見出し画像

【9/23横浜戦◯】「挑戦者」のヤクルト

「まだまだ僕たちは挑戦者」と、田口が言った。

ああ、そうだ、それだ。と、私はなんだかすとん、と、腑に落ちた感じがした。

「連勝」にも「優勝争い」にも、慣れていない。私がヤクルトを好きになったのは2017年だった。その年ヤクルトは96敗をして、借金51でシーズンを終えた。「なんでまたこんな年に」と、もう40年以上ヤクルトファンをしている先輩は笑って言った。それを言うなら「なんでまたこんなチームを40年も」とも言えるわけだけれども、人にはそれぞれの事情と物語がある。

だからとにかく、この事態をどう受け止めればよいのか正直に言ってわからずにいた。喜びはもちろんめちゃくちゃある。だけど、素直に言えば「こんなに勝ってしまってどうしよう」という気持ちの方が、少し大きかった。「ここからまた最後まで一勝もしないとか、そんなことになったらどうしよう」という不安も、少なからず、あった。

いや、そんな後ろ向きなことこんなときに考えちゃだめでしょ、という話なのだけれども、それでもこの数年の間に数々見た「とにかくめっちゃつらい試合ととにかくめっちゃつらい時期」は、私の心にどんな時も保険をかける術をしっかり覚えさせた。

卑下することはまったくない。だけど、謙虚さは忘れちゃいけない。と、いうのがたぶん、私が常に思っていることなのだ、と思う。自信は必要だ。だけど自信で盲目的になって周りが見えなくなることは何よりこわい。と、なんだかいつも思っている。

それは単に、ヤクルトどうこうでなく、自分自身が勝つことに慣れていないからかもしれない。いや、勝つことどころか、勝負そのものにたぶん、慣れていない。

なにかにつけて勝負ごとみたいなものを避ける節がある。コンテストみたいなものにもほとんど応募したことがないし、誰かと競うスポーツも中学生以来ほとんどしていない。それは例えば「負けたくない」というよりは、そもそも「勝つ」ことをそんなに、求めていないのだという気がする。誰かに勝ちたい、この人の上に立ちたい、という気持ちが、たぶん昔からものすごく薄いのだ。

もちろん、誰もがみんなそうだとは思っていない。勝つことにこだわる人がいる。勝つことを仕事にする人がいる。自分がそこにいないからこそ、そういう世界にいる人を応援したくなる気持ちもあるのかもしれない。

でもなんにしろとにかく、そもそもが勝負ごとに慣れていないから、そして勝負したとしても勝つことよりも負けることの方がずっと多いから、いざヤクルトがこんなに勝つと、ほんとうに「どうしていいかわからない」みたいな気持ちになってしまうのだ。それはここにきて、そしてこの歳になって、初めて知ったことかもしれない。

でも、私とは違ってきっと勝負ごとには慣れていて、そして勝つことをよく知っている、優勝の経験も何度だってある田口の「挑戦者」という言葉は、なんだかすとんと、私の中に入ってきた。ああそうだ、ヤクルトはまだ「挑戦者」なのだ。

そしてきっと、私もそうなのだ。

いつもいつだって勝つわけじゃない。勝つことが当たり前のチームでは、決してない。開幕前の順位予想では「6位」ばかりだったチームだ。でも、そのチームが今、夢みたいに思えた「優勝」に向かって、挑戦している。

そんなチャンスは、何度も巡ってくるわけじゃない。来年の同じ時期、同じ場所にいられる保証はまったくない。それでも、だからこそ、今その可能性がある中で挑戦する選手たちを、チームを、私は目をそらさず見ていよう、と思う。「勝つ」ことがどういうことなのか、それを知ってみよう、と。

田口の言葉には、上品な自信とそして謙虚さが見えた。ああ今のヤクルトはこうやって、いろんな人達の、いろんな力が結集しているのだな、と、改めて思う。

「今年の快進撃の立役者」みたいなことがよく言われる。負けた日の「あの選手のこのプレーが敗因だ」というのの逆バージョンだ。だけどたぶん、どちらも、一言ではそれは語れない。

外国人選手二人の活躍はめちゃくちゃ大きかった。塩見の覚醒ももちろんだ。奥川くんがめきめき成長していることも、村上くんが相変わらず安定してかみさまなことも、そしててっぱちがこのチームに残ってくれたことも。

でもそれ「だけ」じゃ、決して、ない。ここにきてプロ初セーブをあげたほしくんがいる。試合に出ていなくても「嶋さんのおかげです」と言われる嶋さんがいる。内川さんの姿だってきっとみんなを鼓舞した。ぐっちも、なっしーも、石山も、なかなかそこに立てずもがくみんなも、きっといろんな形で貢献しているのだ。

それが、今のヤクルトなのだ、と思う。それは私が好きなヤクルトそのもので、こうやって強くなってくれたらいいなと思っていたそのままの姿、なのかもしれない。

だから怖がらず、今のヤクルトをちゃんと見つめていよう、と思う。めきめきと自信をつける選手たちに、おいていかれないように私もがんばろう、と思う。

いつだってどんなときだってここで応援していこう、と決めたのだ。いいときも、そうじゃないときも。それはもちろん、いいときだって「こわがらず」目をそらさずに、しっかり見届けよう、ということだ。

しかしこれはほんとうにあれだ、「幸せになるのがこわい」みたいな、だめんずにつかまったやつみたいだ…と、そんなことを思いつつ、またいつもと同じように、応援していこう、と思います。なんだかほんと、結局いつだって振り回されっぱなしなのだな、ヤクルトに。


ここから先は

0字

¥ 100

ありがとうございます…! いただいたサポートは、ヤクルトスワローズへのお布施になります! いつも読んでいただき、ありがとうございます!