タンゴの夜の記憶、ヒエラルキーの無い世界
久しぶりにタンゴの記事。
昨夜のミロンガ(第2・4火曜日にシンルンボで開催されるSWITCH)はとてもとても楽しかったので、その備忘録。
ミロンガは、会場、音楽、居合わせた人、もしかしたら天気とか、変動するさまざまな要素が左右して空間が創られる生き物のようなものだ。
昨夜は、さまざまな要素がカチッと合って、
「タンゴを続けていてよかったな」と久しぶりに想った(この感覚は、年々少なくなっている)。
最近タンゴをしていて辛いと思うのは、タンゴがときに、実社会の縮図になっていると感じることがあるからだ。
例えば、上手い人(※)や見目の良い人はヒエラルキーの上位にいて、お誘いをたくさん受ける。上手い人や先生と踊ってもらうために、目をギラつかせる人たちがいて、フロアを見ると「外に向けたタンゴ」で溢れ、まるでコンペを見ているような気分になるときもある。そういうミロンガでは、技術ばかりが重要視されているようで、心が殺伐とする。
※「上手い」の定義も議論の余地があると思うけど、ここでは「技術の高い人」としておく
同時に、私自身にも、"上手い人と踊ってもらうために"頑張らなくては、と思う気持ちもないわけではなく、かといって上達が遅い自分に落胆してばかり。実社会(現実)から逃れたくてタンゴをしているのに、結局は残酷なまでに現実に引き戻されるのが、辛かった。
SWITCHには、それがない。
皆思い思いのタンゴを楽しんでいる。
フロアを眺めながらカウンターで静かに飲むもよし、テーブルで女子トークをするもよし、ひたすら踊りたい夜は、果敢にカベセオを飛ばしても良い。
ここにはヒエラルキーがなく、タンゴへの愛とタンゴで結ばれた友情がある。
この日は1時間のリクエストタイムがあって、ひとり三曲まで踊りたい曲をかけてもらえるのも楽しかった。
私がリクエストしたのは、
Por Una Cabeza / Fabio Hagar Sexteto
Orlando Goñi / Sexteto Mayor
Beautiful Tango / Hindi Zahra
Beautiful Tangoの歌詞は泣けるほど美しくて大好き(また別記事に)。
タンゴを続けるためには、自分が心地よくいられる居場所を確保することが大事、あらためてそう感じた夜だった。