【11/27日本シリーズ オリックス戦◎】ヤクルト日本一の日に。てっぱちの涙、息子の涙。
てっぱちの涙を、村上くんの涙を、青木の涙を、カツオさんの涙を、慎吾の涙を、私は忘れないでいようと思う。みんながどれほどの思いを持って、このシーズンを戦ったのか、そして、日本シリーズの熱戦を戦い続けたのか。私がわかったふりをしながら、全然わかっていなかった、たくさんのことを。
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オリンピックでてっぱちと村上くんがほんとうに嬉しそうな顔で笑っていた時、私はてっぱちのこんな笑顔を見たことがないな、と、そうおもった。
てっぱちの喜びがたくさん伝わってきた。それを見ながら私は、とてもとても嬉しかったけど、心のどこかでほんの少し、寂しかったような、気がする。
てっぱちはヤクルトではこんな風に笑わないのだろうか。「心強いチームメイト」がいてこそ、重圧から解き放たれて、こんなふうに笑えるのだろうか。そう、思ったから。
てっぱちのこの笑顔は、ヤクルトの中でも見られるんだろうか。
見たい、と、思った。てっぱちがヤクルトのみんなと、私の大好きなみんなといっしょに、笑うところを。オリンピックで活躍するてっぱちも最高にかっこよかったけど、私が好きなのはやっぱりヤクルトというチームなのだ。そのチームの中にいるてっぱちが、こんな風に笑うところを見たいと、そう思った。
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今日。ヤクルトは、日本一になった。2年連続で最下位に沈み、3年連続はないぞとまさに背水の陣で臨んだ今年、なんと日本一を決めたのだ。
その歓喜の輪の中で、てっぱちが見せたのは、今まで見たこともない、
泣き顔だった。
背負ってきたもの、悔しかったこと、怖かったこと。打てなかった日のこと、打っても勝てなかった日のこと。
それは私が想像していた以上に、もっともっと、もっとずっと重たかった、てっぱちが抱えていたものの表れだった。
想像していたつもりでいた。何度も何度もその重荷について考えてきたつもりでいた。だけど、私はぜんぜんわかっていなかった。てっぱちが抱えていたものの本当の重さを。それが、どれほどまでに重たいものだったのかを。こんなに毎日毎日ヤクルトたちを見ていても、それでも、キャプテンが抱えてきたものを、ほんとうは知らなかったのだ。
いつもポーカーフェイスのてっぱちが、ホームランを打ったって笑わないてっぱちが、初めて見せた剥き出しの感情を見ながら、私は今までにないくらいに泣いた。それは、オリンピックでてっぱちの笑顔を見たときとはぜんぜん違う、初めての感情だった。
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これは、私がヤクルトという「わるいおとこ」に振り回される苦悩について書いた、3年前のnoteだ。
誰かに、自分の一喜一憂を任せたくはないと思っていた。自分のしあわせは自分で決めるのだ、と、そう思っていた。
だけど今、自分にはどうにもできないことで受け取る喜びの大きさに、私は驚く。
それはもしかすると、子供が元気に成長してくれているのを目にする瞬間や、子ねこのかわいい仕草を見た瞬間に感じるものに、似ているのかもしれない。
私はここで毎日、野球を見ている。ただ見ているだけの存在だ。だけど目の前で行われている試合に、自分のことのように一喜一憂する。でもそれはもちろん、「自分によってもたらされること」ではない。
私がうれしいとき、それは、ヤクルトのみんながうれしそうに笑う時だ。私がかなしいとき、それは、ヤクルトのみんながかなしそうな表情を浮かべる時だ。
みんなが今までで一番うれしそうに笑った時、それは私が今までで一番うれしい、瞬間だ。
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ヤクルトの選手たちの涙と同じように、忘れないと思うものがもう一つある。最後に、息子がそっと流した涙だ。
てっぱちが泣くところを見て、息子はうつむき、一人静かに泣いていた。
