『島耕作シリーズ』弘兼憲史先生へ特別インタビュー!武蔵野大学学祖・高楠先生を取り上げた漫画制作の裏側
みなさんこんにちは!学生広報チームの菅原と和田です。
今回は創立100周年プロジェクトの1つである「学祖関連書籍の発刊、映像制作」でこのほど完成した高楠順次郎先生の漫画『高楠順次郎 仏教学者、世界を駆ける』を取り上げます!
作者のご紹介
この漫画を描いたのは、なんと『島耕作シリーズ』で有名な漫画家・弘兼憲史先生です。せっかくですので、まずは、弘兼先生が漫画家になったご経歴からご紹介します!
経歴(一部)
・1970年 松下電器産業(現パナソニック)入社
・1973年 松下電器産業(現パナソニック)退社
・1974年 ビックコミック(小学館)に『風薫る』を発表・デビュー
・1983年〜『課長島耕作』連載開始
弘兼先生の漫画家としての道は、幼少期からの絵に対する情熱から始まります。映画が好きな父親とともに多くの映画を見る中で、映画のシーンを紙に描いて再現したりすることで、自身の絵に対する才能が開花するのを感じたそうです。しかし、中学受験の際に漫画を描くことを両親から禁じられます。それでも漫画を描くことへの情熱は薄れず、中高一貫校で学生生活を送りながらも、密かに漫画を描き続けます。高校時代には漫画を通じて食べていくことの困難さや、両親からの反対もありましたが、それでも漫画家への夢を諦めきれなかったそうです。
大学時代は、早稲田大学法学部に入学し、大学でのクラブ活動を通じて漫画研究会に入ったことで同好の士(同じ趣味を持つ人)と出会い、漫画を描くことへの理解を深めます。また、大学時代にアルバイトとして原稿待ちを経験する中で、漫画家としての職業に対するリアルな感触も得たそうです。
しかし、大学卒業後は漫画家を目指さずに、松下電器(現パナソニック)に入社。広告・宣伝部門で勤務をしている中で、外部のデザイナー仲間が漫画家を目指しているという話を聞き、その時に「幼少期からの夢を忘れてはいけない」と、会社を辞めて漫画家としての道を歩む決意を固めたそうです。
その後、ビックコミックの公募に応募し、入選したことからプロの漫画家としてのキャリアをスタートさせました。そして、連載を獲得し、人気作品を生み出していくことに成功し、今に至ります。
武蔵野大学の学祖・高楠先生の漫画を描くきっかけ
これまで武蔵野大学とは直接関係がなかった弘兼先生ですが、どうして今回の漫画を描いてくださったのでしょうか。それは武蔵野大学副学長であり武蔵野大学附属幼稚園の園長でもある石上 和敬先生と弘兼先生の間に共通の友人がいたことがきっかけだそうです。今年、武蔵野大学は100周年を迎えるということで、「創立100周年記念プロジェクト」として学祖の書籍を発行しようとしていることを石上先生が友人に伝えたところ、弘兼先生を紹介してくださり、この漫画を描いてくれることになったそうです。
弘兼憲史先生への特別インタビュー
今回、そんな弘兼先生に特別にお時間を頂けることになり、学生広報チームを代表してインタビューをしてきました! その様子をレポートします!
Q.高楠先生の活動や思想を書く上での苦労や挑戦はありましたか?
高楠先生や仏教についてあまり詳しくなかったため、書きながらそういうものなのだなという風に一緒に勉強していきました。文字で書くのではなく、絵で書かなければいけないため、参考となる写真を集める必要があり、インターネットや武蔵野大学の資料等を使い、調べることが大変でした。大学の分厚い高楠先生についての文字資料からどこが重要でこれは外してもいいなというのを取捨選択して、構成するのには丸1ヶ月くらいの時間がかかりました。また、読み物としてみんなが楽しんで読んでくれるように単調にならないように事件性を取り上げて物語に動きをつけました。特に関東大震災の部分に関しては、読み物として絵的に見せることが必要だったため、大きくページをとりました。
Q.参考にする資料を集めたり、漫画を描いたりする時に捗る時間帯は何時頃ですか?
漫画家は、大体13時くらいから始まって、明け方ぐらいまでやる人が多いです。自分もやはり捗るのは、23時くらいにアシスタントたちが帰った後から明け方の3時くらいまでの間が1人になって集中できる時間です。77歳ですが、未だにその生活をしています。いつまでやるんだという感じですが(笑)しかも、締め切りのラインが後ろから迫ってくるんです。水泳でいったら世界新記録の赤いラインが迫ってくる感じで。それが毎日続きます。なかなかきつい人生ですけど、好きなことだから全然苦にはならないです。
Q.弘兼先生から見て、武蔵野大学の学祖である高楠先生はどう見えましたか?
