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【インタビュー全文】「むさしの学生小説コンクール」主催者たちの追懐――”緊急文学宣言”から作品集発刊にいたるまで

2024年度むさし野文学館企画展示「『むさし野文学館』展―はじまりから現在いま―」に際し、2021年1月に当館から公表した「緊急文学宣言2021」ならびに同年開催の「むさしの学生小説コンクール」を振り返る。
(所属・肩書はいずれもインタビュー実施日のもの)

編集:森貞 茜(文学部日本文学文化学科4年、当館スタッフ)

【インタビュイー】
・土屋 忍(文学部長。当館館長)
・山路敦史(文学部助教。当館研究員。2009年度文学部日本文学文化学科卒業、当館元スタッフ)
・藤井真理子(当館客員研究員)
 
【インタビュアー】
・野田 愛(文学部日本文学文化学科2年、当館スタッフ)
・石原愛美(文学部日本文学文化学科1年、当館スタッフ)

(2024年3月8日、紅雲台にて実施)

「むさしの学生小説コンクール」開催の経緯

本館ウェブサイト「むさしの学生小説コンクール」(2024年7月17日最終閲覧)

土屋:
 秋山法子さん[1] から文学館にご寄付のお話がありまして、そのお金をどう使うかという話し合いを日本文学文化学科(以降、日文)の教員全員でしました。最初は、学生に直接還元できるものにしよう、経済的に困窮している学生たちに何らかの形でそのまま渡せたら良いんじゃないかということで、奨学金にしようと一度は決まったんです。
 その話を大学にしたら、奨学金に使ってはいけないと言われました。じゃあ奨学金の代わりになるものは何だろうと考えて、コンクールにしようとなりました。奨学金だったとしても、成績とか、人物評価とか、何らかの形で選ぶわけじゃないですか。文芸コンクールを開催したらそれが文学部(文学館)らしい形での選び方になったということですね。
 文学部に限らない全学的な寄付金の使い方を考えても良かったんですけど、あまりにも冷たくダメと(大学に)言われたので、これは文学部だけのものにしようかなと思いました。でも、門戸を閉じたいというお気持ちが秋山駿・法子夫妻にあったわけではないので、文芸コンクールにしようと。かつ、文学部だけのコンクールにするのではなく、学内のコンクールでもなく、もういっそ世界に開いた1回だけの大きいコンクールにしようといって考えたのが、この学生小説コンクールでした。

 応募できるのは今(当時)の学生と未来の学生です。小学生でも中学生でも高校生でも大学生でも大学院生でもよかったんですけれども、児童(小学生)や生徒(中高生)の小説ではなく ”学生の小説” を募集対象としました。その代わり、中高生は未来の学生ととらえて、浪人生やフリーターであっても構わないから、若い人から作品を募りたいと考えました。
 ただ、寄付金をコンクールの賞金に使うことはできないと(大学に)言われてしまいました。では、どうやって数百万円の寄付金を使おうかと話し合い、そのお金で本を出してあげよう、そして、その本を読み、問う機会を作ることに使おうと、いったん決めました。それで、法子さんにそのことを伝えて、「それはいいね」というご了解を得て、進めました。

 文学館のお話として遡ると、奨学金やコンクールとは別に実はもう一案ありました。それは、紅雲台[2] 1階の改修です。ホールにいろいろな段をつけて、本で遊べる広場を作り、低層のおしゃれな本棚を木造で作り、紅雲台の入口から文学館までの廊下にも本棚を作って ”本の館” みたいな導線にして……。もともと水谷(俊博)先生[3] に描いてもらった図面があったので、それを実現することも考えたんですよ。秋山駿先生の(旧蔵書を収めた)文学館があって、そこまでの導線を法子さんの寄付金で作るというのも良いかなと、それも実は案としてありました。

紅雲台(むさし野文学館は1階奥)

