
【マイストーリー】垣本麻沙美さん
垣本麻沙美さんと、emmyの出会いは2020年5月。
コロナ禍の中、オンラインで無料で話す会に申し込んだのがきっかけだった。
当時は自分も趣味でカメラをはじめたところで、SNSでフォローしていたカメラマンのなかに彼女がいたのだ。
いちばん最初にビビッときたのは「撮られることを文化に」という言葉だった。スマホで自撮りが当たり前になっている現代で、改めて「文化に」するってどういうことなんだろう。
そんな疑問から興味を持ったのだ。
実際画面越しにemmyと会って話を聞いてみると、撮られた方がいいのは自撮り文化がある若者よりも30代後半以降の女性だという。
「若い女性」という自意識から、結婚・出産を経験したり、更年期などの年齢的な変化を感じていたり、「若いころの自分」と同じではなくなったと感じている女性たち。
そんな女性たちに向けて、撮られることを通してもう一度「ただひとりの女性である私」を見直すタイミングを作りたい。そして「ただ一人の女性である私」として自信をもって活躍してほしい。それこそが、「撮られることを文化に」という言葉に込められた想いだった。
ちょうど30代も後半に入ってきた。
ちょうど子ども2人を育てるママ。
キャリアは安定しているけれど、なんとなく理想と現実の間でモヤモヤした日々を送っている。
何より、emmy自身が写真を撮られるごとにどんどん雰囲気が変わっていっている。
「まさに私のことだ…!」
それから折に触れて、emmyの撮影を受けている。

今回のフォトコーチングを受けるきっかけも、2023年の写真展で発表されたemmyのデジタルフォトブックを見て、心が動いたことだった。
もちろん、今回でカメラを手放すというemmyに撮ってもらいたいという気持ちもある。
彼女自身の経歴は、以前本人に聞いて知っていた。
でも、フォトブックにはもっとずっと詳細に彼女の人生がつづられていた。そして、以前聞いた時よりもさらに磨かれた「撮られることを文化に」に根付く想い。女性が美しくいるだけで社会貢献になっているというemmyの言葉を読んで、自分も「撮られることを文化に」のなかのひとりとして貢献したいと感じた。
自分の容姿に対するコンプレックスは強い。
ちいさなころから、妹と比較されて育ってきた。
たぶん、母の「かわいい」や「きれい」のイメージにそれなりに近かったのが妹なのだと思う。
あなたは目がひとえで小さい。まつ毛も短いし、目が開いているか分からない。
そんな風に言われていたものだから、自分の目は小さいものなんだと思い込んでいた。
しかし、「私って目が小さくて」とemmyに言うと、「え?!小さくないけど?!」と驚かれた。
ついつい、「ない」を見てしまう。
細くてスレンダーな私じゃない。
身長が高くない。
もっと痩せられたらいいのに。
そういう思い込みがいくつも重なって、自分をダメ出ししてこれまで頑張ってきた。だから、自分を受け入れてきれいになりたいと思った。
がんばってダメ出しして、自分を責めてきれいに向かうのではなくて、自分を受け入れることできれいになりたい。
しかし、やっぱり思い込みの力は強い。
「どれぐらい受け入れたらきれいになれるんだろう」
「むしろ、自分に甘くなって、逆に太っちゃうんじゃないの?」
そんな疑問がむくむくと湧いてくる。
今回コーチングの中で、「できるだけ『ある』を見ていこう」とemmyに言われた。
だからなのか、以前だったら「ない」と思っている自分が当たり前すぎて意識さえに上らなかったが、「あ、今『ない』を見たな」と気づくようになった。
とはいえ、見たからと言ってそれが消えるわけではない。

はじめて彼氏ができたのは高校生だった。
その後、大学生の時に付き合った男性が年上の社会人で、服をプレゼントしてくれたり、学生だけでは行きにくい素敵なお店に連れて行ってくれる人だった。もちろん、その服を着たらかわいいと褒めてくれる。
彼のために、彼が連れて行ってくれる場にふさわしい自分になりたいと思った。
結局、その彼とは7年ほど付き合った。
いつの間にか家族のような関係性になってしまったと感じた。
このまま惰性で結婚するのかもしれないと思っていたが、それは嫌だった。若くて無鉄砲な自分が、もう少し冒険してみたがっていたのだと思う。
結局、大学院の修士課程を修了し就職した。学生時代に出会った別の男性と結婚し、2児の母になった。当然、子どもを産めば身体が変わる。体形も、体質そのものも変わる。昔のままではいられない。
だからだろうか。
愛されるためには綺麗でいないといけないと感じるようになったのは。
平凡な私だけど、もっと愛されたい。
でもそのためには綺麗な自分でいなくてはいけない。
そんな欲望と怖れがないまぜになって、さまざまな方法を試してみた。
自己啓発セミナー各種、コーチング、ボディメイク、ウォーキング、占い、などなど。
ただ、元々根気の続くタイプではない。
綺麗な自分が当たり前にいるのではなくて、厳しい努力の先にしかいないように見えるから、つい息切れしてアプローチも休み休みになる。
歩き方は前よりも綺麗になった。
普段の生活の中で体重の掛け方を意識できるようになってきた。
でも、日々の忙しさや、子どもたちに合わせて作ったご飯を一緒に食べていたら、食事制限なんて言っていられない。
三歩進んで二歩下がる。そんな日々だ。
小さな積み重ねで、少しずつ変わってきているはず。
自分ではまだまだ実感は少ないけれど。
「撮ってもらった写真を、人に見せてみてね」と言われた。
今まで何度もemmyに撮ってもらったのに、SNSに写真をアップしたのは本当に数えるほどだった。だから人に見せるのはとにかくハードルが高かった。
自分の嫌なところはついムシメガネで見てしまう。だから、余計に嫌が大きく見えてしまうけど、他人はそんなに気にしないこともある。
そう言われた。
なかなか勇気が出ないが、意を決して写真を見てもらうことにした。
自分がいいと思う写真はついつい、消去法になってしまう。
バツがつかないものを探して難がないものを選ぶとどんどん少なくなって、これなら…と思えるのは「これが好き!」よりも「これなら悪くない」と思うものばかりだった。
その数枚を見せても駄目だ。
emmyからもらった写真をとにかく全部見てもらおう。

