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【ランニング日記】「追い抜かれて悔しい」気持ちがないことについて 【9/12(月)〜9/16(金)】

9/12(月)

なんとまあ私は昨日もジムへゆき、初日にトレーナーさんに作ってもらったメニューでトレーニングをした。しかも、わざわざ千葉のゴールドジムまで足を伸ばしてやってきた。「足を伸ばす」ためには車が必要なわけで、夫を「高層階にあってめっちゃ景色きれいらしい!!」「サウナもお風呂も水風呂までついてるらしい!!」とけしかけて、一緒に行ってきた。入会しないかなあ、夫。

で、また早めに泥のように眠り(スシローでたんぱく質も摂取し)今朝は…またねこに襲われた。あまりにがっつり襲われたので、目覚める直前におっそろしい鳥に襲われる夢を見た。やめてほしい。

程よい筋肉痛が残っていて、こういうのは不思議なことに「ちょっと走るのがんばるか…」という、モチベーションにつながったりする。強い痛みはもちろん、やる気をそぐけれど、心地よい筋肉痛というのが世の中には存在するのだ。知ってましたかみなさん。私は知らなかった。

ちょっと寝坊したわけだけれど、だんだん夏タイムから秋タイムにシフトしてきたため、8キロ弱走ってもなんとか帰ってこられそうである。キロ6分を超えないように意識しながら走る。(もう、夏はほんとうにこれすらできないのだ。)

週末はいつも二日間走らないので、今日も少しかゆみが出る。でも先週よりはだいぶましだ。「走る体」が少しずつ戻ってきたのだろう。考えてみれば初めての「2週間走らない」「1週間弱は筋トレ含めまったく体を動かさない」というのを経験し、そこからまた体がどう変化していくのか、という実験みたいな1ヶ月であった。結果、まあ、体は徐々にまた元の生活(つまり体を動かす生活)に戻っていく。それと同じペースで、心と頭も「はいはい走りますよはいはい動きますよ」と、渋々また納得しながら体を動かすことに馴染んでいく、そんな感じがする。結局のところ、「習慣」になっていることというのは、この「回復力」みたいなもののために、大切だったのかもしれない。

人生なにがあるかわからないわけで、1週間や2週間、もしかしたら1ヶ月とか、体を動かせない時期というのはやってくるかもしれない。そのときしっかり休みながら、また走る体、動く体に戻していく力も、日々のランニングで培っているのかもしれないですね。いや、わからんけども。

そんなわけで月曜日から8キロ。暑さもずいぶんやわらいで、外に出た瞬間の空気が気持ち良い季節。ここからまた寒くて寒くて泣きたくなる季節がやってくるわけですので、しばしこの季節を楽しもうと思います。

9/13(火)

筋肉痛の体を抱えながら、熟睡。早めにベッドには入ったけれども目覚ましがなってからもいやはやめちゃくちゃ眠たくて、まあそりゃあ疲れもたまっていますよねというわけで二度寝をして、寝坊した。(また。)なんとか30分だけは走れそうな時間に外に出て、走り始める。

外に出た瞬間はそんなに暑く感じなかったのだけれど、走ってるとめちゃくちゃ暑くなってくる。遅くてもキロ6分のペースでないと間に合わない時間だったのに、気を抜くとキロ6分を超えてしまう。まずいまずい、と、何度かペースを上げながら走る。

昨日は胸のトレーニングをしたので、大胸筋あたりが筋肉痛である。筋肉痛になって初めて、走るときにその部位も使っているのだなと気づく。普段、どんな筋肉を使っているかなんて、ほとんど意識していないもんね。

せみの声はもうすっかり虫の音に変わり、朝のうちはまだ元気に虫たちが鳴いている。秋がくるのだなあ、と思う。ヤクルトたちの戦いももうあと少しである。私もがんばっていかねばなるまい。さすがに体重もすこーーーしずつ減ってきた。あと1キロがんばろう。

9/14(水)

昨日は気圧なのかもしくはヤクルトが失点ばかりするからかなんなのか、頭痛がひどくて、ベッドに沈み込むように寝た。朝起きたら少しは軽くなっていたので、たぶん体が疲れているのだろう。

