負け続けるヤクルトを見ながら、息子は成長してゆく【8/29横浜戦●】
「ビジター外野席」に座ったはずが、なぜか三方を横浜ファンに囲まれていた。私はチケットを見返した。私のことだ、間違ってチケットを買うとか余裕であり得る。
でもそれは何度見返しても、「ビジター外野席」だった。「ビジター外野席」とはなんなのか、そもそもビジターとは一体なんなのか。私はしばし考え込む。そこには何か哲学的な問題が含まれているのかもしれない。
朝から鎌倉のホテルのプールで1キロを泳ぎ切った。子どもたちはひたすらにプールの中で追いかけっこをしていた。すっかり初秋の気配を漂わせている鎌倉の風の中、寒い寒い、と言いながら、それでもきゃっきゃと笑っていた。
夏の終わり、楽しい旅だ。最後はヤクルトが勝って締めくくれるといいねえ、と、子どもたちと話した。
隣のカップルはずっと、横浜に拍手を送っていた。
今日くらい勝たないかなあ…と、私はつい思う。ビジター外野席で石山が打たれて拍手をされる、というのはまあそれなりに、なかなかに、堪えるものだ。
だけどやっぱり、今日もヤクルトは負けた。そうだった、「今日こそ勝ってほしい」と願う日に、ヤクルトは勝たない。修行のような3時間半が、今日も過ぎてゆく。
帰り道、「隣の人たち、横浜ファンだったねえ」と思わず息子に言うと、息子は「うん」と笑う。「前の人もだったよねえ」と言うと、「うん、でもあの人たち、外国の人もいたから、ヤクルトの応援席って知らなかったんじゃないかなあ」と、息子は笑う。そして「後ろの人たちは、横浜応援してて警備員さんに注意されてたね。でもあの人たちは、ココちゃんの応援歌の時も手を叩いてたから、横浜でもヤクルトでもどっちでもよくて野球のチケット取ったら、たまたまヤクルトの応援席だったんじゃないかなあ」と、息子はまた笑う。「ママの隣の人たちはまあ…たぶん、わかってたけどね」と、最後にまた笑う。
息子のその言葉たちに、私はなんとなく心が落ち着く。よく見ているし、よくわかっているし、そして私なんかよりなんだか大人だ。「仕方がないよね」という心持ちを、いつの間にかしっかり持っている。そういえばいつも負けた試合は、息子がいいところ探しをしてくれていた。負け続けるチームを応援しながら、息子は息子なりに、少し成長していっているのかもしれない。
いつも勝つわけじゃない。「ビジター応援席」の隣のカップルは横浜ファンかもしれない。でも、雄平のタイムリーで、逆側の隣に座ったヤクルトファンのおじさんと、小さくハイタッチする瞬間だってちゃんとある。
いつも勝たなくてもいい、強くなくたっていい。この際宿題なんて終わってなくたっていい(いやよくない)。それでも、誰かの弱さにつけこまず、あんまりカッカしたりせず(私はすぐカッカして息子に言い過ぎるだめ母ちゃんだけど)、「失敗してもいいから」という心持ちでこのまま大きくなっていってくれたらいいな、と、夏休みの最後の試合に、私はなんとなく思う。
この夏もヤクルトは負けまくった。「今日も負けた」と、私は言い続けた。でもヤクルトが負け続ける横で、子どもたちは確実に、成長してゆく。それは、たぶん、特別な時間なのだ。