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今度会ったら、

この記事は
#だからそれはクリープハイプ
へ捧げます。
@creephyp


私とアナタは、大学生のときに出会った。

当時原宿を牽引していたポップなアーティストが、雑誌のインタビューで「カラオケでは必ず"社会の窓と同じ構成"を歌います!」と話していて、YouTubeを漁り散らかし夏を反射する"憂、燦々"に辿り着いた。

心の奥を映し出したような声に、旋律に、歌詞に、いつの間にか息もできないほどに溺れていた。
"世界観がいい"なんて決して言わないけれど。



初めてライブのチケットが当たり、心細くてアナタのファンを見つけにTwitterを始めた。
顔も知らないトモダチが増え、ライブのたびに絆を深めた。
本名は知らないけれど、あの子たちの好きな曲は知っている。
ほろ酔いで叫んだ"身も蓋もない水槽"、安っぽいカラオケボックスのスピーカーから耳障りな自分たちの声と金属音が騒ぎたて、「早くライブで聴きたいね。」と翌日声を枯らしたことも忘れない。

初めてお台場で楽屋裏からキャラバンに乗り込むアナタに会えたのは、わずかに漏れる緊張の吐息さえも凍らせてしまうような寒い日だった。
トモダチと観覧車の近くで買ったマヌカハニーを、少し前のライブで喉を痛めたと話したアナタへ、震える文字で綴った手紙とともに贈った。
「寒いから風邪ひかないでね。」と笑いかけるアナタの愛を抱えて、火照った頬を隠しながら終電で帰ったことを覚えている。

深夜に徹夜でレポートを書きながら耳を澄ましたあのラジオ、今は別の誰かがまた別の誰かを支えているのだろうか。
初めてお便りを読まれた日、何度も繰り返しアナタが私の名前を呼ぶ声を聴いた。
いま思えばしょうもない日々を送っていたのに、なにかあるたびにこれはお便りに書こう、とメモ帳にしたためていた。
今よりもっと純粋にまっすぐ生きていたような気がする。



社会人になって、忙しさを理由にアナタのライブに行けなくなりはじめた。
学生時代に勉強の合間でバイトバイトバイトをして買ったシングルよりも、社会に出て買ったアルバムのほうがなんだか薄く感じた。
こんな私の生活は、シングルカットしてしまいたいと何度も思った。

大好きな気持ちは変わらないのに、今まで通りツアーを追いかけるあの子たちに比べて自分が情けなくて、上司から呼び出されて私の誕生日に開催されたライブへ行けなかった日、私はTwitterのアカウントをこっそり消した。
そんな毎日をまたこっそり、グレーマンのせいにした。


今は連絡先もわからないあの子たち。
アナタの公式アカウントの投稿への返信欄から、あの頃と変わらないあの子のアイコンを見つけて、「元気かな。」とポツリ呟く。
そんな声にはお構いなく「あれ、最近電気代上がった?」と、数年前に結婚した夫がハガキを見ながら問いかけるので、「確定した公共料金はただの生活の記録だよ。」と答えにならない答えをする。

暑い夏や寒い冬は特に緊張しながら待っていた生活の記録も、今では2人暮らしの数字を並べて、確認するまでもなく捨てられるこの日々は、あの頃の私から見れば"オレンジ"なのだろうか。

もうすぐ私も二十九、三十。不規則な生活リズムではあるものの、前へ進めていることを願う。

「今度会ったら、」
ライブの告知が出るたびに私の脳内では、口元に光るピアスと必死にもがく足元へ響くベース音が鳴り止まなくなる。


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