「願出」は出すものの、べつだん乾燥機等を使ってくれる訳ではなく、目撃情報によると、我らが洗濯物は、通路の片隅にずらりとぶら下がっていた由。実際、大半の洗濯物は、戻ってきた時点では生乾き状態であることがしばしばであった。
「願出」に関しては、ほかにも「「医務願」や「一時閲覧願」等々があるが、これらについてはおいおい述べていくこともあろう。
この日、僕の出した重要な「願出」は、「五品目」の購入であった。これは、通常の購入日とは別に、入ったばかりの人が、当座の生活に必要な物品を特別に五品だけすぐに注文できるシステムである。
以前も述べたように、入ると同時に支給されるのはガリガリの砂のごとき歯磨き粉や、まるで石ころのごとき、機能一点張りの石鹸のみである。少しでも文化的な生活を送るべく、僕が先達のアドバイスを受けて発注したのは、以下の五品目であった。「ハーネス石鹸」「石鹸箱(プラスチック製)」「トニックシャンプー(リンス・イン)」「ボールペン」「練り歯磨き」
3日後には届くはずなので、それまでは支給品の磨き粉で歯を削らねばならぬのであった。
(つづく)
※この手記は2003年に執筆されました。文中の人物名はすべて仮名です。