【5/10中日戦●】言葉はじわじわと、現実に影響を与えるけれど
この仕事をしていると、つくづく、言葉の力みたいなことを感じることがある。…みたいに言うと、色紙に筆で詩を書いて…みたいな話に聞こえるけれどもそういうことではなく(いやそれも力の一つなのかもしれないけれどもそれはここではさておき)、言葉が、行動を伴う結果にじわじわと影響を及ぼすところを、幾度となく目にすることになる。
悪い方に使えば、言葉は本当に暴力になる。誰かを追い詰めることだって容易にできる。おそらく、発する側の想像以上にそれは鋭く誰かに突き刺さる。
だけどそれだけの鋭さは、もちろん、良き方に使えば誰かを励まし、癒やし、鼓舞し、知らず知らずのうちに誰かの心をあたためそして、強くすることもあるのだ、と思う。
誰かを応援するというのは、なんだか途方もないことだな、と、たまに思うことがある。誰か一人の「声援」が直接届くということはそんなに、ない。そもそも今は、声援を送ることさえできない。
だけどそれでも、どこかで誰かが発した言葉が巡り巡って、選手の心をあたためることっていうのは、あるかもしれないなと思う。それが傷つけるよりもずっと多く、あると良いなと、私はいつも思っている。
前置きが長くなりましたがその「言葉」におきましてときたま思うのが、「ジンクス」みたいなやつである。ジンクスというのはもちろん言葉を指すものではないけれど、ジンクスがジンクスとして共有されるときというのは、当然「言葉」を介して行われる。「銀杏並木でねこを見た日は勝てる。」とか。それはわが家でまことしやかに囁かれているジンクスですが。(かわいいの、銀杏並木のねこ。)
「日曜日は勝てない」とか「デーゲームでは打てない」とか、そういうのも一種の「ジンクス」みたいにいつのまにかじわじわと広がっていく。もちろん、数字になったデータがあってそう言われているわけだけれども、これ、言葉に向き合った瞬間、どうしても意識せざるを得なくなって、ますます
勝てなくなってしまう…みたいなことってあるんじゃないか、と、私は思ったりする。
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