FF16から考える「感情を想像すること」の難しさ
ドミナントの事を書こうと思って色々自分の中の感情や考察を整理しているのですが、すればするほどこのFF16というゲームにおける「キャラの持つ感情」を理解することの難しさに気付き、また感嘆してしまうので、メモがてら、その辺のことをちょっと書いてみようと思います。
有難いことに、ツイートやfusetter、このnoteでの内容が割と読んでくれた方から好評なのと、現実でも割と他人の気持ちを読み取る事を得意としてきたので、そんな自分がFF16をプレイして、何を感じ、何に驚いているのかを少しでも伝えられたらなと思います。
自分は限界トルガルというアカウントの中でも度々「FF16というゲームは感情がわからないと理解が難しいと思う」的な発言を度々しています。これは決して「理解出来ない人は感情が読み取れてない!ダメな奴だ!」みたいなディスりではなく、どちらかというと「こんな複雑な心情を描くゲームによくチャレンジしたな…」みたいなFF16への畏敬の念と「大丈夫かよ…」という若干の心配が含まれています。
なぜそう感じるかと言えば、シンプルに「このゲームのキャラは思っている事を、作品の全編を通して全て話さないから」という状況があるからです。
物語最初のいくつかのシーンを抜粋します。
例えばアナベラが初めて登場するシーン。
アナベラに叱られたジョシュアが伏し目がちになり、拳を強く握りしめていると、
(ジョシュアの違和感に気付くクライヴ)
クライヴがそれに気づき、咄嗟にアナベラに話しかける事で意識を自分に反らします。
この一連の流れの中にはクライヴが「俺がジョシュアを助けなければ…」みたいなセリフが出てくるわけでもなく「ジョシュアに気付くクライヴの表情」が一瞬差し込まれるだけです。
また、ここからがFF16を(個人的に)凄いと思う部分ですが、この次のカットでは今度は一瞬「ジョシュアがクライヴの方を向きます」
このシーンだけでも、「ジョシュアが怒られて、クライヴはなんかアナベラに嫌われてるんだな」とシンプルに捉えた人もいれば、各キャラの一瞬の動作や表情、目線の違和感に気付いて「ジョシュアを常に観察し異変に気付き異常なくらい守ろうとする兄と、その兄に対して何か申し訳なさを感じている弟」というニュアンスまで読み取れる人もいる気がします。
更に読み取るならば、この守る事に固執したクライヴの表現は「ジョシュアへの大きな愛情と、守る事で自分の存在意義を無意識に作っているクライヴ」の表現だったり、クライヴを見るジョシュアの表現は「そんな兄に守られる事への不甲斐なさ申し訳なさを感じながら、大きな感謝を持つジョシュア」くらいまで読み取ってもいいかもしれません。
更にアナベラが去った次のシーンでは、アナベラの態度にクライヴを噂する兵士の声が耳に入ったジルが
クライヴの傍に駆け寄り、
何も言わず、ただ見つめます。
個人的には「キャラに何も言わせず、ただ見つめさせる」、こんなゲームを過去に知りません。
これは勿論ドット絵時代やポリゴンが荒い時代では当然無理だったでしょうし、最近出ているゲームですらキャラの表情を細かく作りこめないゲームでは出来ない手法です。FF16は「仕草、表情、目線で説明をする」という、フルフェイシャルキャプチャー(アクターさんが顔に装着する事で細かい表情を読み取りゲームに反映する技術)導入だからこそ出来る方法を、各所にとても取り入れています。
このシーンは自分が読み取れる限りでは「兵士が話していた話がクライヴの耳に入った事を心配しつつ近寄り、私は気にしていないと伝えたいジル、でもそれを言っていいのか葛藤している」ような行動と表情、そして目線に見えます。表情は心配している、しかし目はまっすぐクライヴを見て、自分が思っているクライヴへの誠意や信じている気持ちを伝えようとしてるかの様に、強い目線になっています(本当に良くこんな意志が伝わる表情を作れるなって驚きしかないです)