私に怒られた時と、あと骨折した時、そういう「痛い」とか「不快」とかの時以外には、泣かない子だ。映画を見てとか本を読んでとかで泣くことも今まで一度もない。誰かの涙に影響されて、息子が泣いたのを見たのは、初めてだったと思う。
ヤクルトを応援するようになってからのこの数年で、息子は心も体も大きく、大きく成長した。ヤクルトが最下位に沈むところを見て(何度も見て)、そして優勝するところを見て、日本一になるところを見た。
ヤクルトは息子に、悪いことだってもちろんあるけど、良いことだってあることを教えてくれた。うまくいかない日だってあるけれど、すばらしいものだって世界にはあることを教えてくれた。ありきたりな表現だけれども、努力すれば叶うものがあることを、教えてくれた。
そしててっぱちが流した涙は、息子の大切なにかを刺激した。11歳の息子が今年見たものは、ほんとうに何にも代え難い、素晴らしいものだったのだと思う。
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終わってみれば、ピンチで決して諦めなかったこと、腹をくくったこと。それが凝縮された一年と、そして日本シリーズだった。
オリックスとの力の差は、ぜんぜんなかったと思う。もちろん、「勝ちたい気持ち」だって同じだった。勝負を決めたのは、最後は「流れ」だったりそういう、どうしようもない部分によるものも大きかったように見えた。
だから「諦めなかったこと」と「腹をくくったこと」がオリックスとの比較によってそうだと言うわけではなくて、ヤクルト自身が自分たちの中で持ち続けたもの、誰かとの比較じゃなくて、自分たちの心にいつも持っていたもの、そんな気がする。
感染症の濃厚接触で主力がごそっと抜けた時。開幕のクローザーだった石山が調子を落とした時。CSでじゅりが降板したとき。そして日本シリーズでマクガフが打たれた時。
それでもヤクルトたちは「絶対大丈夫」なのだと、腹をくくってそこに立った。立ち続けた。調子を落とした選手も、怪我をした選手も、踏ん張りながらそこに戻ってきた。オスナは言った。「野球ってエラーや失敗は自然に出てしまうので、周りの選手がどれだけカバーできているか」「中軸が打てていない時に、僕たちがカバーしている。僕やサンタナが打ててない時は周りの選手がカバーしてくれる。それこそがチームだ」と。
高津さんは今日、マクガフを2.1回、マウンドに送り出した。痛い逆転負けをしても、サヨナラ負けをしても、マクガフを信じた。
マクガフは日本一を決める長い長い試合で、勝ち投手になった。
怪我で苦しみ、ずっと思うような成績が残せなかった慎吾が最後のタイムリーを放つ。スリーランが空砲に終わったてっぱちが、最後の3アウトめの打球をゆっくり処理する。オリックスを自由契約になったぐっちは、初めて出る日本シリーズで、古巣相手に地元の球場でライトを守る。2敗したマクガフが、最後に勝ち投手になる。
私が脚本家だったとして、こんなに盛りだくさんの伏線はさすがに入れないだろうと思う。これがフィンクションなら、あまりにドラマチックすぎる。だけど現実に待っているのはいつも、ドラマよりもっとドラマチックな物語なのだ。
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苦しみ続けた慎吾が最後に打ったヒットを、マクガフが3イニングまたいで勝ち投手になったことを、あんなにいつもポーカーフェイスなてっぱちが流した涙を、四番の重圧に耐え続けた村上くんが号泣したことを、ヤクルトが日本一になる瞬間、神戸のレフトを守っていたぐっちの姿を、私は一生忘れないと思う。96敗しようが16連敗しようが結局ヤクルトのことが好きだったけど、今年のみんなはひときわかっこよかったよ。
すてきな一年を、日本シリーズを、ありがとう。戦ってくれたオリックスさんも、ほんとうにありがとう。こんなに、戦う相手のチームのことが好きになったのは初めてです。素晴らしいシリーズをほんとうにありがとうございました。
また来シーズンも、良き試合がたくさん見られますように。オフに誰一人けがすることなく、元気にみんなに会えますように。
読んでくださったみなさんも、本当にありがとうございました!みんなみんな大好きです!!
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