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Mくんの話②群馬の山奥から 遥かなる大地より 蛍のテーマ 〜さだまさしの名曲とともに〜

かの「アルフォートち○ち○事件」から数年後。
(「アルフォートち○ち○事件」はこちらの記事を参照↓)

そのとき、僕はMくんともう一人、Sという同期と3人で関越自動車道を走る車の中にいた。夏のことで、まだ18時を過ぎたくらいだったが、天気が悪く、文字通り暗雲が垂れ込めていた。車内にはなんとも言えない重苦しい雰囲気が漂っていた。

きっかけはMくんだった。平和な土曜日の15時過ぎに突然連絡をよこしてきて、Sと共に強制召集されたのである。ネットで天然の蛍を見ることができる場所があるという記事を見て、どうしても今から見に行きたいのだと言う。場所は、群馬県の山の中にある榛名湖(はるなこ)というところらしい。調べてみると、東京から距離にして約136キロ、順調にいけば車で2時間半の旅路である。

天然の蛍なんて上手く条件が合わないと見ることができないし、今から行くには遠すぎるという僕とSの意見は完全にスルーされ(Mくんは一度言い出すと聞かないのである)、その無謀とも思える蛍見学計画は断行されることとなった。

当時、3人とも独身だったし、男同士で蛍なんか見に行ったって面白くもなんともない。女子を誘ってみたが、もちろんそんな馬鹿げたイベントに付き合ってくれる子などおらず、結局男3人で行くことになった。レンタカーを借りて都内を出る頃には既に17時を回っていた。

道中、どうしても蛍が見れる気がしなくて、高速道路に乗ってしばらく経った後でもなお、僕とSは何度もMくんに「今日はやめよう」と言ったが、Mくんはどうしても今日行くのだと言って聞かない。僕とSの説得は群馬・渋川で高速道路を降りるまで続いたが、その甲斐なく、僕らの車は群馬県の山奥の湖を目指して進んでいた。車内にはMくんが大好きだという、さだまさしがずっと流れ続けていた。

僕らは3人とも運転があまり上手くなかった。だからパーキングエリアや、コンビニで車を止める毎に運転手を交代することにした。渋川ICで高速道路を降りて近くのコンビニに寄って腹ごしらえをした。空はもう真っ暗だった。そこからはSに代わって僕が運転手となった。これが悲劇の始まりだった。

コンビニを出てしばらくすると、街の光も遠くなり、本格的な山道へと突入した。僕は蛇行する山道の運転に最大限集中した。MくんとSは何やら卑猥な話で盛り上がっていたが、僕に細かい内容を聞いているような余裕はない。運転に慣れていない僕にとっては日中でも難易度の高い道だったが、さらに夜である。山奥の方へ進めば進むほど光は少なくなり、すれ違う車も少なってくる。ナビに従ってしばらく進むと、あたりは真っ暗になった。本当に蛍が見えるのであれば、もっと交通量があっても良いはずだが、前後左右、自分たち以外の車の姿形は一切見あたらない。嫌な予感がどんどん高まる。

標高が上がるにつれ、霧が立ち込めてくる。次第に全く前が見えなくなり、ヘッドライトの角度をあげても、1メートル先しか見えない。蛇行しているであろう道筋は全く見えず、前後左右の状況も全く掴めない。まるで雲の中を走っているようである。さっきまでバカっ話をしていたMくんとSもさすがに危機感を覚えはじめ、一転して黙りこみ、じっと前を見ている。車内にそこはかとない緊張感が漂う。

これはなかなかやばいかも知れない、と僕は思う。

多分MくんとSも同じように思っている。一瞬のちょっとした油断で僕がハンドル操作を誤ればあっという間に三人ともあの世行きである。もはや三人の頭の中からは蛍や卑猥な話のことなどすっかり消え失せ、生きてここを脱出することに全神経を集中させる。
「カーブきついから慎重に!」
「いいよいいよ。この感じでいこう!」
「大事に行こう、そこ大事に」
などといったどうでもいいアドバイスが車内に飛び交ったが、もはや僕の耳には入ってこなかった。いや、入れないようにしていた。そもそも最初の2つのアドバイスは百歩譲ってよいとして、最後のアドバイスはもはやアドバイスですらなく、意味不明である。サッカーの試合ではないのだ。僕はかっと目を見開き、頭を前に突き出し、毎秒毎に現れる先の道を見ることに全神経を注いだ。頼れるのは己の腕、この二本だけである。どうでもいい気休めの言葉など聞いている場合ではない。一週間働いた疲れが溜まって先ほどまで怠かった身体にはアドレナリンが溢れている。

死にたくない。

絶対に生きて帰る。

その想いだけが僕を突き動かしていた。ハンドルを握る手に汗が滲む。そして小さく深呼吸をしようとした次の瞬間、Mくんの携帯電話から流れ続けていた、さだまさしレパートリーから、あの曲が流れてきたのである。そう、日本国民が誰もが知る「北の国から」(『北の国から 遥かなる大地から〜螢のテーマ』というのが正式なタイトルらしい。初めて知った)の、あれである。