ここから更にその人物像まで想像をしていいならば「ジルは大切な相手が困った時に寄り添いに行く事は出来るが、好きだからこそ思った事を中々言えない性格かもしれない」という所まで読み取れます。例えばそう考えてゲーム内を見ていると「ここ、クライヴが好きだからこそ言いたい事言えてないのかもな」と思えるシーンを発見出来たりします。そしてそういうシーンはちゃんと表情や目線にちょっとした違和感を感じる様に出来ていたりもします。
何度でも言いますが、本当にこんな表現をしてくるゲームを他に知りません。
おそらく、従来のRPGでこの「無言で見つめる」のシーンを描こうとすれば、当然セリフ無しではプレイヤーに伝わらないので、ジルに「クライヴ、気にしないで。私はクライヴの味方よ」とか「クライヴ、なんて言ったらいいか…私は気にしていないからね」とか、そういったセリフを言わせたと思います。
そして本来ならば、言葉から情報を強く受け取るタイプの人ほど、そこで「なるほど…ジルはクライヴの味方なんだな」とか「クライヴの事信用してるんだな」とかセリフから情報を落とし込めるんですが、FF16はこの時見つめていた時のジルがどう思っていたかは最後まで説明されないので、このシーンのジルの感情は感じ取ったそれぞれの人に委ねられます。
勿論、ジルが昔から好きだった事(これはサブクエやらないとですが)、クライヴと結果両想いになる事はプレイしていてわかるので、このシーンをそこまで重要視しなくても、ストーリーの大枠には影響しません。
ただ、こういったシーンが本当に多く含まれる為、1シーンで読み取れるちょっとしたそのキャラの想いや感情が、積み重なれば積み重なるほど、プレイヤーにはより強い感情移入になり、逆に読み取れないと、最後までそのキャラが何を考えていたかがわかりにくいと感じる、という現象が起こっている様にも見えます。それくらい、過去のゲーム体験でプレイヤーが経験した事のないレベルの「表現のチャレンジ」をしていると、そう感じるんですよね。
ちなみに、自分はこのジルの表情には最初のプレイで気付いたので、最後のジルのサブクエをやった時に答え合わせの様に「そうだよな、やっぱりジルは子供の頃からずっとクライヴ大好きだったよな」と思ったのと同時に、ロザリアにおけるジルの特殊な立ち位置にもより深く理解出来て、「だからこそあの不安と信念が入り混じったような顔をしていたんだな」とも理解出来ました。
FF16の凄いと感じる所は、もしそのキャラの細かい心情に気付いた時に、答え合わせの様に繋がるシーンや表現がちゃんと用意されてるって事なんですよね。
過去に書いたドミナントの考察でも、ベネディクタやシドの1つ1つの言葉をプレイ中も聞いていたはずなのに、改めてプレイ後にその裏にあるかもしれないそれぞれの想いを考えてみると「その言葉の意味や重みの捉え方が大きく変わる」という現象に遭遇しています。
個人的にはこういう経験は現実では割とよくあるものの、ゲームでそういう事を経験するって事はあまりなかったんですよね。なぜなら、ゲームでは思っている事をちゃんとキャラが全部喋ってくれるからです。
辛い、嬉しい、楽しい、頑張りたい、苦しい、そういった思いを過去のRPGではちゃんとキャラが自らの口で発してくれました。もしくは、そこに付随する別のキャラからの説明があったりしました。
しかし、FF16ではこの感情を、本来言葉で説明する様な場面で表情や目線での説明に変えていたり、それだけでなく、キャラが言っている言葉も建前だったり本来の気持ちではない場合がある気がするんですよね。
例えば現実では、体調が悪い時に「体調が悪い」と言える人と、周りに心配をかけない為に「大丈夫」と言う人がいたりします。もっと言えば「体調が悪い」と言う人でも、仮病で言う人と本当に体調が悪い人、そして「平気だよ」と言う人でも、本当に平気な人と我慢してそう言っている人、ざっと分けてもそんな感じじゃないでしょうか。
しかし、言葉にすれば「体調が悪い」「大丈夫」なんて言葉のみの表現で終わりますが、実際に現実では相手を見て話が出来る事がほとんどです。相手の顔色や声や表情などを見て、「大丈夫」と言っていても本当は体調が悪い人だ、と見抜ける事もあると思います。
