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マイナス1℃の河口湖湖畔を19キロ走る【ランニング日記 1/4(月)〜1/8(金)】

1/4(月)

明日から温泉で2泊ひきこもる予定なので、週始めくらいはしっかり走る。

6時半に目を覚まし、7時に家を出る。いつもより1時間少し遅い。完全に身体が冬休みモードになっているわけだけれど、元に戻せるのだろうか、これ。

ペラッペラの長袖に、ペラッペラのウインドブレーカーで走る。最近この組み合わせが多いのだが、ペラッペラの長袖がなかなか良い仕事をするようで、暑すぎず寒すぎず、腕を冷やさず、走ることができる。(ウインドブレーカーは1キロ地点くらいで脱いでしまう。)

「村上春樹の初期小説に出てくる曲を片っ端から入れるプレイリスト」というのがあってそれがランニングになかなか良い。クラシックもジャズもビートルズも入っているけれど、まあ、その、何も考えていない感じがちょうどいい。

7時台だとまだ日差しも強くなくて走りやすい。そして気づけばまた、釣りをする人が増えている。時間帯的なものなのか、まだお正月休みが続いているからなのか。

寒いけれども冷たい空気は少し、身体をすっきりとさせてくれるような、気がする。今日もまあ元気に走りたくないけれど、仕方がないので今年も走っていこうか、と、思う。

1/5(火)

朝起きたら、けーじくん(ヤクルトの若手ピッチャーです)が、板野友美さんと結婚していた。そんなことはなかなかない。生まれて初めてである。(あたりまえだ。)

今日から二泊で温泉で、朝早くに家を出るので、5時半に起きて30分だけ走る。

久々に朝の暗い時間に走ると、本当に明けるのだろうかこの闇は…?と、いう気がしてくる。これだけ真っ暗なのに、闇は深いのに、また日が差すことが不思議に思える。

でももちろん(もちろんだと、私はもう知っている)、夜は明ける。ふと、この夜は誰のためにあるのだろう、と思う。日が沈み、また昇る、その繰り返しは、一体誰のためのものなのだろう。

暗くなれば、私は眠る。そして明るくなるのを待ちながら、私は走る。その繰り返しは今の所、私を前に押し進める。目指すものはまだ、前にある、そんな気がしている。そんな実感を今の所は持つことができる。

でもいつか皆、暗闇の中にそのまま沈んでゆくのかもしれない。夜が夜のまま、終わって行くのかもしれない。

目を閉じて、息を止めるのは、夜のまま終えるということかもしれない。

だけどそれもまた、自然なことだよなあ、と、なんとなく思う。人は誰しもが、必ずいつかは最後を迎える。お金があってもなくても、人気があってもなくても、ヤクルトの優勝を見ても見なくても、尊敬されてもされなくても。それならば大切なのは、自分が、自分の人生を、ああ、愉しかったなあ、と、思えるかどうかだよな、と。

けーじくん、結婚おめでとう。これからの人生がまたより一層、彩り豊かでありますように。今年は10勝しますように!!

1/6(水)

河口湖の温泉宿に引きこもっている。引きこもって何をしているかというと、仕事をしている。温泉やホテルに来ると、家事から100パーセント解放されるので、仕事の効率がめっちゃ上がる。これは最近の素晴らしい気づきの一つです。

昨日は、おいしいおうどんやらコロッケやらをたくさんいただいたので、今日は走る。

河口湖周辺は、なんせ箱根と違い、山というわけではない。(箱根駅伝を走る選手というのはまじでもう超人だよなと思う…。)だから、それなりに走りやすいのではないだろうかと思い、調べてみたら、河口湖をぐるりと一周すれば17キロ、良いランニングコースだと書かれていた記事を見つける。

ええやん、それ。

17キロというと、いつもの10キロよりは長い。でも、朝食を9:30でお願いしていたので、明るくなるのを待って7時に出たとしても、ゆっくり走って戻って朝食に間に合う。「フラットな道」と書かれていたので、普段走っている道ともそんなに変わらないだろう。

寒くなって、ちょっと長い距離も走っておこうと思っていたところだったし、ちょうど良いタイミングかもしれない。せっかくだから、河口湖一周ランに挑戦しよう、と、昨日、温泉に浸かりながら決意したのだ。

宿に来るとどうも早く目が覚めるので、0時近くに寝たのにまた5時過ぎに目を覚まし、ゆっくりと部屋付きの露天風呂に入る。もうビールも飲んでしまいたいところだけれども、それはなんとか我慢する。

