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もっと没頭していたい
ドラマや映画のワンシーンでよく描かれるシーンのひとつ。ぼーっと何かを思い出したり、誰かのことを考えていると、だんだんと「〇〇、〇〇!」と外から呼びかけられる声が大きくなっていき、はっと我に返る。そこで初めて、周りが見えなくなるほど何かに入り込んでいたことを思い出す、みたいな。
最近僕は、こんな時間を増やしたい。なにかに没頭する瞬間に少しでも立ち会いたい。
意識という概念をざっくりと「主観」と「客観」に分けてみよう。僕は、後者に支配されている時間があまり好きではない。社会の中で求められる一定の行動や言葉使いを形成するには、ある程度自分を俯瞰して捉えることが必要だが、この視点があまりにも強くなることがある。
例えば、飲み会。気を遣う人が多ければ多いほど「自分がどうしたいか」よりも「周りの人が何を望んでいるか」「それに自分はどう動けば良いか」に意識が向く。その視点も時には大切で、色々勉強になることもあるが、この客観視は飲み会が終わった後も続き、あの発言は良くなかったな、もっとこうしておけば良かった、なんてことをぐるぐる悩んでしまうのだ。こんなときは決まって、自分のコアの部分ががらんどうになった気がして、幽体離脱したアバターみたいな物が自身を見下ろしている感覚になる。
「主観」が強い人がうらやましい。周りを気にしすぎることなく、自身の幹をどっしり構えられる人は、かっこよく見える。ひどいときは自分の行動をどこかで実況している感覚になる僕が、没頭する時間にこだわりがあるのはそのためだ。
以前、お笑いコンビ「オードリー」の若林さんのエッセイで、「ネガティブを解消するのは『没頭』である」とあったのを読んで、なるほどなと思った。「没頭」のベクトルはいつだって前向き。能動的でポジティブなのだ。周りの人にも、飛び交う情報にも支配されず、ただただ目の前のことに入り込む。そんな時間に立ち会えた分だけ、普段僕が抱えるモヤモヤは少しずつ幹に変わっていくのだろう。
noteを平日毎日更新しているのもそのためだ。こんこんと湧いて出てくる僕の悩みは、放っておくと大きなしこりになって脳みそを埋め尽くしてしまう。本来の脳の使い方が出来なくなる。だから、その悩みを捌いて、きれいに整えて、スリムにしてあげる。少なくともこうして「書んがえている」時間は、僕は没頭している。
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