 が、寄付金には使用期限があって、1年~1年半以内に使わなきゃいけなくてですね。コロナ禍もあって期間内に全部使うことが難しかったんですよ。早く答えが欲しいから大学理事長に話を持って行って、できるかどうかと尋ねたら、それはちょっと難しいと。「それじゃあこの図面とアイデアをどうしてくれる」って言ったら、「それは何とかする」と一応含みを持った返事がありました。その理事長はもう退任されてしまって、その言葉はちょっと宙に浮いているんだけど。まあそれはそれとして、寄付金の使い道については大学と合わせながら進めなければならなかったこともあって、このコンクールで推進しました。そういった交渉事は僕がやりました。

山路:
 今のお話の中では(寄付金を)学生の交通費に活用するという案もありましたね。地方から上京してきたけれどコロナ禍で対面授業がなくなったために実家に戻ってしまっている学生たちが大学に通学するための交通費に回そうという案がありました。

土屋:
 要するにお金の形では学生に渡せなかったということです。だとしても、コロナ禍に何らかの形で経済的に困ったり、あるいはパソコンが買えなかったりと、いろいろなことがあったので、そういうものの資金として文学部で使っちゃおうと考えました。それには学生部長らも「ああいいね」って。「文学部だけで使っていいんですか」って聞いたら、「ああ、いいんじゃないですか」っていうところまではいったんだけど、結局ダメだということになりました。

山路:
 Go To EatやGo To Travelとかけて、Go To Musashinoという名称まで出たんですけどね。

土屋:
 これは大人の話ですが、寄付があったとき、大学は大学予算に算入したいと考えます。だから大学からしたら嫌だったかもしれないのだけど、用途をこちらで決めることにしました。少なくとも寄付をした方が用途を納得したうえで寄付をする、という形を取らせてもらったんですね。こちらで用途を考えて、お伝えして、ご了解を得て、そのうえで寄付をすると。
 最初からただ大学にお金が渡ってしまうだけだと、ものすごく間接的にいえば、みんなのために使われるかもしれない。けれど、武蔵野キャンパスにいる学生たちには還元され得ない使い途が選ばれる場合もあり得ますよね。そういうことを阻止するためにも、早くできる企画を考えなきゃいけない、このままいったらせっかくの機会が……、と急いではいました。ただコロナで集まれない、話し合いにはそれこそZOOMを使わなきゃいけない、しかも確かめれば確かめるほど、大学の事情でくるくると話が変わっていく中で、結局最後まで一緒に考えてくれたのが、このコンクールや ”緊急文学宣言” を考えた人たちです。卒業生をはじめ、ここまでの思いや秋山法子さんのことをよく知っている人たちがいて、法子さんにインタビューを取ったり、一緒に映画を撮ったりしてきた人たちが、一緒に考えてくれました。 


[1] 秋山法子(あきやま・のりこ/1936-2020)装幀家。1959年に文芸評論家・秋山駿(1930-2013)と結婚。
本館ウェブサイトにて「秋山法子 装幀の世界」公開中
https://musashino-bungakukan.jp/contents/contents01.html

[2] むさし野文学館は紅雲台1階の奥に位置する。当企画展示や館内にて、建築図面を展示中。
本館ウェブサイトにて「建築✕文学」公開中
https://musashino-bungakukan.jp/contents/contents10.html

[3] 水谷俊博(みずたに・としひろ)本学工学部建築デザイン学科教授。むさし野文学館の設計にも携わっている。
本学ウェブサイト「学問の地平から 第三九回 人生を豊かにする『良い建築』をめざして」
https://www.musashino-u.ac.jp/research/interview/39_mizutani/

URLはいずれも2024年8月12日最終閲覧

企画に関わった学生・卒業生たち

野田:
 その映画は「ウエスト・トウキョウ・ストーリー」[4]ですか?

