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【ランニング日記】おにぎりを作り続けながらきんに君とラ行変格活用について考える【3/8(月)〜3/12(金)】
3/8(月)
目が覚めると、なんとなく雨の気配がする。5:30にはまだ外は暗くて、雨が降っていることに気づきづらいのだけれど、最近(あまりに走りたくないせいで)雨の気配までもちょっと察知するようになってきた。すごい。
天気予報を見ると、思いっきり、雨。の表示が出ている。すごい。
寒さに震えながらベランダに出ると、確かに小雨が降っている。
うむ。と私は思う。走れないではないか。
毎日毎日走りたくないわけだけれど、いざ「走れない」となると、いやいや走らせておくれよ。と、思う。めんどくさい性格だ。
「えー雨止んでくれへんかなあ、走れへんねんけど」と言うと、むすめにまで「え、いっつもママ走りたくないって言ってるのに!?」と、つっこまれる。
そういえば昨日の夜、「おねがいなんだけど、むりしなくていいんだけど、もしできたら、できたらでいいんだけど、あしたのあさ、おにぎりつくってほしいなあ」と、むすめが言っていた。この、「本当に無理しなくていいからできたらでいいから」と、とにかく言ってくれるのがうちの子たちである。毎度、てきとうな母で申し訳ない。でもそう言われると、大丈夫作るよ作っちゃうよ!と、いう気持ちになる。このお願い術、私も身につけたい。
雨も降っていることだし、とにかくおにぎりを作ることにする。仕事でおにぎりの原稿を編集しまくっていたため、私もここ1ヶ月おにぎりを握りまくり、コツも教えてもらい、自分で言うのもなんですが、めちゃくちゃおにぎりを作るのがうまくなった。見た目はそんな美しいもんではないが(自慢じゃないけど私は基本的にしぬほど手先が不器用なのだ)、とにかくめちゃくちゃおいしい。むすめが食べたくなるのもわかる。(と、思わせるのも、うまい、むすめ。)
おにぎりを握り、もう一度ベランダに出てみると、雨が少し弱まっている。よし、5キロだけ走ってくるわ。と、こどもたちに告げる。夫が「走るの!?えらいねえ…!!」と言っている。えらい。ほんとうえらい。
経験上、「0.5ミリ」の雨予報が1時間続いていれば、基本的には走って帰ってこられる。そんなにざっと大雨に降られることはない。できればキャップがあるとなお良いです。私は冬にはキャップをかぶらないのですっかり忘れて出てしまい、霧雨が顔にかかってまあまあやっかいだった。とは言ってもそんなにびしょ濡れになるほどでもない。冬でもこれくらいなら大丈夫、という雨です。
とにかく水溜りにダイブしないように足元に気をつけながら、黙々と走る。なんとか少しでも「走りたい」と思って出たからか、足取りは少しだけ軽い。単純なものだ。
10キロの日だけれど、今日は6キロ。でもとにかく少しでも走ることができてよかった。今日も低気圧に負けず(たぶん負けるけど)ゆるりとがんばってゆきましょう。今週頑張れば神宮オープン戦開幕だ!