あ〜あ〜〜あああああ〜あ、ああ〜あああああ〜、ん〜ん〜ん〜ん、んんんん〜……

と、さだまさしの伸びやかな声が車内に響き渡った瞬間、しかし、僕は死ぬかもしれない、と思った。

経験したことがない人にはわからないと思うが、「北の国から」ほど人生のエンディングを迎えるにあたってハマる曲はない。全てを達観し、どこか諦めたようなしみじみとした曲調が、もはや何をしても死からは逃れられない運命にあるような気にさせるのだ。さだまさしの透き通った伸びやかな声もいけない。

そして運転に集中しているはずの僕の頭の中で、なぜかドラマのエンドロール風の映像が流れ始めた(ここからはさだまさしの「北の国から」をBGMに流しながらどうぞ)。

その時、僕の頭の中に流れたエンドロールの画がこちらである→
(BGM:あ〜あ〜〜あああああ〜あ、ああ〜あああああ〜……)

霧で覆われた夜の山道を懸命に運転する自分の顔のアップ。
横で必死にアドバイスをするMくんとS(声の音は入っていない。時々スローモション入る)。
再度必死の形相で前のめりになって運転する私のアップ。
その映像の上で続々と流れるエンドロールの文字。
BGMにはさだまさし。

監督の名前が出て、エンドロールが終わり、音楽が途切れた瞬間、「ががが、がしゃん!」と道を外れる衝撃音。
真っ暗な映像。
つぶれた車の画。
聞こえる救急車のサイレン音。
最後にそっと出てくる「制作 フジテレビ」の文字。

どうですか?うまく想像できましたか?
とにかく僕の頭の中にはこのエンドロールが流れ始め、人生の最後ってこういうものなのかしらん、しかしフラッシュバックとはちょっと違うし、もっと思い出したいこともあるし、両親に感謝とかしないくていいのだろうか、なんて思っているうちに、人生のエンディングソング「北の国から」は終わった。その頃になると少しずつ霧は晴れてきて、道はまっすぐとなった。なんとか生き残ったのである。

ほっと一息ついた頃、車は榛名湖に到着した。途中で道を間違えたりなんやかんやしていたので、ついた頃には21時を過ぎていた。車の外に出ると、霧雨が降っていた。あたりには一切の光も見えず、本当に真っ暗闇で、目を凝らしてよく見てみないと、どこに湖があるのかすらわからない。他に車など一台も見当たらない。曇っているので月も星も見えない。言うまでもなく、蛍など一匹も見当たらない。他に見るべきものなど何もない。あったとしても暗すぎて何も見えない。寒い。

そして男三人、夜の榛名湖畔で、霧雨に打たれながら呆然と立ち尽くすことになった。皆、命がけのドライブで疲れきっていた。

我々は命がけでここまで来て、一体何を得たのだろう?

何故こんな時間に山奥の湖にいるのだろう?

根本的な疑問が頭をもたげる。
命をかけたとしても、かける対象を間違えると何にも生まれないという典型である。

霧雨に濡れた生田斗真似のイケメンMくんの切なそうな横顔が憎たらしい。おい、ちょっと待て、と僕は思う。なぜ、お前がそんな切なそうな顔をするのか。おい、M。今、お前にその顔をする資格は一切ない。平和な土曜日の午後に、突如巻き込まれ、果ては群馬の山奥まで連れてこられた僕とSの方がよっぽど切ないんだ。その顔をする前に僕とSに何か言うべきことあるはずだ。

しかし何も言わずに空を見上げて霧雨に打たれていたMくんは、しばらくの後、やはり切なそうに、声を絞り出して「これも…いい思い出だな…」と言った。

帰りの車中でMくんが僕とSから激しい罵詈雑言を浴びせられたのは言うまでもないが、まあそれはよいとして、一番びっくりしたのは、この後、東京に帰って仮眠をとろうと、朝の4時にMくんの家にお邪魔したときに、Mくんのお母さんが普通に「あらーいらっしゃい」とドアを開けて中に招き入れてくれ、そして中に入るとお茶を淹れてくれて、お菓子も出してくれ、「ゆっくりしていってね」と笑顔で言ってくれたことである。夕方の4時ではない。朝の4時のことだ。おかしくね?やはりMくんというか、M家の血筋は恐るべしである。Mくんについては、常識で考えてはいけないと改めて肝に銘じた私である。

Mくんの話③につづく

※あとでよく調べてみたら、蛍がよく見えるのは、21時ぐらいまでらしいです( ´∀`)榛名湖畔は、7月の20時頃前後は本当に綺麗に蛍が見えるらしいので、いつかリベンジしたい。

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