【ランニング日記】 急な西川貴教になりながら、奄美について考える 【※2022年※ 12/19(月)〜12/23(金)】
12/19(月)
奄美最終日、チェックアウトとかジムがあく時間とかのタイミングが合わないので走らず。なんせ、奄美は7時くらいまで真っ暗なのである。
12/20(火)
昨日は飛行機が遅れ、へとへとになりながらおうちに帰ってきた。「もう明日走らんでいいよなーーーー」とか、息子に話しながら荷物を片付ける。だいたい、旅から帰った翌日というのはなにかと雑事がたまっているのである。
朝目が覚めるとなにやらやけに寒い。私の毛布にはなぜかねこたちがくるまっている。外はまだやや暗い。こんな寒いのにもう走るとかぜったい無理。と思いながらねこから毛布をいただく。(奪うのではなくいただく。)
うとうと二度寝していたら、むすめが「ままー!おかえりー!!あのねじいじとすっごいたのしかったよー!!」とか言いながら起きてくる。かわいい。もうこの話を聞くしかないので私も起きる。「あ、ママがいなくてさみしかったけどね!」と、付け加えたように言いながら「でもじいじとすっごい楽しかったー!!」とまた言っている。かわいい。
奄美も思ったよりずっと寒かったけれど、当たり前だけれども東京はもっともっと寒い。こんな寒い中もう走るのなんて無理だよぜったい無理だよ、な季節がやってきたらしい。
冬用のジャケットを急いで引っ張り出して、着替える。結局着替えるのである。走るのである。なんとまあ。
白湯を飲み、私より遅く帰ってきた夫におみやげ(黒霧島の柿の種。特に黒霧島が入っているわけではないらしい。)を渡し、子供たちにもあれこれお土産を渡し、外に出る。
厚手のジャケットでも出た瞬間にさむっと感じる。でもすれ違う人は、半袖になっている。きっとまだ、走っていると暑くなるくらいの気温なのだ。
走りながらそういえば今年は30代最後なのか、とふと思う。いや、ちがったかもしれない、たぶんそのはず。普段あんまり年齢のことって考えないので自分の年齢をすぐに忘れてしまうのだけれど、今回は取材で年齢の話が出たりしたこともあって、そしてすてきな50代と60代と仕事したこともあり、なんだか30代最後に良ききっかけの仕事になった気が、している。
30代にどんどん肩の力を抜いてきたつもりでいたけれど、まだまだ、肩肘張っているところがあったかもしれないな、と、奄美大島で毎日焼酎ばか理飲みながら、そんなことを思いました。
もっともっと、自由になっていこう、自分に正直になっていこう、そんなふうに思います。
12/21(水)
今日は何の日か知っていますか?そうです、遠距離恋愛の日です。大昔、遠距離恋愛をしていた頃に覚えました。だからなんだって?思い出しただけです。
そういったわけで遠距離恋愛もなにも関係ない私は今日も一人で走ります。昨日は早めに寝たのだけれども脚トレのダメージもでかく、朝までたっぷり寝た。今日は10時から会議なのでそれまでにランとジムを済まさねばならぬ。早くいって早く帰ってこなければ。
白湯を飲むと体があたたまり、まだ薄手のジャケットでも大丈夫かな?とふと思う。ところがアレクサにきくと、気温は2℃とのことである。さむい。それは寒すぎる。もうそれは、冬である。
奄美でいやあこれ寒いな寒いなと思っていたのだけれど、そうは言っても薄手のジャケットで手袋もつけずに走ることができた奄美はやっぱりそれでもあたたかかったのだ。私はなぜか冬に国内の南の島へ行くことがやけに多いので、「言ってもこっちも寒いなあ」とか思っていたら、東京へ戻るとさらに冬が進んでいてはちゃめちゃに寒くなっている、ということがよく起こる。
まあそれでもランニングというのは、1キロも走ればすぐに体はあたたまってくる。これがランニングの悪くないところのような、気もする。外に出た瞬間の絶望的な寒さはほんと、いかんともしがたいのだけれど。
とりあえず今日も早く帰らなくてはならなかったので、5キロを走る。なんだか急に、年末モードが進んできた気がするけれども慌てず慌てず、ゆっくり片付けていくしかない。走っているとね、そういうことが身に染みてわかる。
走りながら、来年はちょっと、ほぼ毎日インスタ更新。というのにチャレンジしてもようかなとふと思う。しかし来年ったって、もうあと2週間もせずにやってくるわけで、別に今日から始めたっていいのだけれど。(一年後の私より。まったく更新していません。)
今日は子供たちとクリスマスマーケット!それまでにがんばって仕事終わらせるぞい。
12/22(木)
久々に、雨で走れない。というのを味わった。ちょっとラッキーである。
12/23(金)
朝。様子がおかしい。何がおかしいかというと、寒い。この寒さは尋常ではない気がする。それでも都会のマンションというのは、暑さ寒さにだいぶ、強い。逆に言うと、外の気温がわかりづらい。とりあえず白湯を飲み、外に出ると、出た瞬間に強風で帽子が飛んでいく。もう、とんでもない方向に飛んでいく。マンションの池に落ちそうになり慌てておいかける。
いったい私はなにが悲しくて朝の6時半から強風にさらされ帽子を追いかけてさっぶい中走るのだろうとまた考える。いや、考えてはいけない。もうこれはそういうもの、と思うしかない。考えたら負けなのだ。
ものすごい向かい風が吹いている。私はいったい何に向かっているのだろう。いや考えてはいけない。とにかく向かい風に向かって走るしかない・・・なぜ?