空が明るくなり始め、富士山が徐々に姿を現す。富士山というのは本当に、いつ見てもハッとする美しさを持つ。普段のランニングコースでも天気が良ければ富士山が見えるのだけれど、それをこんなに間近に見るとうれしくなってしまう。

しっかり明るくなるのを待ち、よし、行くぞ、と、小さく決意する。知らない土地を走るのはいつも少しだけ、勇気がいるのだ。

お宿から坂道を下るとすぐに、河口湖のウォーキングトレイルに出る。すぐ隣は湖、というところに整備されているため、文字通り「湖畔沿い」を走ることができてものすごく気持ちがいい。アップダウンも少ない。身体が浄化されていく気がする。

走り始めてすぐ、富士山と、河口湖に映る逆さ富士がきれいに見えた。なんなんだ、河口湖最高じゃないか、河口湖はランニングのためにあるんじゃないか、と私は心底思う。

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私は水のあるところが好きだ。そして水のあるところを走るのが好きだ。なんなら河口湖湖畔に引っ越したっていいんじゃないか、いや待てそれはだめだ神宮が遠い、と、わけのわからないことをひたすら考える。まあ、走っている時に考えることなんて常にわけがわからない。

ほどなくして、河口湖大橋に差し掛かる。ウォーキングトレイルを走っていると、道の繋がり的にそのままこの橋を渡りそうになるのだけれど、ここでちょっと冷静になって立ち止まる。ここで橋を渡ってしまうと、一周ではなくショートカットしてしまう。あくまで一周したいので、車道の方に思い切って出る。

そうすると、また新たなウォーキングトレイルが現れる。なんせ河口湖周遊の道路は歩道がめちゃくちゃ狭いので、歩行者専用の道路が現れるとその度に安心する。

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この道に沿って、ひたすら走る。天気がよく、富士山が澄んで美しく見える。

湖畔ランニングの良いところは、方向音痴がすぎる私でも、(あまり)道に迷わない、というところだ。とにかく、河口湖から目を離さない。河口湖がどこかに消えそうになったら、ちょっとGoogleマップを確認する。(たまに河口湖が行方不明になる。)それだけで、大きく道を間違えることはない。

そこから少し走り、河口湖大橋の逆サイド(方角もわからない。)についた時には、あ、もうここまできたんだな、と思った。

でもその時の私は知らなかった。

河口湖大橋というのは、河口湖の、えらい端の方にかかる橋なのだ。(ところで橋、端、箸は、関西と関東でイントネーションの組み合わせが違って面白いので身近に関西人がいたら言い合ってみてください。)

つまり、橋の両端まで走ったところで、しんどいのはそこからなのだ。

残りの半周、いや、半周どころじゃない、そこからが本番の道は、静かな道路になっていく。ウォーキングトレイルもあったりなかったりする。なんならたまに湖が見えなくなる。真横を車が走り抜けていく。その風を受けながら、小石につまづいてこけたら(十分ありえる。)死ぬな、と思う。

寂れた旅館を何度も通り過ぎる。開いているのか閉まっているのかもよくわからない。でもこれは、感染症が流行るよりもっと前からそうだったような気もする。この1年の間に多くのものが失われたけれど、多かれ早かれ、いつか全てのものは失われていくのだ。

水辺を走ることができるなんて、セーヌ川のほとりをランニングした時とおんなじ感じだ♡とか考えていたのはもう遠い昔だ。気づけば「とにかく早く帰りたい」ばかり考えている。ちゃんと朝食時の時間に間に合うように出たはずが、刻一刻とその時刻は近づいてくる。手袋越しに、寒気が手を突き刺す。痛い。帰る頃にはもう痛みで動かなくなってるんじゃないの、と思う。なんせ、マイナス1℃である。寒いのだ。忘れてたけど。

人通りはなく(同時に車もそんなに走らないのでそれは良いといえば良いのだが)、なんで私は走っているのだろうとまた思う。あと少しかな、と、iPhoneで地図を確認するたび、「徒歩1時間15分」などという表示が出て絶望する。遠い。遠すぎる。

