武内さんを思う彼女と、諦めないヤクルトの物語と 【5/8阪神戦△】
その日、彼女は一塁側内野席で、武内さんのタオルをぎゅっと握りしめていた。それが彼女との出会いだった。去年の秋、そこは私にとっての「ぐっち席」で、彼女にとっての「武内シート」だった。
武内さんの引退発表があった日、私は真っ先に彼女のことを思い出した。私がまだ経験したことのない、「誰よりも好きだった選手の引退」を前にした彼女の気持ちを思った。そして、このnoteを書いた。
実はこの日、少し緊張しながら、彼女にメールをした。いつだったか撮った、武内さんのブレブレ写真と一緒に。私の動揺なんかよりもずっとずっと、彼女の心の動き激しいはずだけれど、私には言えることなんて何もないのだけれど、でもどうしても、何かを伝えたくて。
彼女はすぐに返事をくれて、そして、教えてくれた。
来年の春から、仕事で海外へ行くことを。いつ帰ってこられるかはわからないので、今年がシーズン通して野球を見られる最後の年だったことを。そしてその年に武内さんが引退することも、何かの運命だったのかもしれないと感じたことを。(ついでにその年の最後の試合がノーノーでもう笑っちゃったことを。)(ほんとだよあのチームときたら!)
誰かの人生に、野球が重なるその運命めいたものを、私はつい感じた。その物語には、終わりがないのだ。
季節が巡り、「来年の春」は、やってきた。彼女から連絡が来た。今日が渡航前最後の試合になります、と。それが今日の試合だった。
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先発のけいじくんは、早速4連打を浴び、1回に3失点した。主力を欠きまくる中、なんとか必死でくらいついてきた集中力が、ふと切れる、そんな試合になるのかな、と私は思った。
息子はあとから、「これスミサンになる試合だと思ってた。スミイチじゃなくて、スミサン」と言っていた。私も途中から正直、そう思っていた。
息子は続けて言う。「目を覚ましたら5点になってた。もうダメだと思った。」私ももちろん、そう思った。
8回表、息子は隣でうとうとし始めていた。小学生も宿題やらサッカーやらヤクルトの試合やらでお疲れなのだ。もたれかかる息子をとんとんしながら試合を見ていたら、我らがジョニーデップこと五十嵐さんは2失点をした。防げた2点に思えた。私の心はぽきっと折れた。
でも次に息子が起きた時、ヤクルトは5点差を一気に追いついていた。「あそこの意味がわからなかった」と、息子は言った。私ももちろん、意味がわからなかった。
息子は寝れば何か起こるらしいと悟ったのだろう(いやちがうけど)。12回もずっとうとうとしていた。起きたら2点を取られていた。そして次に起きた時には、「なぜかムーチョが二塁でガッツポーズしてた。全然わかんない」。もちろん私も、全然わかんない。
終わってみれば、とてもとてもヤクルトらしい試合だった。いやなんというか、とんでもない試合だったけれど。見ている方がどれだけ「こりゃお手上げだ」と思っても、絶望しても、追い越されても追い越されても、最後の最後までくらいついていく、こちらの気持ちを良い意味でしっかり裏切ってゆく試合だった。
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彼女が日本を発つ前に見たヤクルトの試合は、そういう試合だった。
「嫌なことも辛いこともあるかもしれないけど最後まで諦めるなと、ヤクルトが自分を鼓舞してくれたみたいに思えて、なんだか久しぶりに泣いてしまいました。」そう彼女はメールをくれた。
最後に彼女は、よかったらこれもらってください、と、石山のタオルをプレゼントしてくれた。「今年のクルーユニフォーム、石山にしたんですけど、よかったら代わりに応援してあげてください」と、笑いながら。「もうすぐぐっちも戻ってきますね」と言いながら。「ほしくんも早く戻ってきてくれるといいね」と、むすめに笑いかけながら。
神宮には、たくさんの人たちの思いが集う。もちろん、みんなが違う人生を生きている。年齢も、性別も、宗教も、ともすれば人種も、考え方も、好きな食べ物も、生まれた場所も、もちろん応援スタイルも、好きな選手も、みんな違う。でも、一つだけ同じ思いを胸に、そこに足を運ぶ。
戦う彼らの姿は、ファン一人一人の人生に、重なり合う。私たちはいつしか彼らに励まされ、そして祈るような思いは、風のように、ふっと彼らにも届くのかもしれない。
届いているといいな、と思う。
勝ち負けだけじゃない、それだけじゃない。大切な何かがそこにはある。ノーノーされた日も、誰かの引退を知らされた日も、誰かが離脱した日も、それでもここに集う人たちのその思いが、いつか力になるように。そして、その人たちのそれぞれの人生が、素晴らしいものであるように。私は今日もここで、祈り続ける。