3/9(火)
そこそこ寝たはずが、眠い。やっぱりできれば8時間寝たい。6時間とかだとまだまだ寝ていたい気持ちが強いのだ。
昨日とうってかわって今日は心底走りたくない。雨でも降らないかなという気分にもなってくる。どっちやねん。ああ走りたくない。
先日、息子にちょっとまじめに、むすめに対する態度と言葉遣いにもうちょっと気を使った方がいい、という話をした。あまりにぞんざいというか、横柄な態度や言葉が目立つようになってきて、さすがにこれはと思ったのだ。
例えば家庭の中で、男性が女性に対して、強い言葉を使ったりえらそうに振る舞うことが「良し」とされてきた時代があった。それはそれなりに長く続いた。でも、世界はどんどん変わってきているし、息子が大きくなった時はきっと、今よりもっと変わっている。男性が女性に対してぞんざいな扱いをすることは、もう絶対に許されない時代になってくる。それは、友達同士でも、家族内でも同じ。今でも力が弱い妹に対して、そんな態度をとることはもう、誰にとってもなんの良いこともないと思うよ、「好きな子をいじめる」なんてこと、もうありえないんだよ、と。
小さいこどもが、ちょっとえらぶってみたり、「強さ」を誇示しようとしたり、それが「かわいい」とされることもきっとある。だけどそれさえも、これからは変わっていくのかもしれないな、と思う。誰かに親切であること、ていねいな態度で人に接すること。それがすてきなこと、になってくるんじゃないか、と。
じゃあ自分は家族の中で、誰かにぞんざいな態度をとっていないか、と、改めて考えた。夫に対して、こどもたちに対して、家族だからと横柄な態度をとっていないだろうか、と。考えてみれば、反省すべきことは山のようにある。当たり前だけれど、こどもたちは私の態度をしっかり見ている。それを真似することも、それがコミュニケーションだと受け止めることももちろんあると思う。私だって、変わっていかなきゃいけないな、と思う。身近な人たちにこそ、ていねいに、親切に、コミュニケーションをとっていかなきゃ行けない。
と、色々と考えながら10キロを走る。眠いけれどもとりあえずは、走る。頭の中のモヤモヤを抱えて走ると、全く解決するわけではないけれど、それでもなんとなくクリアになっていく感覚はある。自分の気持ちにああそういうことだったのかと気づくこともあれば、こういうところで分かり合えないところがあったとしてもそれはそれ、これはこれだよな、と、なんとなく思えることもある。ある程度体を動かしておかないと、私はそういうことをしっかり納得できないみたいだ。
3/10(水)
今日は7キロの日、と思うと随分と気が楽だ。(月曜日に足りなかった分を5キロの日に2キロずつ増やして走るので今日は7キロ。)それなら毎日8キロで週40キロをキープすればいいんじゃないかという気がしなくもないけれど、そうなるときっと毎日「8キロも走りたくない」となるのだろう。あと、一生10キロ走らなくなる気がする。「起きてすぐに10キロくらいは走ることができる体力をできるだけ歳を重ねてもキープする」が何よりの目標なので、やっぱり週3回くらいは10キロは走っておいた方がいい。(ほんとうはもう少し距離を伸ばす日を作りたいんだけどね。)
なんせ気が楽だったので、朝ごはんのおにぎりに加え、サラダも作る。えらい。クックパッドマートで大量に届いた葉野菜のセットを、洗ってちぎってボウルとポリ袋に入れたものを冷蔵庫につっこんであるので、それを分けただけです。ドレッシングはお好みで。それでもとっても喜んでくれるからうれしい。
さて、きんに君(ヤクルトのじゃなくて本家本元)がいいことを言っていた。
きんに君すばらしいな・・・
— 虫明 麻衣|mai mushiake (@hannarry) March 8, 2021
「どんなことでも楽して得られるものはありません。学生さんが勉強せずにいい点を取れるわけはありません。美容師さんが練習せずうまく切れるようになることはありません。努力してコツコツ基本的なことをやるしかないんですね。筋トレも同じです。」 https://t.co/mdCDIFvr0u
そう、ほんとうにその通りだな、と思う。どんな世界にだってあまい話はない。努力して、基本的なことをコツコツやるしかない。
私は全く速くもなんともないペースだけど、ただとにかくコツコツ、毎日走り続けるしかない。たぶん料理だって結局は同じだ。「うまく」なるためには、作り続けるしかない。(逆に言えば続けさえ入れば、ちゃんとうまくなる。)