見知らぬ土地というのは、距離感覚が掴みづらい。自分がどれだけ走って、残りがどれだけあるのかが分かりづらいのだ。そもそも私は、「目測をものすごく誤る」人間だ。仕事用にアンティークのデスクをネットで買ったら、もんのすごくでかいのが届いた。いつものキッチンペーパーを買おうとした時にことごとく在庫がなく、仕方がないので2ロール入×24パックというのをネットで買ったら、とんでもないでかい段ボールが届き何事かと思った。何事もなにも、私が注文したのだけれど。とにかく私はいつだって目測を誤るのだ。

そんな私に、「河口湖一周の17キロ」がどんなものかを頭で想定することなんて、できるわけがない。

とにかく目測を誤ったらしき私は、10キロ地点でへとへとに疲れていた。

旅先では最近いつも、ホカオネオネのシューズで走る。デザインが好きで普段使いに履いているのだけど、これはもともとランニングシューズなので、旅先では両方を兼ねられてめちゃくちゃ便利なのだ。ランニングシューズをスーツケースに詰めると結構な場所を取るので、これは助かる。

が、そもそも履き慣れたなれたナイキのシューズとは違う。ホカオネオネもすごく良いシューズだけれど、私はまだこのシューズの「走り方」とか「付き合い方」みたいなものを体得していない、と思う。だからいつもの調子で、つまりナイキとの「付き合い方」で走ると、どうしても足が疲れてしまう。もともとどれくらい走ることを想定して作られたシューズなのかもそういえばよくわかっていない。とりあえず今のところ、足は痛い。

タイムはもちろん遅い。でもこれはまあ見知らぬ土地で、Googleマップを確認したり写真を撮ったり道を間違えて引き返したりしながらなので仕方ない。知らない場所ではタイムにこだわらない。それよりもとにかく、先が見えないこの感じ、いつまでもゴールの見えないこの感じが、とにかくしんどい。

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いつの間にか雲が出て、富士山を隠している。もう私の心の翳りのようである。でもいつの間に富士山は隠れていたのだろう。それすら気づかないくらいに「しんどい」が頭と身体を埋め尽くしている。姿勢も知らず知らず悪くなる。その都度、いかんいかんと体を起こす。

もうこれは本当にダメだと思いながらGoogleマップを確認すると、ホテルまであと5キロと出た。ようやく、ようやく、あと5キロ…!家の周りを走るときの、5キロ地点を頭に浮かべる。あそこから家までなら、しっかり走り切れる。少しだけ、スピードを早める。

が、あと5キロだったはずのゴールはなかなか近づいてこない。これがホテルまでの曲がり道だったかな?と、マップを確認するたび、全く近づいていない現実に絶望する。遠い。遠いぞホテル。こんなに遠かったか?

左手に星のや冨士が見える。そっちに泊まってたんじゃないだろうか。今日からそういうことにならないだろうか。なんでここからまだ走らなきゃいけないんだろうか。意味がわからない。

もしタクシーに乗って、それがsuicaの使えないタクシーだったらどうなるんだろう、宿の前につけてもらって、部屋までお財布を取りに行って、払うこともできるんだろうか、怪しまれるだろうか、それとも宿のフロントの人たちが(誰も彼もとても優しい)、立て替えてくれたりるんだろうか。取り止めもなくそんなことを考えるけれども、実際のところ、タクシーは一台も通らない。

とにかく、走って帰るしかないのだ。ここは東京ではない。

夏の、宮古島で伊良部大橋を渡った時のことを思い出す。

過酷だ。ランニングとは過酷でそして孤独である。

「歩くべからず。」私はまたそのルールを一人唱えながら、もう筋肉が硬くなり始めている足を、一歩一歩機械的に前に出す。なんのためなのかはよくわからない。でも世の中に、これよりもっとなんのためなのかはよくわからないものは山のようにあるのだ。結局のところこれを乗り越えることでしか得られない何か、というのは、ある。(たぶん)

ようやく、ホテルの前の坂道にたどり着く。…坂道?

