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そして4時台に目がさめるようになる 【ランニング日記5/25(月)〜5/29(金)】
5/25(月)
目が覚めたら4時15分だった。
いくらなんでも、早い。
でもこの季節、4時台でもすっかり明るいのね、びっくりした。
昨日の夜はめずらしく、なかなか寝付けなかった。これは本当にめずらしい。なんといっても睡眠アプリによると、私はいつも「眠るまで」の時間が、3分、なんである。毎日きっかり3分だ。まあまあ結構すごいよなと思う。3分で寝てしまう。
ところが昨日は、いったん8分で寝そうになったものの目が覚めてしまい、そのまま一時間くらいベッドでごろごろしていた。目は閉じていたけれども意識はしっかりとしていた記憶がある。で、どうにも寝られなくて一度お茶を飲みに起きた。
なぜこんなに眠れなかったのか。恋の悩みでもあったのか。いいえ違います。夕方に酔いつぶれて寝ていたからです。良い子のみなさんはこんな休日を過ごしてはいけない。
そういったわけで、明日早起きできるだろうかとやや心配になりながら寝たものの、結局目覚ましもなく4:15に目が覚めた。どうなってんだ私の体内時計は。
でもさすがに早すぎるので、ゆっくり準備し、5:05に家を出た。これでも多分、一番早い時間に走った気がする。
この時間だと私くらいしかいないんじゃないのと思ったら、数人のランナーとすれ違う。みんなこんな朝早くから何してるんだいったい。ひまなのか。ほかにすることはないのか。いくらなんでも早すぎる。と、思いながら、私もな。と、妙な連帯感を感じる。早朝ランナーのみなさん、おつかれさまです。
さてタイムは今日もばかみたいに遅い。なんなんだ本当に。体重も元気に増えている。なんなんだ本当に。日曜日の夕方に酔いつぶれて寝ている場合ではない。
5/26(火)
4:30に起きる。どうなってんだ私の身体は。5:15に家を出る。
今日は5キロの日だけれども少し距離を伸ばすか…と考えながら、いや、今日は距離よりもちょっとスピードを速めよう、と決める。
いくら日々のランニングでスピードを重視していないとはいえ、ここ数週間のへなちょこっぷりはひどい。このままだと一生へなちょこで終えることになる。
つまるところ、タイムを上げるために大切なことは、「タイムを落とさない」ということである。1キロ地点でも2キロ地点でも同じタイムで走ることができればそう遅くなはらない。距離が進めば進むほど、「ラップタイムを1秒速める」ことは難しくなる。だから「1秒も遅らせない」という確固たる意思を持って走るしかない。確固たる意思。
というわけで、1〜5キロまで、ほぼ同じラップタイムで走り、6キロで少し早めるというパターンで走りきりました。ベストには程遠いけれどもまあ、「目を当てられない」ほどでもない。というスピード。
なんというかこのように、日々自分と向き合いながら走っている。修行である。ヤクルトを応援するのと同じだ。もうすぐまた始まりますね、あの修行の日々が。
5/27(水)
「ノイズキャンセリングイヤホン」のすばらしいところは、実は「ノイズキャンセリングされない時の周囲の音のバランス」ではないかとここのところ思っている。
ランニング中は「ノイズキャンセリング」しないのだけれど、おかげで早朝の、静けさの中にある鳥の声なんかが聞こえるのだ。ビーチボーイズの曲とともに。そういうのはけっこう、いいものです。海岸沿いなんかを走っていたら、波の音とかも聞こえるかもしれない。いいなあ、海岸沿い。いつか住みたいものだ。(でもなあ、神宮の近くにも住みたいからなあ。)でも早朝の都会でこんなに鳥の鳴き声が聞こえるんだなというのは、なんだか小さな発見です。
さてそういったわけで、なんせ今日も4:30に目が覚めて5:15に家を出た。目覚ましは5:00にセットしているのだがかっちり4:30に目がさめる。
こういうのは本当に、だんだん身体が馴染んでいくものなのだなとつくづく思う。「早起きして走ろう」と思いつき、「頑張って」早い時間に寝て「頑張って」起きていた時は(といってもほんの一週間前のことだけど)、毎日やたらと変な夢を見ていた。今思えばあれは、慣れない生活(というか時間配分)に、身体が馴染まなかったからなのだろうと思う。
勝手に4:30に目がさめるようになった今日この頃は、また夢もほとんど見なくなった。(まあ基本的に、至って健康な身体なのです。)