土屋:
 そうです。チラシのデザイン的なところでかなり積極的に協力してくれた小松俊哉くん[5]は今KADOKAWAにいます。いろいろなデザインや装幀のこともちょうど仕事でやっていて、その技術を生かしながら業者さんと交渉してくれたり。彼にはかなり助けられました。そして任せました。
 ひばりヶ丘団地に秋山夫妻の家があって、2013年に駿先生が亡くなってからは法子さんが1人で住んでいらっしゃいました。そこへみんなで行ったり、小松くんが1人で行ったりしてお話をしていました。「ウエスト・トウキョウ・ストーリー」での法子さんの話の聞き手は、当時大学生(学部生)だった小松くんです。

石原:
 ああ、そうだったんですね!

映画「ウエスト・トウキョウ・ストーリー」フライヤー

土屋:
 「ウエスト・トウキョウ・ストーリー」が劇場公開する前に、学内で試写会があったんですけど、僕の記憶違いでなければ、当時北海道大学の大学院生だった山路くんが来て、見てくれて、パンフレットにも書いてくれて、っていうことがありました。 

野田:
 結構繋がっているんですね。

土屋:
 今思い出してきました(笑)。前段階でそういうような繋がりがないと、みんな熱を持って集まってくれないと思うんですね、多分。なぜあれができたのかなと考えると、やっぱりそれ以前の関係性が非常に大きいんだと思います。
 僕は場を動かして作っている立場ではあるけれど、司会進行も招集もするけれど、決めることはみんなで決めていったというふうに思っています。結構熱を入れて、喧々諤々やるんだけど、最終的にはいつも全員一致で決まりました。今思うと、よくオンラインで決まったなあ。一部の誰かだけが案を出してまあいっか、ではなくて、周りの人がああだこうだ言って、それをちょっと調整することもあったりしながら、タイトルもキャッチコピーも全部みんなで決めていきました。

野田:
 キャッチコピーも、そういったオンライン会議で決められたんですか?

山路:
 この会議はハイブリッド型で開催しました。武蔵野キャンパス7号館3階の教室が会議の会場で、当時はここに大きなプロジェクターを設置し、集音マイクでオンライン参加者とも音声や映像を接続したんです。
 オンライン参加者は複数いまして、小松さんもその1人です。対面の教室にいたのは、土屋先生と、現在本学の入試広報課に務めている加地花百さん[6]、土屋ゼミ12期のゼミ長だった原優子さん[7]、私だったかと思います。”緊急文学宣言” というタイトル案について、早く使わないと先によそに使われてしまうと言ってくれたのは、原さんです。

土屋:
 当時卒業から長く経った人たちも来てくれていましたね。

山路:
 土屋ゼミ15期生の田之畑佳奈さん[8]もオンラインで参加してくれていました。

土屋:
 現役の学生の声も聞きたかったから、入ってもらっていました。

山路:
 土屋ゼミ7期生の篠田高志くん[9]もオンラインで参加していました。

土屋:
 オンライン会議用に急遽買った、ものすごく大きいプロジェクターがあって、それを使い、さらに会議システムも買ったばかりで。

山路:
 オンライン用にね。

土屋:
 そう。置いておくと声を拾うってものがあって、使ったことはなかったんだけど。 

山路:
 当時の会議で使用したのは、かなり早い時期での運用でしたね。あの会議自体がハイブリッド型のための機材の試験的な意味合いもありました。

土屋:
 そのときは対面で集まることはありませんでしたね。

山路:
 武蔵野キャンパス内に誰も人がいないようなときでした。

土屋:
 そう、ゲリラ的に集まって。大学に来るのは嫌なわけじゃなかったとしても、みんなそれぞれ本業の仕事がありましたし。来られる人は来て、来られない人はZOOMで参加して。あのときは本当に ”緊急事態” だったね。

山路:
 そうですね。 

土屋:
 大学に誰もいなかったもの。

山路:
 いませんでしたね、本当にそうだったと思います。

土屋:
 こっそり……。こっそりじゃないけど、そういう感じだったね。


[4] 映画「ウエスト・トウキョウ・ストーリー」(2016)第12期土屋ゼミ企画。「西東京と文学」をテーマに、こうの史代、五木寛之、茨木のり子、松本清張、秋山駿・法子夫妻についての学外調査の様子を映した5つのドキュメンタリーパートと、それらを繋ぐフィクションパートによって構成されている。詳細は当企画展示、または当館ウェブサイトにて。
https://www.musashino-bungakukan.jp/contents/contents04.html