そう。坂道である。

ホテルは、かなり急な坂道を登ったところにあった。行きは全く気にも止めなかったけれど、そういえば相当の急斜面である。ここまで19キロ。…19キロ?Googleの情報によると、河口湖一周は17キロだったはずだ。おかしい。聞いてない。しんどいはずだ。私は19キロ走ろうと思って意気揚々とホテルを出たわけではない。

しかし何を言ったところでここまで19キロを走り、最後になんの罰ゲームだという坂道が立ちはだかっている。

グレート・ギャツビー。と、私は思う。そう、今読んでいる小説だ。気分はもう、デイジーを待ち続けたギャツビーである。これくらいの坂道を、超えなくてどうする。もっとしんどいことは、世の中に山のようにある。毎日ただパーティーを開く虚しさを、私だって知らなければならない。意味がわからない。

もう、歩く方が速いでしょうこれというスピードで、坂道を登る。歩く方が速い気がするけれども、あくまでも走るのだ。それは私のルールだから。坂の上から、上品な夫婦が二人でこちらに向かってくる。もちろん、歩いている。そう、この道は走るためにあるわけではない。でも走るのだ、それが私のルールだから。

宿につき、部屋につき、鍵をあけた息子が私の顔を見て「どーしたの!!」と、笑って言った。「すんっっっっっごいしんどそうな顔してるけど!何があったの!」と、笑っている。

「19キロ・・・19キロとか聞いてない・・・」と、息子に言い残し、私はそのままシャワーを浴びて露天風呂に飛び込む。目の前には富士山が広がる。ああそういえば、若い頃富士山を登った時もこんな感じだったな、と思い出す。思っているよりもずっとしんどい、ということが世の中にはたくさんある。でもそれでも、その後に入る温泉の気持ちよさは、そのしんどさを経験した人しか知らないものだ。全く曲がらない足をなんとかほぐしながら、私は2時間に及ぶ今日のランニングを思う。もうしばらくは走りたくないな、と思いながら。

1/7(木)

なんと言っても昨日は19キロを走ったのだ、今日は堂々と休む。朝から露天風呂でまどろみ、なんなら日本酒もちょっといただいた。

午後、遊覧船で河口湖を一周し、なにこの湖、めっちゃでかいやん!と思わず叫んだ。こっからあそこまで走ったんやけどすごくない!!??と息子に聞くと、「まじですごい」と、言っていた。まじですごいと私も思います。

気づいたのだが、ホテルの近くからは、河口湖の全体像が見えていなかったのだ。そう、私は目測を誤る。20キロは何度か走ったことはあったけれど、それと見知らぬ土地を走るのとは少し違う。だからそれがどれほどのものなのか、知るよしもなかった。まあ、それでよかったのかもしれない。河口湖がこんなにでかいとわかっていたら走る勇気も出なかったかもしれない。

いや、たかだが19キロなのだけれど、目の前にぐるりと一周を見せつけられると、なかなかのもんだな、と、つくづく思う。

でもこんなのでそのうちにフルマラソンとか走れるのだろうか・・・未知すぎる・・・

1/8(金)

5時前に目を覚ますも、二度寝して、目をさましたら6時前だった。一時間も二度寝してしまった。大寝坊である。

今日から学校の子どもたちを起こし、薄暗い空を見上げながらウェアに着替える。昨日走らなかったので今日は10キロ走る日だけれども、なんせ水曜日に19キロ走った貯金があるからな…と、5キロ走ることにする。

外に出るとめちゃくちゃ寒い。なんだこれ河口湖と変わらないくらい寒い。つば九郎の手袋をしてきてよかった。(最終戦でもらったつば九郎手袋、冬のランニングにちょうど良い。)

それでもまあ、走り始めると1キロもすればあたたまってくる。あれだけしんどかった河口湖一周ランだったけど、2日たてば少し恋しく思えてしまう。富士山、めちゃくちゃきれいだったな。あーいうのは本当、走らなければわからないことだ。私は車に乗らないので、あれだけきれいな富士山を見ようと思えば、「早朝にランニングする」くらいしか方法はない。走ってよかったな、と、思う。

ただし、久々に(たぶん1年以上ぶりだったと思う)19キロを走り、走りおえた瞬間から筋肉痛になった。朝食のレストランに向かう階段を降りるときに「いや待てこれ無理!」と、息子につかまった。

昨日にはだいぶ良くなってはいたけれど、まだ少し痛みが残っている。こんなんで走れるのか。と、思う。

思うのだけれど、これが悲しいかな、走れてしまう。筋肉痛の足というのは、階段を降りるのは大変なのに、ランニングはできてしまうのだ。坂道を下るのは少し痛いけど。

学校が始まるということは、私にとっての日常のリズムがまた戻ってくるということだ。早く起きて、毎日走る。どんな時もこれを粛々と続けていこう、と、そう思う。

大事なのは、自分のペースを見失わないことだから。

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虫明 麻衣(Mai Mushiake)
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