高楠先生の生涯や業績について重視した点は、「女子教育」です。1924年に武蔵野女子大学の建設を発表し、女子教育の完成、女子関係事業の促進という目標をたて、女性の活躍を見込んでいるということが当時では考えられないすごい視点だと思います。まだまだ、その当時、日本は家父長制というのがあって、男の人は稼いできて、女の人は家庭で家事をするということが普通でしたから。実際、昭和19年生まれの自分の姉が大学にいくと言った時、親が反対していました。男の自分でも、松下電器(現在のPanasonic)に入社した1970年頃、あんな大企業でさえも事務職では女子の4年生の大学卒の人材を採用していませんでした。そのような時代に、と考えたらやはり高楠先生は先見の明がありますよね。
Q.弘兼先生が考えるこの漫画のキーパーソンはどなたでしょうか?
オックスフォード大学のマックス・ミュラー教授だと思います。留学に行った当初の高楠先生は、政治経済のような実学を学びたいと考えていましたが、教授にサンスクリット語とパーリ語、そしてその後インド学をやることを勧められたことにより、インド学を専攻すると心に決め、猛勉強の後、オックスフォード大学に合格したということで、マックス・ミュラー教授が居なかったら、高楠先生のこの後のすごい業績はなかったのではないかと思います。
Q.漫画完成に向けて一番協力してくれた人は?
自分は、まず文献や資料を読んで、どういうストーリーにするかを構成した後、コマ割りをし、絵コンテを作り、下書きをし、主要な人物の顔を入れていきます。漫画は、1人で描くのではなく、共同作業で行うため、後の背景や脇役はアシスタントにお願いします。58、59ページのヒマラヤ山脈は、アシスタント1人が三日くらいかけて絵を描きました。8人くらいのアシスタントが入れ替わり立ち替わりで漫画を制作しています。
Q.読書に伝えたいメッセージはありますか?
高楠先生の業績を読者の皆さんに伝えたいです。こういう人が世の中にいたのだということが知ってもらえたらいいなと思います。一般の人には、あまり知られていない名前だと思いますが、仏教を世界に広めることをされたり、女子教育を促進されたり、様々な業績のあるすごい人ですから、それが伝われば嬉しいです。また、この漫画を読んで、自分なりに高楠先生から何を学ぶことができるのかを考えていただきたいです。自分は、高楠先生から「精進」「努力」という部分を教訓として得ました。
Q.弘兼先生が思う、今回の漫画の注目ポイントを教えてください!
65ページからの「大正新脩大蔵経」の刊行事業を始めるところです。ここが高楠先生の一番の大偉業なので、絶対に外せない部分です。その後は、日本でもすごい人になっておられましたから、やることは全てすごいことですけど、やはり、ここは大きなポイントです。大偉業なので、絶対に外せない部分です。その後は、日本でもすごい人になっておられましたから、やることは全てすごいことですけど、やはり、ここは大きなポイントです。
後は、82ページあたりの女性の権利を認めるところです。個人的には、76ページあたりの学生たちが火事の中本を助けたというシーンで、身の危険を顧みずに、自分たちの判断で高楠先生の大切な本を守った行動がいいなと思いました。
取材を終えて
実際に自分が読んだ漫画の作者の方とその漫画についてのお話ができるという非常に貴重な体験をすることができ、とても光栄に思います。この漫画は、高楠先生の生涯や業績について楽しく知ることができ、読み終わったときに、高楠先生のことをもっと知りたい!と思える一冊です。私たちのお気に入りのシーンは、94、95ページで高楠先生がハワイ大学に客員教授として講義を行うためにハワイに滞在していたときに、奥さんの霧子さんが亡くなったという電報を聞いたにも関わらず、その後、日本に戻るまでのハワイの滞在時間で勉強をしていたシーンです。高楠先生の勉強に対する向き合い方や考え方がよくわかるシーンで、自分の考えとはかけ離れていて、読みながらとても驚き、印象に残っています。
ぜひ、皆さんも読んでみてください!!
※学年、肩書は取材当時(2024年4月)のものです
日本語コミュニケーション学科3年 菅原 愛実
経済学科2年 和田 みんみ
【学生広報チームについて】
学生広報チームは2023年9月に活動を開始しました。創立100周年事業プロジェクトの取材を行い、武蔵野大学の学生・教職員だけでなく、学校法人武蔵野大学の中学校や高等学校の生徒の皆さん、地域の方々に武蔵野大学や100周年事業の魅力を発信できるように今後も活動していきます。
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?