そういえばmそろそろ「通常の」生活が戻る人も多いかもしれない。でも、なんだって同じで、このシンプルな生活に馴染んだ身体を、すぐに元に戻そうとすると大人も子どももきっと大変。ゆっくり、少しずつ馴染ませていくのがいいと思います。
さて、ひたすらに遅い昨今のタイム、「とにかくあのひどいタイムにはならぬよう」とだけ気をつけて、今日は10キロをがんばって走りました。ほぼほぼ同じペース、全然速くはないけどまあ、「ひどいタイム」というほどでもない。しかしこの重い身体をなんとかしなければな…
5/28(木)
息子10歳の誕生日。
そんな息子は午前2:07に生まれたのですが、(というか昨日息子が自分で母子手帳を調べて判明した。私はそんな正確な時間はもちろんすっかり忘れていた。)昨日、「僕、夜中に起きて2:07にママにありがとうって言う!!!」とか言い出した。この子は誰に似たのかそういうロマンチストなところがある。
— 虫明 麻衣 (mai mushiake) (@hannarry) May 28, 2020
(確実に私ではない。もちろん夫でもない。)
— 虫明 麻衣 (mai mushiake) (@hannarry) May 28, 2020
とはいえそんな真夜中に起きるとか無理だろうと思っていたら、息子はまじでアレクサに1:45に起こしてもらい、寝室にやってきたみんなを起こし始めた。そして時計をじっと確認し、2:07になった瞬間、「2:07だ!10歳だ!ママありがとう!!」と、言った。
さすがにちょっとかわいかったので「おめでとう。ママの息子に生まれてくれてありがとう」と言うと、なんと息子は涙ぐんだ。夜中2:07に涙ぐむ10歳。で、そのまま「じゃあおやすみ、ありがとうママ!」とか言いながら自分の部屋に(ねこを従えて)(なんの騒ぎかとねこも起きてきたのだ)戻っていった。
— 虫明 麻衣 (mai mushiake) (@hannarry) May 28, 2020
…と、まあこんなことが夜中にあったわけですが、おかげで私はとても眠い。
こりゃいつもの4時台に目覚めるのはちょっと厳しいかもな、と思ったけれど、なんせやっぱり身体はもう順応しているため、結局4:45には目が覚めた。
いつもより少し遅く、5:25に家を出る。apple musicの「モーニングラン」のプレイリストで走るが、これはちょっと私には賑やか過ぎる。朝の5時にレディー・ガガとかエドシーランとかはやっぱりちょっとそぐわない。BGM問題って本当に難しいのだ、まじで。
しかし今日も身体が重い。タイムもイマイチ。けど今読んでいるエルモア・レアードの小説に出てくる「オンブレ」のように(その名も『オンブレ』という小説です)、私もつべこべ言わず走らなきゃいけない。
「つべこべ言わず」というのは結構大事なことですね。
5/29(金)
目覚ましがなる前に目が覚め、4:40にベッドから出て、5:15に玄関を出る。一週間だいたいこんな感じのスケジュールだった。これが続けられると子どもたちの学校にも合わせられる。
昨日、息子の誕生日パーティーでおうち焼肉をしたので(まだ家じゅうが油っぽい気がする。おうち焼肉ってやつはほんと。)身体がさらに重い。この時間に走り始めることには慣れてきて、「朝が早くてしんどい」ということはもうないのだけれど、そうは言っても走るのはしんどい。
なので今日は、ゆっくり走る、をテーマに据える。走り終わった時に「ああ今日も遅かった」と思うのではなく、あらかじめゆっくり走ろう、という魂胆である。そういうのはいくらでも思いつく。
走るペースで見る景色というのが、私は結構好きだ。歩くときよりも景色は早く流れ、変化に富む。でも車や電車にのるときよりはゆっくりとその変化を楽しむことができる。(「楽しむ」余裕があるかというのはさておき。)これはたぶん、走る時独特の、流れ方のような気がする。
今日はまあ、見慣れた景色ではあるけれどもその景色をゆっくりと見ながら走った。来月からはまた、人出が少しずつ戻るのだろうか。「いつもの」生活が戻ってくるのだろうか。
でも何もかもが「もとどおり」ということには、もちろん、きっとならない。というかどんな時だって、時間は前にだけ進んで、後ろに戻ることはない。
だから一歩一歩、足を前に進めるのだ。どんな時もそこに、「良き面」にあるのだと目を向けながら。それを少しずつ、大きくしていけるように。
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