【ランニング日記 3/1(月)〜3/5(金)】鳥たちに時間なんていう概念はない
3/1(月)
なんということでしょう。今は3/2の朝10時ですが、昨日のランニング日記を書いていなかった。なんでもすぐ忘れる私は、昨日のランニングについてなんてほぼ全て忘れている。
早めに起きて、10キロを走った。気がする。少しあたたかくなった、気がする。でも本当に、思い出せない。特に、翌朝に走ったあとだともうすっかり忘れてしまっている。自分の記憶力がほんとうに、怖い。
3/2(火)
朝起きたら、たいし(ヤクルトの若い選手です)のトレードが夢だったということになっていないだろうか、と、思ったのだけれども、朝起きてもやっぱりそれは現実だった。現実は痛みとともにやってくる。そんな時はどうするか。外に出て黙って走るしかない。
外はまだ暗いけれど、なんとなく雨の気配を感じる。天気予報アプリを見ると、6時までは雨予報、6時頃に止んで、7時頃また降り始めるらしい。雨が少し弱まったら走りに出て、強くなる前に帰ってこよう。
突如私に収納ブームが訪れているわけですが、というか今まであまりにも苦手としていたことに、一発奮起して向き合っているわけですが、大量の(本当に大量の…)レシピ本を整理していたら、母のレシピノートが出てきた。出てきたも何も、そこに存在していることは知っていたのだけれど(だいたい私が実家から持ってきたのだし)、やっぱりなんというかちょっと、しょっちゅう開くのはどうしてもまだ躊躇してしまうんですね、なんだろう、やっぱり寂しくなってしまうのだと思う。
でも夜にがさごそ整理していたので、その勢いでレシピノートを開いてみたら、母が大好きだった「豆ごはん」のレシピが出てきたのだ。こんなとこにいたんかい!!と、私は思った。
それはもち米を少し加えるだけで、あとはいたってシンプルなレシピだった。母が亡くなってからもうずっと、母みたいなごはんは私には作れないとどこかで思い続けてきたけれど、いや待てよ、私もたいがい10年くらいはシュフしてるわけで、別にそろそろ作れるんじゃないか…?と、急に思った。私は母の味をもしかしたら覚えていないかもしれない、と、それが何より怖いことだったのだけれど、でも作ってみたら、ああそうこれこれ、って思うかもしれない。いや思わないかもしれないけれど、それはそれで、おいしければいいじゃないか、と、思えた。
別に気負うことはない。気負ってもらうために母だってごはんを作り続けたわけじゃない。私はどこかで反抗するように、というか「母のようにはなれないから」という免罪符のように、これまで仕事を続けて頑なに「専業主婦」にはならなかったけれど、何はともあれそれはそれ、これはこれ、と、思っていいじゃないか、とすっと思えた。
とにかくそのぼろぼろのレシピノートから、私がごはんを作ってもいいじゃないか、と、ようやく思えたのだ。
誰かを失うと、その喪失はいつまでも重くのしかかり、簡単には受け止めていけない。それにはもう、何年も、何十年も時間がかかるかもしれない。でも誰かがいない現実の中で、自分は自分の人生を生きていくことはできるはずだ。というか、残された人にできることは、それしかない。その記憶をとどめながら、私は私なりの人生を、歩むしかないのだ。時に痛みはまだ襲ってくるけれど、それでも繰り返し、繰り返し。
走りながら、いろんなことを考える。そこに吹く風は、春の温かさを連れてくる。暖かくなった途端、遅くなるタイムに辟易としながら、それでも私は目の前の道を、走っていく。
3/3(水)
なぜか朝4時に一度目が覚めて、さすがにもう一度寝て5時20頃に目を覚ます。なんと、空が少しだけ明るくなっている。ここにきてまた一気に、夜明けが早まったみたいだ。
昨日は寝る前からもう「ああ明日は10キロの日だ走りたくない…」とぶつぶつ言っていて、寝る前の息子に「おやすみママ、明日10キロ頑張ってね!」と、励まされた。走りたくない走りたくないとぶつぶつ言い続けながら、毎朝走る母をこの子たちは一体どう思っているのだろう…変な母さんだと思っているのだろうか、いやまあ、そうだなきっと。
6時前、もうほとんど夜は明け始めている。ごていねいに遠くに見える富士山は、なんとも美しい赤色に輝いている。
明るくなった途端、公園の鳥たちがこの時間から元気に鳴いている。冬の間はずっと静かだったのだけれど、今日になって久々にその声を聞いた。明るくなった途端、この時間に歌いはじめるんだなあ、と、思ったけれど、よく考えたら鳥たちには時間なんていう概念はない。暗くても明るくてもそれを「朝6時」と定めたのは人間の方だった。明るくなったから鳴く、という鳥たちの方が、自然で自由なのかもしれない。