言葉のまま受け取れば「大丈夫」なはずですが、現実は違う事もあります。「大丈夫」と言って大丈夫じゃない人も、「大丈夫じゃない」と言って大丈夫な人もいて、そこには何かその人なりの意図があるんですよね。
自分は現実でも、こういう場面に遭遇した時に「大丈夫じゃないのに "大丈夫" と言ったのは周りに心配かけたくなかったのかな」とか、「自分の弱音を晒したくなかったのかな」とか考えるんですよね。勿論相手が答えを言ってくれればわかる事もあるんですが、その聞いた先の答えも本心じゃない、なんて事が人生では沢山ありました。
それくらい、現実の人間は本当の気持ちを隠して生きている人が多い、もしくは言えない人が多い、更に、本人は言えているつもりでも伝え方が上手くない人もいる、みたいな状況に割と遭遇しています。でもそういう時でも面と向かっていると、表情や声色、喋り方とか緊張感、目線とか、そういう言葉以外の情報で本心を感じ取れる事は凄く多いんですよね。それに気付けないまま言葉だけで判断していたら一生わからなかったな、みたいな事も沢山ありました。
そういう経験則から見ても、FF16のキャラはそういった現実の人間に、凄く近い表現をしているように見えます。
なので、主人公に心情を説明しないキャラは周りにも言っていないまま自分でずっと抱えたままだったりするので、近くにいたサブキャラも心情を説明出来なかったり、何を考えていたか知らなかったり、凄く断片的な情報のみを伝えてきたりします。
シドなんて、亡くなった後、本当にリアルで亡くなった人の情報を聞いてる感じがしたんですよね。それぞれのキャラが、それぞれのシドの断片的なエピソードを伝えてくるだけで、ゲーム全体として、シドはこうでこうでこういう感じでこうでした!とか説明してくれません。現実世界の故人を偲ぶ様に、それぞれのキャラと関わった断片的な記憶や背景から、シドとはどういう人間だったのか、どんな生き方をして、どんな人間だったのか、をプレイヤーが想像する必要が出てきます。
勿論、想像したくない人、想像が苦痛な人、想像が苦手な人に強制はしてません。しなくても勿論いいんです。俺も亡くなった人の背景をそんな知ろうとした事は無いですからね。
ただ、現実でもそういった事が知りたければ、亡くなった方が関わっていた人と話して、聞いて、色んな人から見たその人の話を聞いて、多角的に自分の中で「こういう人だったのかもな」と想像するしかなくて、そういう所も含めて、FF16のキャラやストーリーは、知ろうとしないとしっくりこない事があるんだろな、と感じたりもします。そして、そこがとてもリアルなんだよな、と感心もしてしまいます。
最近、ジョシュアの事で自分の中でとても大きい気付きがあって、そこからジョシュアを追うと、やっぱり見えるものが変わったんですよね。そして、そういった事に気付こうと努力する過程の中でも、FF16の仕掛けた丁寧な作り込みに気付いて、今回のこういう事を、ちょっと書きたくなりました。
感情を想像するという事はとても難しい事です。それは人間の数だけ感情があるからですね。だからこそ、人は想像したり考える事を止めて欲しくないなとも思うし、わからない感情には時には勇気を持って踏み込まないと行けない時もあるんだと思っています。
他人を理解しようとしなければ、自分なんて一生理解されません。逆に言えば、自分を理解して欲しいと思うならば、自分も他人を理解する努力が必要になります。
FF16ではそれぞれのキャラがそれぞれ葛藤を抱えて生きていました。そしてFF16のキャラもまた、ヴァリスゼアに生きる中で、嫌われたくないと感じたり、進むのが怖いと感じたり、言葉にするのが怖かったりして、足を止めたり、停滞していたりしていました。俺達とあまり変わらない様に見えるんですよね。だからもっと知りたいと思ったし、知れたものは知れてよかったと思えています。
個人的には、こんな時代だからこそ、感情を想像する事をやめないで生きていきたいと思っています。
最後まで読んでくれてありがとうございました!!
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