[5] 小松俊哉(こまつ・しゅんや)本学文学部日本文学文化学科2014年度卒業生(卒業後、武蔵野大学大学院に進学)。当館元スタッフで、『秋山駿蔵書目録』(2017、当館所蔵)作成などに深く関わる。映画「ウエスト・トウキョウ・ストーリー」にも参加・出演している。

[6] 加地花百(かじ・はるも)本学文学部日本文学文化学科2019年度卒業生(卒業後、武蔵野大学大学院に進学)。当館元スタッフ。

[7] 原優子(はら・ゆうこ)本学文学部日本文学文化学科2015年度卒業生。映画「ウエスト・トウキョウ・ストーリー」にも参加している。

[8] 田之畑佳奈(たのはた・かな)本学文学部日本文学文化学科2021年度卒業生。

[9] 篠田高志(しのだ・たかし)本学文学部日本文学文化学科2010年度卒業生。

URLはいずれも2024年8月12日最終閲覧

キャッチコピー決定の経緯

山路:
 会議の事前準備として、全員でキャッチコピーやタイトル案を出して、それを土屋先生が集約し、会議当日までに取捨選択してくれました。私は20くらい案を出したように思いますが、4つくらい候補に残してもらえました。もちろん土屋先生に提出していない案もあったので、とにかくたくさん考えました。

土屋:
 2つ3つになったね、最後ね。

山路:
 そうですね。”緊急文学宣言” と ”青春は140字じゃ終わらない” の2案については、どちらも捨てがたいということになり、その結果として前者をメインのようにし、後者をキャッチコピーのように下部に配置するようになりました。
 ”緊急文学宣言” という言葉を前面に出しつつ、それが意図するところを柔らかめの ”青春は140字じゃ終わらない” という文章が補っているというイメージを持っています。

野田:
 ”緊急文学宣言” や ”青春は140字じゃ終わらない” といったフレーズはどういった意味合いでつけられたのですか?

山路:
 ”青春は140字じゃ終わらない” という案は、田之畑さんが考えたものです。もし彼女と連絡が取れるのであれば、ご本人に直接伺うのが良いのかなと思うんですけれども[10]。

 ”緊急文学宣言” という案は、かなり早く頭に降りてきたものです。何か伝えたい内容やイメージがあってそれに適した言葉を探したというよりも、まずは言葉遊び程度のものでした。なので、その時点ではこの言葉に託した意図みたいなものはありませんでした。ただ ”緊急文学宣言” という案は会議の席上で採用されるな、という感触はありました。コロナ禍では多くの言葉がスローガン的に(揶揄やネタ的な消費も含めて)飛び交いましたが、この ”緊急文学宣言” も言葉や字面だけで目を惹くだろうと思いました。小説コンクールのことを指すのかどうかすらわからなかったとしても、一瞬おっ? と思ってもらえれば、キャッチコピーとしての機能は果たせると思うので。しかしこれだけだと緊急事態宣言のパロディで終わってしまいますので、後から ”緊急文学宣言” という言葉に託すものを考えました。

 そこで、コロナ禍に飛び交った言葉の数々をポジティブなものに変換して用いられないかというのがありました。先ほど土屋先生が話していましたが、コロナ禍の時代は50年経っても100年経っても振り返られると思います。私たちがいなくなってからも。そのように考えると、コロナ禍を踏まえた試みや成果物も残るはずです。コロナ禍の時点で、言葉を世間に発表できる手段や権力を有している専門家とかマスコミとか売れている小説家とかコメンテーターとかだけではなくて、コロナ禍の学生たちがまさにこの時点で発信していた言葉を未来の人たちに見つけてもらえるときに、この ”緊急文学宣言” は参照してもらえるんじゃないかと思います。
 仰々しいタイトルですが、表立って ”緊急文学宣言” と掲げている意味は、そうしたところにあるのかなと。