8キロ走ろうと思ったけれどもあまりの向かい風で全くスピードが出ず、8キロだとむすめの学校の時間に間に合わないかもしれない。といったわけで、7.8キロくらいを走る。しかし向かい風に向かって走るのはなかなかの修行であった。西川貴教である。
こうなると寒いと思っていた奄美はやっぱり暖かかったな…と思う。この、都会の心が折れそうになる寒さ(寒さというのは痛いのだと今日知った。手が痛い。物理的に。)と比べると、そりゃああたたかい場所だったと思う。
私は国内の南の島というととにかく沖縄の島、とくに宮古島にいちばんなじみがあったので、どうしても奄美の自然や文化を考えるときにそことの比較になるのだけれど(どちらがいいとかよくないとかそういう比較ではなく、単に文化や自然を学ぶときの姿勢としての「比較」です。)、奄美へいくと、そうか宮古島というのは本当に、山と川がない島だなとつくづく思う。
宮古島には山がなく、したがって川もないので、ハブがいない。一方、奄美は車で走っているとよくわかるのだけれど(運転してくれた正子さんありがとう)、ほんとうに、「山の島」である。私がこれまで行った島の中では、西表島とかに近い気がする。山が多く深いと、どうしても自然への畏怖みたいな気持ちが大きくなる。「おじゃまします。」という気持ちになるのだ。
私は土地の文化というのは、その地の気候と自然が作り出していくというか、一番影響を与えると思っている。「気候」という意味ではもちろん緯度も沖縄に近く、したがって食文化とかは沖縄に近いものが多い。(奄美の人たちが勧めてくれた「ミキ」は、やっぱり沖縄にもある。)
海に囲まれているから常に津波だったり台風だったりの自然災害との戦いがあるというところも似ている。そういった意味で、神様は自然に宿る、という意識になっていくのもよくわかる。
一方で、山があるかないかって、その島が持つ印象を、ここまで大きく変えるのだな、というのも、今回私が知ったことだった。例えば降水量とかも、そこで変わってくることもあるかもしれない。そうじゃなくても、山がある、そこにはハブだっている、そして神様がいる…というある種の神秘さは、その島の印象をかなりくっきりとあぶり出す。
人々は少しだけ、シャイになる。いや、宮古島の人たちもシャイなんだけれども。なんだろう、控えめになる。でもすごく、すごく、親切だ。親切というか、あたたかく優しい。なつかしゃ家のイサ子さんは、「人生につまづいた人はみんな奄美にくればいいよ」と、言っていた。たしかに、と思う。だけどここで生きていくためには、人間の本来の強さみたいなものが必要だろうな、と思う。自然と真正面から向き合う、実直さのような。でも結局それ自体が、何かを乗り越えていく力になるのだろう、という気もする。力強い自然と向き合ううちに、人間だって強くなっていく。自然を、決して追い抜かない程度に。
…みたなことを、さっぶい東京で一人走りながら、考えていた。まだ考えはまとまらないけれど、こういう感慨はすぐに忘れていってしまうので、とりあえず、メモです。
また行こう、あの、力強い島に。