でもまあ、人間である私は、子どもたちの学校へ行く時間やら、原稿の締め切りやらが、しっかりと待っている。時間という概念からは、どうしても逃れられない。仕方ないので暗くても明るくてもそれが「6時」であるならば、その時間に私は走るしかないのである。ああ悲しき人間。
今日はとにかく寒い。寒いとペースが上がるはずだったのに、さっぱり上がらない。そういえば3月に入ってから2月ほどのペースは出ない。夏みたいに遅くて泣きたくなるほどではないけれど、あの軽やかな日々はどこへ、という気分にも、なる。
今月は、いや今月なのか毎月この時期なのか、山のように仕事が溜まっている。溜まった仕事というのは、一つ一つ地道にコツコツ片付けていくしかない。近道とかそういうのは一切、ない。そう、走るのと同じです。というわけで一つずつコツコツ片付けていこう・・・
3/4(木)
なんということでしょう。また書き忘れている。そういえばこの日は朝からマンションの計画停電があり、Wi-Fi までつながらなくなってしまったのだ。だから開き直ってまた収納を見直していた。で、たぶん書き忘れたのだと思う。アプリによると、5キロの日だけれども7キロ走っていた。ペースは結構よかった。(この週で一番良いペースだ。)でも、全く、記憶がない。
3/5(金)
ヤクルトの希望のかたまりだった若い選手が、巨人にトレードで移籍し、私はこの事実がどうしても受け止めきれず(頭ではわかっているのだけれどもユニフォーム姿を見るたびにどうしようもない感情が渦巻いてくる)、どうしようもないのでとりあえず、片っ端から家の収納を見直している。
毎日毎日毎日、無印からもんのすごいでかい段ボールで収納ボックスが届く。私は本当にいつも、何かをやり始めるとそればかりになる。
原稿は山のように溜まっており、細々した連絡事項も目の前にあり、確定申告も教育費の計算もなんのかんのもなんだか細々したことが山のようにある。その上オープン戦まで始まってしまった。週末のひなまつりの準備もある。いや、ひなまつりはもうすぎているけれども当日はなんせオープン戦があったのだ。だから我が家のひなまつりは週末です。
で、なんだか毎日慌ただしく過ごしていて、昨日はすっかり寝る時間が遅くなった。目覚ましを10分だけ遅くセットし(10分だけでも大きい)、少しだけゆっくり寝る。
5時半、もう外は明るくなり始めている。寝不足で身体はだるいけれども、明るいのならとにかく外に出よう、となんとかそう思える。(暗い中外に出るのは本当に辛かったのだ…)
ランニング日記も1年以上続けてきたわけだけれど(たぶん)、少し形式を変えてみようかなと思ふと思う。走りながら私はよく、今読んでいる本について考える。それをどこかで入れるようにする、とか。
もう一つ、観戦日記の方の有料化について少し考える。これは前からずっと悩み続けてきたことなのだけれど、それで収益を上げるというよりは、「読みたい」と思ってくれる人に、しっかり届けるような仕組みを作っていきたい、と、少しずつ思い始めている。
オープンの場で語ることは可能性を広げてくれるし、その可能性を手放すのはなんというか、もちろん怖い。有料化にしてしまったら、読んでくれる人は0人になってしまうかもしれない。その「独り言」にはやっぱり、意味はない。
だけど、続けていくことと同じように、というか、続けていくためには、変化していくことも必要だ、と思う。会社をやめて3年、仕事の量も少しずつ増えてきた。自分の文章に、もう少し責任のようなものを持っても良いんじゃないか、という気持ちもある。
そういうことを、つらつらと考えながら走る。外はすっかり明るくなっている。そろそろ「飲む日焼け止め」を飲んでから走る時期かもしれない。
キロ3キロ(体感)マンが、今日は少しゆっくりめのスピードで走っている。キロ3キロマンだって、ゆっくり走る日だってあるのだ。そりゃそうだ。そういうトレーニングだってきっと必要なのだろう。だから私が先月の平均ペースと比べて今週はすでに4秒も遅くなっていたとしても仕方ない。まあ、キロ3キロ(体感)マンはゆっくりとは言ってもキロ4キロ(体感)くらいで走ってたけど。
いつだって、常に100%全力の力で走ることはできない。時にはペースダウンしながら、たいしの移籍にふて寝しながら(まだ全然受け止めきれない)、ゆっくりやっていこう。