【9/19広島戦◯】村上くんが見せてくれた100本分の希望
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あの日、あっというまに目の前に飛び込んできたホームランの軌道を、今もよく覚えている。
それは、ついこの間のことだったような気がする。でもそういえばあの日は神宮は満員で、(もちろん真っ赤に染まり)、そして安室ちゃんが引退する日で、新井さんが引退前の神宮最後の試合だった。ヤクルトたちは全員、安室ちゃんの曲を登場曲にして打席に立った。
去りゆく人がいる中、まだ若いけいじくんが投げ、ベテランの外野陣が後ろを守り、そして村上くんは、プロ初打席となるその打席で、ホームランを放った。
熊本出身の夫は、「故郷の希望だから!」と、うれしそうな顔で村上宗隆と書かれたタオルを高く掲げていた。そのタオルを下げるのも忘れるくらい、ほんとうにあっというまに、打球はスタンドに飛び込んできた。
あれからたった3年。村上くんは今日、通算100号となるホームランを放った。
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たった3年で、あらゆる景色は移り変わってゆく。あの日ベテランが守っていた外野は、今日の最後には若手三人が守っていた。満員だったグラウンドは、一席ごとに間を開け、ホームランの大歓声は、大きな拍手に変わった。
想像もつかないようなことが、毎日、毎年起こる。時間の流れは誰かに引退を告げ、別れを運ぶ。だけど、あの日大きな希望とともにデビューした18歳の若者は、そこからコツコツとそして大胆に打ち続け、今日それは100本に達したのだ。
時の流れは時に残酷だけれど、でも時の流れが誰かを成長させ、そしてそれだけが、誰かの傷を癒やしていく。
たった3年で生まれたその100本には、100分の希望が詰まっていた。勝った日も、負けた日も、その1本に救われた。その影で、村上くんがこっそり流したという涙を、プレッシャーと重圧からくる苦しみを、チームはきっと受け入れながら鼓舞してきたのだろう。
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いつだったか、監督時代の小川さんがインタビューで、「チームの勝利と育成のバランスは難しい」といったようなことを言っていた。まさに村上くんの育成も、なかなかに難しいところがあっただろう、と思う。でもヤクルトは結局、どれほど三振の数が多くても、村上くんをレギュラーで出場させ続けた。そして、村上くんがレギュラーで出始めてからの2年間、ヤクルトは最下位に沈んだのだ。
でも、毎試合出るごとに、村上くんはぐんぐんと成長を見せていった。守備はめきめきうまくなっていった。そしていつしかベンチでは、率先してチームを鼓舞する姿が見られるようになった。
そういえばみやさまはとりわけ、村上くんに厳しく接したと言っていた。「他の若手がレギュラー争いをしている中、自分はずっと試合に出続けている意味をちゃんと考えろ」と。
その若くしてレギュラーで出続けるからこその重圧を、三振の悔しさを、そして最下位に沈む屈辱を、村上くんは一つ一つ、乗り越えてきた。どんな日もコツコツと打ち続け、「レギュラーで出続ける意味」をしっかり自分で形にしていった。それが今日の、史上最年少での100本塁打達成という偉業に、つながったのだろう。
すべての苦しみや痛みに、意味があるわけではない。それは、ないには越したことがない。だけど、終わってみれば「あの時期があったから」と思えるような痛みは、たしかにあるのだと思う。
ヤクルトが最下位に沈んだ2年間の間に、どんな時だってそこに立ち続け、バットを振り続けた村上くんの成長と、そしてきっと、それに伴う、チームの成長があった。
今日、なんだか自信を持ってそこに立っているように見えるみんなが、とてもたくましく見えた。
でも私はいつだって、勝つ日も負ける日も、強い年も弱い年も、みんながどうか楽しんで野球を続けていけますように、と祈っている。村上くんがこの先も、愛にあふれたこのチームで、まだまだのびのびと、成長していけますように。200号も300号だって、応援していけますように。
そしていつか村上くんにも来る最後の日まで、思いっきり、バットを振り続けていけますように。
村上くん、通算100号おめでとう。いつもいつも、素晴らしい希望を見せてくれて、ありがとう。
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