なんとか起きて、今日は8キロ走れるかな、と、外に出る。少し日差しは強いけれど、秋の陽気といった感じである。まあいつも通り走れるだろう…

と、走っていたら、今日はやけに疲れる。いや、いつも疲れるというかしんどいのだけれど、やけに暑さが体にこたえるのである。このままではむすめが学校に行く時間に間に合わない…と、思いながらなんとかスピードを上げる。

走り終えた時には「達成感」というよりもむしろ「安堵」みたいな気持ちが広がる。これ、完全に、栄養不足ではなかろうか。と、思い至る。

「糖質制限」とか「ファスティング」とか「無理なダイエット」みたいなことは一切やっておらず、ひたすらたんぱく質糖質脂質のバランスを見ながら食事を考えランニングして筋トレしているわけですが、そうは言っても明らかに運動量が増えていて、おそらく糖質が足りていないのだ。走ることにももちろん、パワーが必要である。しかも筋トレのような「瞬発力」ではなく「持久力」なので、それはそれで必要なエネルギーがまたある気がする。

と言うわけで帰ってすぐにまずプロテインを飲み、それからおにぎりをゆっくり食べた。なんだか体に染み渡る感じがした。糖質、とってもだいじ。

こういうのもほんと、自分の体と向き合いながら、一つ一つ調整していかなきゃいけないですね。体脂肪を減らして、筋肉量を上げながら、あと少し体重を落としていきたい。ゆるりとがんばるぞい。

9/15(木)

昨日朝のランニング時にエネルギー不足を感じたので、昨日は意識的に糖質をしっかりとった。で、今朝は0.1キロ体重が増えていたけれどもそれはもう仕方がない。微調整しながらやっていくのが大切なのである。

というわけで、朝からバナナも少しかじり、走り始める。なんだか目覚めもあまり悪くなく(良くもないけれども)、少しだけ余裕があったので8キロと少し走れそうだ。

走っているとやっぱり暑いわけだけれど、なかには長袖長ズボンで走る人もいる。そのたびに私はびっくりするわけなんですけれども、そもそも気温の感じ方というのも個人差があるのかもしれない。真夏に長袖で走る人を見たこともあるし。

私はもうランニングにいたってはすぐに暑くなるので、できるだけ布の面積は小さく、生地は薄く、というもので走りたい。そうするともちろんめちゃくちゃ焼けるわけだけれども、もうこればかりは仕方ない。走るってほんとうに、暑いのだ。だから、ランニングウェアでおしゃれを求めることがなかなかに難しくて、これがモチベーションがなかなか上がらない要因の一つであったようにも思う。

ところが筋トレというのは、ランニングのように「ずっとめちゃくちゃ暑い。」ということはない。なので比較的、自由な服装でできる。そりゃものすごい分厚い服とか動きづらいスカートなんかは無理だと思うけれども、結構どんな服でもできる。そうすると、ウェア選びが楽しいのだ。これは最近きづいた良いところ。ということで最近、トレーニングウェアばかり見ている。ヨガウェアがかわいいわね。

まあでも今はランニングである。今日もノースリーブと短パンで、高校駅伝ランナーみたいな服装で走る。暑い。まだ暑い。

それでも昨日しっかり糖質をとったからか、今日は昨日ほどはバテずに走ることができた。しんどいものはしんどいけれど、昨日よりはずっと楽だ。

走っていると、インスタでフォローしていたフィットネスモデルの方が、一家でお散歩していた。そりゃあもうとってもすてきで、遠目に見てテンションめちゃくちゃあがってしまった。フィットネスモデルさんが早朝から家族でおさんぽである。良い。とても良い。

たまに、ランニングをする女優さんとすれ違うこともある。もちろん、テンションが上がる。そして走っているときというのは女優さんでも、めちゃくちゃしんどそうなんである。そうなのだ、しんどいのだ。まあもちろんしんどそうでも美しいわけだけれど、それにしたってランニングのしんどさというのは、みんなに共通なのだ。そう思うとなんか、私もがんばろうと思う。なんとなく。

さあ今日も、走ってジムでトレーニングしました。ので、しっかり栄養とって過ごしていこうと思います。今週もあと一日!なんとか乗り切るぞい!(ヤクルトは明日からの連戦どうかなんとか乗りきって!)

