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秋の始まり、必要なさよならのこと

秋なんてうそじゃないかぜんぜん涼しくなんてならないじゃないか。と、ノースリーブを着て扇子であおいでソウルの夜の街を歩き回っていた。ところがその一週間後、あれ、涼しい。と言って、その酷暑のソウルで買った長袖の白いブラウスをいそいそと取り出した。秋というのは忙しい。私は季節の中で夏が一番好きなのだけれど、そんな私でも夏の暑さにたまに嫌気がさしてくるので、ほかの人にとったらもはや親の仇みたいな感情がわいても仕方がないとも思う。まあなにはともあれ、そんな夏で疲れ果てた体にやってくる秋というのは、心も体も忙しい。

そしてその忙しさに拍車をかけるのが、涼しくなる頃にぽつぽつと発表がある、誰かの退団の知らせだ。青木の引退の報道があり、コータローの発表が続いた。どこかで覚悟をしていてもしていなくても(多くは心の準備なんてできてない)、それは毎年必ずやってくる。夏に必ずやってくる宮古島の台風みたいに。

台風は、予定していた飛行機を欠航させ、スケジュールを大きく狂わせ、心を乱す。でも宮古島の人たちは言う。「台風がないと、珊瑚の白化がすすんでしまう」のだと。人の予定を狂わせる台風は、宮古島の珊瑚と美しい海を守っている。それは自然から見ると、必要なものなのだ。

ヤクルトには、毎年毎年、新しい選手がやってくる。そしてその選手たちはみんな、数年後にスターになる可能性を秘めている。ずっと埋まらなかったショートのレギュラーポジションを、最多安打を争う若手が埋めてくれる日がやってくる。だけどその選手たちを迎えるためには、毎年毎年、少なくない選手たちが、ヤクルトを卒業しなくちゃいけない。それは、「必要なこと」なのだ。

と、書いてみれば当たり前のこんなことを理解するのに、私はたぶん、数年はかかったと思う。ヤクルトを好きになって初めての年は、この時期に発表される戦力外の選手たちのリスト多さに本当に倒れそうになった。何が一体起こっているのかと思った。私はアイドルを好きになったことはないけれど、解散だとか脱退だとかそういうものに振り回されてきたアイドルのファンの人たちの気持ちがようやくわかった気がした。

だけど変化は、いつだって必要なのだ。新陳代謝がきれいな肌を作り出す。そして変化には、どうしても痛みが伴う。レーザーやら高周波やらなんやらをあてて肌の新陳代謝を促すが、あれはあれでまあ結構、痛い。変化するって、大変だ。

必要なさよなら。必要な痛み。そして必要な季節。全部全部わかっているのに、どうしても寂しい。各球場で当たり前みたいにヒットを打ち続ける青木を見ながら、あと一年やってくれないかな、と、何度も何度も思う。だけど「あと一年」だなんて、たぶん野球選手にとっては、何よりきついことなんだろう。誰も、「あと一年」なんて思いながらやっていないからだ。「あと一年」と思うくらいなら、きっともうその時点で、ユニフォームを脱ぐのだろう。あと何年だってやっていけるという、そういう気概と自信がある人だけが、プロの世界でその場所に立つ。

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