Mくんの話③〜28歳男子の雄叫びが響いた四ツ谷の夜〜
僕は一度、Mくんのスイッチを押してしまったことがある。
※Mくんの詳細については下記ご参照ください。↓
(簡単に説明するとMくんは僕と仲が良くて、生田斗真似のイケメンで、仕事もできるけれど、ちょっと変わっている)
Mくんと二人、遅くまでオフィスに残って仕事をしていたとある金曜日の夜のこと。金曜日だし、仕事が一区切りしたらちょっと飯でも食いに行くか、ということになった。
オフィスからほど近い飲み屋街は、金曜日の夜の華やかさに満ちており、どの店も大変に混んでいた。目星をつけていた店が2件とも空いておらず、3件目の候補として選んだのが、四ツ谷のしんみち通りにあるおでん屋だった。以前にも一度行ったことがあり、内装が屋台風の作りで雰囲気もいいし、お店のお姉さんも親切だったし、おでんも美味しかったからだ。
そのおでん屋は細く急な階段を下った地下一階にあり、僕とMくんは金曜日の夜の安住の地を見つけるべく、その階段を降りていった。僕が先に降り、Mくんがその後ろを降りてきた。
ドアを開けると店は客の賑やかな笑い声やおでんのだしの匂い、熱気で溢れかえっていた。美人の店員さんがすぐに僕らのところにやってきて、申し訳なさそうに「ごめんなさい。今満席なんです」と言った。見ると確かにひと席も空いていない。まあ、おでんも美味しいし、店員さんも可愛いし、金曜日の夜だし、仕方ないよな、と思って僕とMくんは店のドアを開けて外に出た。美人の店員さんが「またお待ちしています!」と言って元気よく僕らを送り出してくれた。
ここで思い出して欲しいのは、店に入る時、僕が先に階段を降りて、Mくんがその後をついてきたということである。必然的にお店を出るときはMくんが先に階段を上がり、僕が後からついていくことになる。
次、どこのお店に行こうかな、と考えながらその狭く急な階段を上がっていたそのときである。ふと顔を上げると、そこには中肉中背のMくんのぷりっとしたお尻があった。しかも急な階段を登っていたため、両足が絶妙な角度で開いている。
◇ ◇ ◇
その刹那、僕の身に何が起こったのか、説明してみろと言われてもとても説明がつかない。とにかくそういう気分になったとしか言えないのだ。
小学生の頃、健全な日本男児であれば誰もが一度はやってみたであろう”カンチョー”。そう、「両手の人差し指を伸ばした状態で他の指を組み、相手に気付かれない様に這いよって、お尻の穴(肛門)にその人差し指を突き差す(by Wikipedia)」、あれである。普通であれば小学生、遅くても中学生で卒業すべき破廉恥な行為だ。
しかしそれから十以上も歳を重ね、すでに二十歳代後半に達していたにも関わらず、僕はまるで悪魔に操られたかのように無意識のうちに両手の人差し指を組み、気がつくとひと思いにMくんの肛門めがけてその指を突き刺していた。
急な階段を登るために開かれたMくんの脚、それによって無防備にさられた肛門、僕の人差し指の長さ、硬さ、肛門へ入る角度やスピード、その全てが奇跡的に合致したのだと思う。勢いをつけてMくんの肛門に入った指は、僕が予想していたよりもずっと奥深くまでしっかりと入ったのだ。
う、う、…う、うあ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛
そのときのMくんの悲鳴のような叫び声は、生涯忘れることはないだろう。
腹の底から出た地鳴りのような叫び声。
Mくんの悲鳴が、文字通り四ツ谷の夜に響き渡ったのである。
反射的に出る声というのは、普通、瞬間的なものだ。短い。ところがこの時のMくんの叫び声というのは、ほとんど全力で思いっきり叫んだに等しいボリュームと長さだった。さらに力強さもあった。
もちろん僕もまさかそこまでのリアクションが返ってくるとは夢にも思っておらず、びっくりしてすぐに手を引っ込めたがすでに時遅しだった。
下を見れば、そのあまりの叫び声に驚いた先ほどの美人店員さんがこわばった顔で階段の踊り場まで出てきていたし、上からは道を歩いていたサラリーマンが何事かと階段を覗いていた。もちろん「ちょっとしたカンチョーでして、お気になさらず」などとは言えず、僕らはなんとも言えない苦笑いを浮かべながら、うるさくてすみません、と頭を下げたのだった。
この一件の衝撃が強すぎて、その後どこかのお店に行ったのか、はたまたどこにも行かずに帰ったのか、Mくんとその後どんな会話をしたのか、今となっては全く覚えていない。Mくんには本当に悪いことをしたと思っているが(その後しばらく、僕がMくんの背後を歩くと彼はお尻を警戒するようになった)、とは言え一体どう償いをしていいのかわからないので、特に償いをする訳でもなく今に至っている。