土屋:
 あとは、緊急のときこそ文学だという感じが、みんななんとなくピンと来ていたんじゃないかな。本当に緊急だったじゃないですか。

山路:
 そうですね。まさにこちら側も本当に急に始めるので、そのこと自体を宣言したというのがあります。

土屋:
 大学がここまでめちゃくちゃになっているんだから、小・中・高はもっと大変だろうな、と思っていました。中学・高校の青春時代がいきなり奪われ、学校という当たり前にしていれば日常がある空間が混乱し、解体し、先生たちも右往左往し、学校によっては何もできない状態に陥っている。やれオンラインだと言っても何の対応もできない先生が山のようにいて、それでもすごくしっかりやったところもあれば、めちゃくちゃなところもあった。対面も混ぜながらいろいろな行事を工夫した学校もあれば、どれだけ子供たちが頑張っても全部学校がダメといって否定して児童や生徒を縛ったところもあった。今はみんな誤魔化しているかもしれないけれど、当時は学校ごとに一律で何かをやるなんてことが一切できないくらい、本当にめちゃくちゃだったわけですからね。それですごく学校間の差が開いていて、もう教育が破壊されていたわけでしょう。大人たちは大人たちの事情で自分たちの生活を優先させて結局はやり過ごしちゃえるけど、そのときに過ごした子どもたちは恨みも持っていると思う。それこそ田之畑さんのような(当時の)在学生のほうが強い思いがあって……、こちらは想像するばっかりですけど。そういう負の感情からは新しいものも生まれるだろうし、学校に行けず時間があり、かつ学校に背を向けている人たちが自分の言葉を頼りにして何か書いているのであれば、それを聞きたいな、読みたいなと思っていたんですよね。

山路:
 「青春を奪われた」といった言葉は大人が学生たちに寄り添うものでもありますが、それも大人たちの考え方でしかない側面もあります。修学旅行などの学校行事が中止になったり、オンライン授業になって教室に行かなくても済むようになったりしたことで救われてどうにか生き抜いていた人たちが、いざ対面再開となって病んでしまうようなケースも考えなくてはいけません。学校行事の代替案を出せなかった大人たちの言い訳とは異なるレベルで。なので、単に「青春を失った」という形でこの時期の生活を強く否定するだけのパッケージングも危ういので、「学校空間」というテーマで言葉を紡いでもらえたらと思いましたし、未来で参照してもらえるときにもそうした観点で見てもらえたらと思います。

土屋:
 そうですね。対面が可能になってもオンライン(授業)を続けてくださいという声は実際あったし、そういうふうに思っていた子たちの声は結局は潰されたところが大きいと思います。ただ本当はそのとき、新しい学校空間みたいなものが、一応立ち上がりそうな感じもあったわけですよね。通信(科)やN高[11]などは、コロナのおかげでだいぶ力を持ったと思います。市民権を持った。それは、たいていの教育者にとっては都合が悪いことなんですけど、でももうそういう勢いや流れができましたよね。こうした中で逆に「そこまで見ることができていなかった」、「これはチャンスだ」と思う人もいるんじゃないかなと思うし、ネガティブなときにポジティブなことを考えたいじゃないですか(笑)。そういうポジティブなことが考えられていたら共有したいじゃないですか。ちょっとここで教えてください、みたいなことを思っていましたけどね。一緒に分かち合えたら、みたいな。

山路:
 土屋先生や私がお話ししたことは大きい声ではなかなか言いにくいことでもありますが、大きく言えない言葉こそ救いになることもあるので、それはこちら側が説明するよりも、当事者に文学を使って語ってもらうほうが良いんじゃないか、そのためのコンクールとしてあれば良いんじゃないかと思いましたね。今回の企画がいろいろ進行していく中で、確か ”緊急文学宣言” や ”青春は140字じゃ終わらない” が決まった後に ”学校2021+” というテーマが決まったんでしたよね。

