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東日本大震災から13年

13年前の3月11日、東日本大震災が起こりました。

私は東京で地震を体験しました。レストランで打ちあわせ中でした。一軒家のレストランがすごく揺れてつぶれてしまうのではないかと思うほどでした。シャンデリアが180度振れていました。

お客やスタッフが長時間そこから動けなくなり、シェフたちが炊き出しをしてくれました。余震のたびに火が使えなくなったりして苦労しながら食事を作ってくれました。

夜、地下鉄が動いたので、偶然にも近所に住んでいるスタッフの方と二人で行けるところまで地下鉄で、その後は約2時間歩いて帰宅しました。

深夜なのに、たくさんの人が歩いていました。民家の玄関では住民の方が食べ物を配ってくれたり、お手洗いどうぞと声をかけてくれたり。コンビニには商品が何もなかった。あの時の光景は今でも忘れません。

当時、私はブライダル司会者として一番忙しい時を過ごしていました。それが二か月先まで仕事がほぼ無くなってしまいました。

家族や出席者の方が東北の方、また、そういう方がいなくても世の中の雰囲気がお祝い事をしてはいけない雰囲気になってしまいました。

いざ司会をする時もどういうテンションと言葉で話したらいいのか悩みました。でも、こういう時だからこそ、結婚式をする決断に寄り添い大切に務めました。

多くの人が亡くなり、結婚式の意味も少し変わったように思います。その場にいられる奇跡を想い、一瞬一瞬を愛おしむような空間でした。

歌舞伎公演は、国立大劇場が中止、新橋演舞場は幕を開けました。私は新橋のチケットを持っていたけど、劇場で余震を体験するのが怖くて行けませんでした。

幕を開けることは賛否両論だったと思う。私が歌舞伎を観ることができたのは4月でした。役者、スタッフの皆さんは、ずっとここで待っていてくれたのだと劇場で感動したのを覚えています。

自分にできることは何か。

それぞれが考えたと思う。猿之助さんは後日談として、役者は無力と感じたと話していました。そして、この時の経験を活かし、熊本地震の時には博多座ワンピースの幕を開けました。役者には舞台に立つことしかできない、と。幕間には募金活動もしていました。


13年前、現実をひと時でも忘れさせてくれたのが歌舞伎でした。どうやって生活をしていこうか。。から、何とかなるかな。。に変えてくれた。司会者でなくても何でもいいかなと。生きていることが大事。

私は辛い時にはいつも歌舞伎に救われてきました。劇場で夢を見せてもらってきました。いつでも猿之助さんでした。

今は少し強くなれた私がいます。

芝居は、私が生きていくために必要です。

13年前を忘れないための覚書。


aya


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