傷を負いながらも走り続ける誰かを思いながら【8/1横浜戦◯】
ノーヒットノーランを達成するピッチャーは、ほとんどいない。
私が目の前で見たノーヒットノーランの試合はひとつだけだ。なんだったかは忘れたけど。つまり、ほとんどの試合において、ピッチャーはランナーを背負った状態で投球をすることになる。そして、多くの場合、そこで一度くらいは失点もする。人は誰もが、無傷ではいられない。
だから大切なのは、ランナーを背負った時こそ、失点を許してしまった時こそ、そのあとにどういった投球をするのか、そのピンチを切り抜けるのか、ということになる。
山田大樹さんは、「いつものヤクルトならここから5失点くらいするぞ」というピンチでも、表情を変えず淡々と投げ続け、最少失点でしのいだ。ノーアウト満塁のピンチに至っては、無失点で切り抜けた。ヤクルトにおいてノーアウト満塁は無失点が常だけれども、そのピンチを切り抜けるところを見ることはなかなかない。だいたい5失点が常なのだ。
久々に目にするその「ピンチをしっかり切り抜ける」という姿が、何だかとてもたくましく見えた。
もちろん、ランナーを一人も出すことなく試合を終えることができれば、それに越したことはない。それはたぶん、最も、勝ちに近づく方法だ。20点取ることよりも、ランナーを決して出さない、ということの方が、現実的には勝ちに近い。
だけど、そこには例えば、味方のエラーもミスも絡んでくる。とんでもなく調子の良い好打者が打ちまくることだって当然ある。多くの場合、ピンチは必ずやってくる。そういう一つ一つの状況に、その都度向き合っていかなきゃいけない。そこで背負ったランナーと、それが例えば自分の責任ではなくとも、しっかり対峙しなきゃいけない。あらゆる場面で、逃げることなくしっかり投げこまなきゃいけない。
そう、いつだって大切なのは、ピンチを背負わないことじゃなくて、背負ったピンチから逃げることなく、戦うことだ。
人は誰だって、ミスをする。スマートにその日々を乗り越えていけることなんてまずない。目の前で笑っている人だって、きっといろんなものを抱えている。みんな、いろんな傷を負っている。でも、生きていかなきゃいけない。その傷と向き合いながら、ある場合においては、傷を抱きながら。
そのマウンドで投げるピッチャーはたぶん、出塁を許したランナーだけでなく、たくさんのものを背負っている。育成から這い上がった過去も、チームを変わった過去も、投げきれなかった試合も、もちろん過去に負けた試合も、そして新しい環境で仕事をしなければならないプレッシャーも。その全てを背負い、そこで投げ続ける。
だから勝つ時も、負ける時も、やっぱり私はここで応援し続けよう、と、思う。あらゆるものを背負い、そこで投げ、打ち続ける誰かを、戦い続ける人たちを。
その姿はたぶん、傷を背負い、それでも生き続ける、大切な誰かと同じだから。