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「自転車泥棒」 呉明益

【読書記録】
父の失踪とともに消えた自転車の行方を追ううちに、彼ら家族の歴史、台湾庶民の近代史、さらには日本や戦時下の南洋へと導かれていく。

台湾原住民族の報道写真家、蝶の貼り絵工芸をした女性、戦死した日本兵の霊と不思議な交流をする老兵、戦中のマレー半島で展開された「銀輪部隊(自転車部隊)」、ミャンマーで日本軍に接収され、中国から台湾に渡り台北動物園で生涯を終えたゾウの記憶…いくつもの逸話、何人もの登場人物が、枝葉のようにほうぼうへと伸びてゆく。

この小説を、自分の人生と重ね合わせて語ることはできない。
作者自身と繋がっているような、いないような。
現実のことのような、そうでないような。

編んだばかりのセーターの毛糸が絡むことなくスルスルと解けていくように…は進まず、1ページ1ページ手探りで進む。
一体何のはなしを読んでいるのか、どこに行き着くのか、検討もつかない。

それが余韻を生み、時代も、場所も、人間をも超えた世界へとさらっていく。

初めは一台だったはずの自転車が、結果的に何台もの自転車となり、彼の父親のものだった自転車は、その後父親の手から離れ誰かの見知らぬ自転車となる。

見覚えはないはずなのに何故か懐かしい街や村落、ジャングルの中で、一緒になって「その自転車」を追いかけた。
象に出会い、蝶を追いかけ、樹に上り、濁水に潜った。
簡単には抜けだせない幻想的な世界でたゆたう気分を久しぶりに味わうことができた。

驚くべきは、表紙や挿絵に使われている繊細な絵が、著者である呉明益自身が描いたものだということ。

呉明益はレトロな自転車のコレクターで、ストーリーの合間合間に挟まれる「ノート」で日本、台湾における自転車の歴史や仕様について解説されているのも興味深い。

これまで呉明益の翻訳を手掛けてきた訳者の天野健太郎は、この自転車泥棒の出版後に逝去し、本作が遺作となっている。

❝戦場の爆撃で、私の左耳はもうほとんど聞こえない状態だったが、帰ったあとでも夜、ゾウの群れの足音が聞こえた。密林を越え、大海原を渡り、この村落まで届いた音は、眠れない私の体内へと入ってきた。どれだけ時間が経っても、戦場にいた歳月はまるでついさっき飛び去った鳥のように、一本一本の羽の色まではっきり思い出せる。この手が掴むあの森の湿気った草や泥のように。❞

彼の紡ぐ言葉を一つ一つ噛み締めて読んだ。

これは私の愛車


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