そしてこのきんにくんの話でもう一つ思ったのは、何かをそうして続けると、物事の本質に近づくことができるのだな、ということ。きんに君はもちろん美容師さんではない。だけど、コツコツ努力を続けなければ良い点数を取れないことも、髪を切るのがうまくならないことも知っている。世の中にそんな甘い話はない、ということを。それを、肌を通して…じゃないか、筋肉を通して、実感として知ることができる。それは、普遍的で本質的なことだ。
そしてそれが、他人を思いやることや、想像力を持つことにつながっていく。
こどもたちもそうやって、何かを続けていくことで、自分の身をもって学ぶことがたくさん増えていくといいなと思う。そういうものはほんとうに、何にも代え難い知恵になると思うから。
3/11(木)
サウナでととのいすぎて、昨日は本当によく寝た。で、そういう時はすっきり目覚めるかというとそんなことはなくて、相変わらず眠い。
思うのだけれど、起きた瞬間というのはもう本当に、「こんなので走るなんてありえない」と、心底思う。モチベーションなんてものは皆無だし、毎朝毎朝「なんかちょっと喉が痛いんじゃないか?」「いつもより疲れてるな?」「体がものすごく重い気がする」「こんな気温の中外に出たら絶対風邪ひくよ」とか、もうありとあらゆる「走らない方がいい理由」が思い浮かぶ。頭はもう必死でなんとしてでも「走らない」という信号を送り続けるのだ。
それに真摯に向き合うと、どうやったって外に出ることはできない。だから私はなるべく頭を空っぽにして、もうバカになって、できるだけ何も考えないように意識しながら、とにかく淡々とウェアに着替える。「いやこんなに寝起きで身体はだるいのに、走るとかありえないよ?」という頭の声を、とにかく必死で無視するために手足を動かす。
着替えているうちに身体の重さが少しずつ無くなってきて、頭の中も少しだけ、ほんの少しだけ、観念する。何を言ってもこの人は走ろうとするのだな、と、半ば呆れながら。
私は基本的に自分のことを全く信用していないので、本当にこうして実際に体を動かすことでしか、前に進めない。外に出てしまえば、もうあとは走るしかないのだ。そして走り始めてしまえば、前に進むしかない。そこまで、とにかくもう何も考えずばかみたいに、体を持っていくしかない。
まだまだ寒いしどうもスピードも出ない。それでもあたりはもう明るくなり始める。今日から飲む日焼け止めを飲んで、サングラスも持って出た。走り始めの時間はまだ必要ないけれど、30分も走れば日差しが少し気になり始めるので、サングラスをかける。打倒、紫外線。
季節は移り変わってゆく。私が家にこもってカタカタと原稿を打ち続け、収納を見直し続け、せっせと蒸したり揚げたりしている間に(最近お気に入りの調理法:「蒸」と「揚」)、夜明けは早まり、気温はぐんぐん上がっていく。開幕はもうすぐそこだ。
3/12(金)
世の中にはなぜ生理なんてものがあるのか。重い。おなかが重い。私は家族中に大きな声で「ママは生理なので今週なにもできません!!」と、宣言するタイプ(どういうタイプ)の人間なので、今朝もしっかりそう宣言しつつ、外に出る。(ちゃんとこどもたちは労ってくれる。いいやつ。)
今日は7キロの日なので少しだけ時間に余裕があり、こどもたちにおにぎりだけでなくとうとう卵焼きまで焼いてから外に出た。何を隠そう、月末に来る、春休みお弁当生活のウォーミングアップである。
6時を少し過ぎるともう外はすっかり明るくなっている。日焼け止めは塗ったけど、サングラスは忘れてきた。また色々と準備が必要な季節だ。
いつの間にかイヤホンの音楽が途切れていて、めんどうになって今日は無音で走る。無音で走っていると、なぜか頭の中で延々と「ありをりはべりいまそかり」というフレーズが流れる。エンドレスで流れる。全然意味がわからないけれど、とりあえず「ありをりはべりいまそかり」のリズムに合わせて走る。なぜそれなのかはわからないけれども悪くはないリズムだ。ありをりはべりいまそかり。走る時のリズムに悩んでいる人がいたらぜひ試してみてください。ありをりはべりいまそかり(はい読んだ人今から全員このフレーズ頭から離れない。)
夜明けが早くなり、気温も少しだけ上がってきて(今日は途中からジャケットを脱いで走った)、心なしか走る人も増えてきたような気がする。ちょっと自分がまともな人間になれたような気がする。(だってさっむいくっらい中走っている自分というのはちょっと正気の沙汰ではない感があったのだ。)まあ、頭の中を流れているのは「ありをりはべりいまそかり」だけど。さあみなさんご一緒に。ありをりはべりいまそかり。
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