9/16(金)

むすめが、「先生がきらいなことは、『負けること』と『待つこと』なんだって!」と、いう話をしていた。それを聞いた私と息子は、へーーー!!と言って、「ママはそういえば、負けるのって、そんな気にならへんわ…」と言うと、息子が「いやほんと、僕も僕も。」と、言った。むすめは「えー!あたしは負けるのきらい!!やだ!!」と言っていて、たしかにむすめはそうだ、と、笑った。

これは私が生まれつきそうというよりは、ランニングによるところも大きいのかもしれない。今日走っていたら、後ろから、とても恰幅の良い男性が私を追い抜いていった。私ときたらこのところ、トレーニングばかりしているのでそこそこ体重は落ちてきて、筋肉もついてきた。一方その男性は、なんというかおなかをたぽたぽさせて走っている。男性だけど私より体脂肪が高い、ということもありえそうな体型である。でも、とにかく、私より走るのはうんと速くて、あっというまに追い抜いて遠くまで走っていった。

で、走っているとほかにやることもないので(あたりまえだ)、せっかくなのでこの時の自分の気持ちを分析してみることにした。走るというのはほんとうに、基本的に退屈な行為である。筋トレの時間にそんなことは考えない。

まず、追い抜かれた時に「悔しい」という感情は、ほぼ、湧いてこない。つまりそれが「負けるのが嫌い」とは自分が思えない所以である。追い抜かれた!悔しい!みたいな感情は、正直なところ、皆無である。

ではほかにどんな感情を抱いたのか。まず浮かんだのは「ほえーーーすごい。」である。基本的にランニングというのは、体重が軽い方が有利だとされている。アスリートたちはしっかり減量をして本番に挑む。というか、たぶん体重が増えることがそんなにない。(私は増えるけど。しくしく。)でも、まあまあ立派な体重を持つであろう、私より年上の男性でも、まあ当然のことながら私よりもずいぶん速く走ることができる。私が遅いというのももちろんあるけれど、あの男性はそもそも男性の平均的速度より速かった気がする。もしかしたら、元々なにか足を使うスポーツをしていたのかもしれない。それをやめて体重が増えてしまって、これじゃいかんと走り始めたのかもしれない。走り始めてみたらやっぱり速かったのかもしれない。なんにしても、あの体型で速く走ることができるというのは、すごい。すごいの一言である。

もう一つ私が抱く感情を分析してみると(ほんとうにひまだな)、これは「希望」である。一般的に、体重が重いというのはランニングにおけるハードル(じゃなくて足枷みたいな言葉なんだっけ、デメリットでもなくて。)である。でもそれでも速く走れる人がいるということは、つまりですよ、例えば年齢を重ねるということもランニングにおけるデメリットだけれど、それだってある程度は超えていけるかもしれないということである。私のような、基本的にさっぱり運動ができない人間にだって、少し速く走ることができるようになる、その余地が残されているということかもしれない。希望である。これは希望だ。

…みたいな感じで、ここに私の「悔しい」という感情は正直、全く表れてこない。だから私みたいなてきとーでどーしよーもない人間が出来上がるんじゃないかと思わなくもないけれどもまあ、仕方がない。そういうのも性格である。

ただ一つ、負けて悔しいと思う場面はある。それが「自分に負ける」時である。去年のタイムより遅くなったとか、昨日できたことが今日できないとか、そういうのはけっこう私でも「悔しい」と、思う。でも本当はこれも仕方がない部分はある。私は毎日成長の登り坂を登っている子どもたちとは違って、さすがにもう体力的な意味において「成長」はなかなかしない。ここから飛躍的にタイムが伸びることはほぼないし、そればかりかいつか、走れなくなる日が必ずやってくるのである。

けどそういうのもなんというか、少しずつ受け入れるために、少しずつ走っているのかもしれないね。

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虫明 麻衣(Mai Mushiake)
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