土屋:
 これを決めたのは後だったんだけど、漠然と「学校」というテーマで行うことは打ち出していました。

山路:
 ”緊急文学宣言” や ”青春は140字じゃ終わらない” 以外の、結果として採用されなかった案を振り返ってみても、すべてポジティブな意味合いの言葉なんですよ。単語だけを取り出すとネガティブなものでも、たとえば ”感染するなら文学だ” とか。

土屋:
 「感染」がね、良いほうに。

山路:
 言葉をポジティブなものに反転させるみたいな意識は、なんとなく会議の参加者に共有されていた気はしますね。

土屋:
 「自粛」ってのも、よく考えたら天国みたいに思っている人もいるわけで。通学しなくていい、嫌な学校に行かなくてよくなった、みたいに思う人たちには、むしろ文学へようこそ、と呼びかけているところもあるわけですよね。

山路:
 学校行事に巻き込まれなくても済むし、1人が最高だっていう人ももちろんいるわけで。会議では方向性をめぐって正反対な意見がぶつかって荒れるということはなく、前向きな方向性が共有されたので、あの会議自体が新しく事を成そうとするようなポジティブな場だったと思います。

 余談ですが、候補の中でこれは明らかに土屋先生の案だなというのがあって、これはどうにかして不採用にしないと……、ってのはありましたね。この ”若き血から 文学の力 武蔵野の地から” という……。

土屋:
 これは言葉遊びで。

山路:
 (土屋先生は)同音異義語を使う傾向にあるので一目でわかったというのもありますが、それよりも(当時にこんな言葉はありませんでしたが)いかにもおじさん構文のような、正直これでなければ何でもよかったと思うほど(笑)。

土屋:
 これに関しては、こだわりはないよ(笑)。確かに、ひとつはそういうふうに作る癖がついていて、構文が僕の中にある。昭和のときのコピーの……。わかんないけど。

山路:
 ちょっとここばかりはアップデートしていただいて(笑)。ただこのあたりのところも別に会議の際に衝突したとかではなく。

 ”緊急文学宣言” は自分の中だけでは通るだろうとは思っていたわけですが、やはり先ほど言ったように、原さんの「ここで使わないとどこかで先に使われてしまうのではないか」という言葉に励まされました。であれば、もう本当に緊急で、急いで使っちゃおうと。

土屋:
 誰かがそれを言っていたのはよく覚えています。今早く使わないとどこかが使うだろう、って。確かにそう思いました。原さんだったのか。

山路:
 ”緊急文学宣言” は練りに練った言葉ではなく、本当にふっと降りてきたものなので、私に降りてくるということは、ほかにも降りてくる人はいるはずです。なので、皆さんよければぜひよろしくお願いします、という感じでした。

土屋:
 僕はなんとなく字面も気にするんですよね。ひらがなで「むさしの」にして、「学生小説」を漢字にして、「コンクール」をカタカナにするとか、こういうのを考えるの、すぐ(笑)。

石原:
 この企画展示の名前を決めるときにも、そういった話になりましたもんね。


[10] 当企画展示に際し、メールでのインタビューを行った。パネルにて展示中。

[11] N高等学校 学校法人角川ドワンゴ学園が運営する高校。2016年4月開校。インターネットやICTツール、通信制高校の制度などを活用した教育形態をとる。
https://nnn.ed.jp/

URLはいずれも2024年8月12日最終閲覧

コンクール連動企画

山路:
 (むさしの学生小説コンクールの)ポスターは違うのですが、『緊急文学宣言』の書籍のタイトルのフォントにはこだわりました。これは、モリサワの「武蔵野」というフォントを使っています。購入すれば世間一般誰でも使用可能ですが、武蔵野大学が好んで用いるフォントとして色がつくとおもしろいかと思いました。

