野球と、オリンピック
プロ野球のない夏を、久々に過ごしている。
「久々に」と言ったのは、そもそも私が野球を見始めたのはたった4年ほど前のことで、それまではずっと「プロ野球のない夏」を30年以上続けてきたからである。
だからまあ、人生における「プロ野球のない夏」の方がずっと長いわけだけれど、この4年間の夏があまりにも濃かったのだろう、もう野球がある夏が当たり前のようになってしまった。おかげで、なんだか毎日、手持ち無沙汰な日々を過ごしている。(やるべきことは山のようにあるのにね…)
さてそもそもなぜ「プロ野球のない夏」なのかというと、言うまでもなく、「オリンピックの夏」だからである。なんせ、神宮が資材置き場となっているわけである。
このオリンピックについて思うところは山のようにあるわけだけれども、それについて書き始めるとまたあまりに長くなってしまう上に考えもまとまらなさそうなので、ここで話したいのは開催云々のことではなくて、プロ野球がない夏に、オリンピックを見ながら思ったこと、である。
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私はそもそもが、スポーツ観戦音痴だ。いや、スポーツする方も十分音痴だけれども、それと同じくらい、観戦音痴なのだ。
とにかく、あらゆるスポーツのルールがわからない。中学の時にバレー部だたのでバレーボールはかろうじてわかるけれども、それさえ私がやっていたときからはルールが変わってしまっていて、わからないこともかなり多い。
そもそも野球だって、4年前まではピッチャーとキャッチャーが敵なのか味方なのかもよくわかっていなかった。(ほんとうに。)「速く泳ぐ」とか「速く走る」とか「とにかく重いものを持ち上げる」とか、そういう単純な競技はまだしも、球技や格闘技なんかはほんとうに、ほんとうにちんぷんかんぷん状態なのだ。
だからまあ、4年に1回のオリンピックも、今までそんなにまじめに観戦していたわけではない。数年前、ラグビーが盛り上がったときも、私は一人、もはや消化試合となっていたヤクルトの試合を粛々と見ていた。
サッカーワールドカップで日本中が沸いていたときも、私はDAZNの小さな画面で(テレビはもちろん、サッカーを観る家族に取られていた)、ヤクルトが負ける試合を静かに見ていた。
だからもし、今この状況の中でプロ野球が行われていたら、やっぱり私はプロ野球を見ていたと思う。それは単純に好き嫌いとか、もちろん優劣とかそういう問題ではまったくなく、「私にとってはそういうものだから」としか言いようがない。私にとって夏は、プロ野球の季節なのだ。誰がなんと言おうとも。
だけど今年は、プロ野球がない。なので、日々行われるオリンピック競技を、まったくスケジュールもわからないまま(こんなに慌ただしくいろんな競技が行われているものだとも知らなかった)、見ることが増えた。
でも、今年のオリンピックは私にとって少し違うな、と思う。それはなんかもう色々ありまくったこのオリンピックが東京で行われているから、というわけでは、ない。
あくまでも、見る側のわたしの変化の問題だ。
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