すると自分では選ばない写真に、しかも何枚も「これが好き」「これいいですね」とコメントが返ってきた。
しかも選んだ理由が「笑っている表情が楽しそう」だったり、「前後に何を話していたのか物語を想像してしまう」だったり、選ぶ基準が自分とは全く違って、体形の話は一つも出てこなかった。
その中には、自分が「これは太って見えるから」と避けたものもある。しかし、聞いてみると太いとはまったく思わなかったと言われた。
そんなことがあるのか。
自分の見ている視点と全く違う視点で人はモノを見ているのかもしれない。
撮影中にemmyと話している時も、そんなことがあった。
「豊かさ」についての話になった時に、自分はお金や、仕事や、物質的な豊かさをイメージした。彼女は目に見えない豊かさや、人間関係が充実していること、いわば心の豊かさについて話していた。
途中で話がかみ合わなくなった時に気付いて二人で笑った。
自分の捉えているイメージと、相手の捉えているイメージは、たとえ同じ言葉でも、たとえ同じ写真を見ていても違う。
それは2回目の撮影だった。
はじめて、emmyに相談して服を決めた。
自分だったらあえて選ばないだろう真っ青なタイトなワンピース。
そこに白のレースカーディガンを合わせた。
一回目のときは、かわいい私にしたくて、白のワンピースにして、髪も巻いてもらった。Iラインのワンピースは体形が出るからと、いつもだったらふんわりしたAラインを選ぶ。
でも今回は海だから、髪はストレートのまま、透明感のあるメイクをお願いして、チャレンジしてみた。
由比ヶ浜の砂浜と、波と、光のまぶしさ。
なんとなく、今日はいい感じがする。
撮られた写真は、やっぱり気になることも多いけれど、言葉にはしにくい何かがいつもとは違った。

3回目はemmyのすすめもあって東京近郊から出ることにした。
他の人たちのかっこいい写真を見て、これどこだろう?と思った場所がある。
名古屋の市政資料館だった。
昔からゴシックでクラシックな雰囲気に憧れていた。
ヨーロッパの古城でドレスを着てウェディングパーティーをしたいと思っていたんだと思い出した。
この雰囲気が好きだったんだ。
クラシックでエレガントな雰囲気。
そんな自分になりたかった。
コーチングを受ける前、「突き抜けたい」と思っていた。
実際、突き抜けたかというと、実感はない。
ある日、「1年前に描いた自分の理想に、今近づけていないのであれば、理想を見直した方がいい」とemmyが投稿していた。
まさに私だ…!
ダイエットも、突き抜けたいという願いにも、全然近づけていない。
そんな私ダメじゃない。
と思って、思わず彼女にメッセージした。
すると、「近づけていないのがダメなんじゃないよ。目標設定自体が違うのかもしれないし、本当にその願いを望んでいるかどうかも見てみたらいいよ」と返された。
たしかに昔よりも言葉を受け入れられるようになった。
昔は10褒められても1つも受け取らなかったけれど、今は3つぐらい受け取れるようになってきた。
一緒にコーチングを受けているみんなの話を聞いてみると、みんなそれぞれにコンプレックスがあるのも分かった。
自分は低身長だ。
だから、高身長だったらきっとずっと楽しいはずと思っていたけれど、高身長の人は逆にそれがコンプレックスになったり、かっこいい自分しか出せないのが嫌だったり、いろんなことを考えている。
そうだとは分かっていたけれど、生の声で実際に話を聞けたのは大きかった。やっぱり、頭の中って人によって全然違う。

分かってきたことがある。
自分は欲張りなのだ。
欲望がたくさんある。
かっこいいのも、かわいいのも、クールなのも、エレガントなのも、どうせなら全部やりたい。
夫も子どももいて仕事も順調な幸せな家庭だから、それぐらいで満足しなくては…。
もっと良くなりたいと思うのは、ぜいたくなこと。
そんな、欲望に蓋をするのが当たり前な環境が嫌だった。
嫌だと思いながらも、ママ友たちや職場の人はそれで満足している。だから、なんとなくそこから出られずにいた。
不幸なわけではないけれど、手放しで幸せかと言われるとそうでもない。漠然とした不安。
でも、emmyは願いを叶えていいよと言ってくれている。
「まさみちゃんは、規模間の大きなスケールで世界を見通す力があるんだよ」
願いを言葉にできない世界からは、一歩抜けだせた気がしている。全部やれるなんて、ラッキーだし、やれるならやりたい。
3回目の撮影のあと、emmyに言われた。
「一皮むけた気がするよ」
まだまだ、全然変われていないと思っていたけれど、ちょっとでも変わったらしい。
そうやって少しずつ変わっている。
劇的な変化を期待していたけれど、全部ほしいからこそ、ゆっくりなのかもしれない。
ゆっくりかもしれないけれど、これからもずっと変わり続けていく。