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明日が希望にあふれ、大好きな人たちが思いっきり笑う、その時まで 【6/1横浜戦⚫️】

自分が応援しているチームが負けるから、それを自分自身の痛みとして感じるから、例えば「負けているチームを応援しているヤツ」と思われるのが悔しいから、とにかくそれを自分自身の物事として捉え、胸は痛むのかと思っていたけど、全然そういうことじゃないなと、みやさまの言葉を見かけて思った。

「選手は力を出せる精神状態じゃないと思う。まず一つ勝たないと」

私は、私の大好きな人たちが、その人たちは私のことを一切知らないけれどもこちらが一方的に大好きに思う人たちが、「力を出せる精神状態じゃない」というその事実が、あまりに、あまりにつらいのだ。好きな人の痛みが、そのまま、ただ痛いのだ。

がんばれと言われても情けなくなってしまうかもしれない。前を向けと言われてもふがいなく感じてしまうかもしれない。それは、プロだとか、お金をもらっているとか、そういう次元をこえた話だ。勝負の世界で、勝つことを仕事にしている人たちが、そのためだけに、勝つためだけに、日々厳しいトレーニングを積んできた人たちが、全く勝てなくなってしまう。その痛みはつまり、私たちが日々の生活で、仕事で、子育てで、うまくいかずつまづいて、前も見えなくなって、出口がわからなくなって、動けなくなった時の、あの痛みと同じだ。

それでも、明日は来てしまう。明日が来ることは、希望だとずっと信じていたのに、絶望の中で来る明日は、ただ重たいだけのものになってしまう。大切な人を失った時に一番つらい瞬間は、朝起きて、「ああ、あの人はもういないのだ」と、そう実感する瞬間だ。あの人がいたのは夢の中だけだったのだ、と、現実を知るその瞬間だ。明日はいつも、希望だけ持ってやってくるわけじゃない。

だけど。それでもなお。私たちは生きていかなきゃいけない。その痛みを抱え、明日を迎えなきゃいけない。ばかみたいに、明日起こる何かを信じて。毎日毎日その希望に裏切られても、明日が今日のただの連続でも、朝小さな絶望とともに目覚めても、それでも、明日が来る限り。

朝目が覚め、身体を起こす力なんて、そんなのもう残っていないかもしれない。球場へ足を向かわせる力なんて、どこにもないかもしれない。でもそんなのもう、振り絞らなくたっていい。試合が終わったら荷物を片付け、いつもと同じように家に帰り、いつもと同じようにご飯を食べ、いつもと同じようにお風呂に入り、いつもと同じようにお布団に入る。その延長でただ、朝を迎える。朝ごはんを食べ、靴を履き、球場に向かう。いつもと、同じように。

上京したばかりの頃大失恋をした私に、京都にいる友人のゆきちゃんは言った。「まいちゃん、ちゃんとごはん食べて、ちゃんと寝て、普通の生活をちゃんと送りや。」ひとりぼっちの東京で、私は淡々と、食べたくないけどごはんを食べ、眠れなさそうだけどお布団に入った。そうするうちにそれが、当たり前だと体が感じ、心が少しずつ、少しずつ、回復していった。

つらい時は、いつものことを、淡々と繰り返すしかない。いつものルーティンを、いつもの素振りを、いつものアップを。そして私たちはいつもと同じように、球場で、テレビの前で、スマホの速報で、いつもと同じようにそっと声援を送る。希望とは、日々の繰り返しの中で生まれるのだ。目の前にあるものがどれだけつらい現実だとしても。

風邪は、今が一番つらいのだ。その人の限界は、変わらないから。

ここまできたら私だって何かよくわからない覚悟はできた。どこまでだって付き合う。どこまでも見届ける。先発で投げろと言われれば投げる。投げるよもう。だからまた明日。明日がだめなら、またその次。今来る明日はとてもつらいものだけれど、でも、いつだってここで見守っていたいと思う。

いつかそれが、希望にあふれるその時まで。大好きな人たちが思いっきり笑う、その時まで。



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虫明 麻衣(Mai Mushiake)
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