土屋:
 それもコロナのときにはオンラインの特別予算がついたんですね。それで上田宙先生[12]っていう出版編集の授業をお持ちの先生と話していて、やっぱりフォントが欲しいと。日文の学生は特にフォントが大好きで、モリサワフォント[13]っていうのを買うとかなりいろんなことができるからあったほうが良いと伺ったので、それですぐ買いました。そのときに僕も初めて(モリサワフォントを)見て、こんなにあるんだと全部試してみているときに、「武蔵野」ってフォントがあるんだと知ってハッと思った、というのが始まりです。それもコロナのときにパソコン上のものに向かう時間が長くなって、普段そんなに詳しくない僕の目にも触れていたので、じゃあ困ったときは武蔵野フォントを使おうって、文学館にはピッタリじゃないかという感じですね。それから、業界の人に「モリサワの『武蔵野』でお願いします」って言ったらみんなすぐわかるんですよ。そこはスムーズでしたね。

野田:
 それは出版社にお願いするときですか?

土屋:
 そうそう、指定してね。お願いする出版社も一応2つ候補がありました。どちらも話を持っていったらすごく乗ってくれて。そのうちのひとつが新潮社、もうひとつがPHP研究所(以降、PHP)ってところです。PHPは主にビジネス書を出している出版社で、女性の担当者がものすごく乗り気でとても良い方だったんだけど、やっぱりネームバリューとして文学的な香りが強い新潮社のほうが良いんじゃないかとなりました。特にそれは小松くんと相談したのかなあ、何人かと相談しました。でも、そうしたらそのPHPの方がすごくがっかりしていて……。

山路:
 そのご縁も確かに大切ですけど、やはり小説好きな若い人に刺さるのは新潮社かなと。PHPの購買層ってもう少し、というか相当上の年齢ですよね、会社員とか。

土屋:
 若い人も捕まえたいんだろうけどね。

山路:
 PHPがそうやって若い人にも向いてくれたってことはすごくおもしろいと思いますし、そういう未来もあったのかもしれません。ただ文芸的な新潮社の伝統というのがやはり大きいなと。

土屋:
 そうそう。だから、佐藤誠一郎さん[14]に来てもらったんです。新潮社って代々佐藤さんが社主なんですけど、その系統の人で。

山路:
 『緊急文学宣言』[15]にお名前は出していませんが、「新潮社編集者」とあるのがそうです。

土屋:
 宮部みゆきさん[16]の担当者ですよね、佐藤誠一郎さん。あの人(宮部氏)を大きくした編集者です。

山路:
 佐藤さんが ”緊急文学宣言” のタイトルを褒めてくださったんです。外部のプロの人の眼に触れて好意的に受け取っていただけたので、ああよかったなと。

野田:
 佐藤さんも、コンクールに携わったんですか?

山路:
 はい、コンクールに合わせて三田誠広先生[17]と佐藤さんの小説の書き方講座をオンラインで2回開催しました。三田先生と佐藤さんにそれぞれの回をご担当いただいて。

土屋:
 大学に来てもらって学内からオンライン配信しました。学内のオンライン配信の講演スタイルも慣れなくて、右往左往しながらやったんですよ。佐藤さんは、コンクール応募を検討している人たちを対象に、こういうことを考えたら初心者でも書けるんじゃないんですか、という中身の創作講座をやってくださいました。

オンライン創作講座チラシより

山路:
 コロナ禍や学校生活などへの思いはあっても、じゃあその思いをどう言葉にして小説の形に落とし込んでいっていいかわからないという人たちはかなり多いと思うんですよ。小説を書きたいんだけどどうやって書いたらいいかわからないという。そういう人たちが小説を書いてくれるようになれば、今回のコンクールの応募にもつながるだろうし、もちろん創作志願者への刺激にもなるだろうし。ということで、コンクールの〆切よりも前に講座を開催しました。小説家としてのお立場から(三田氏)と編集者としてのお立場から(佐藤氏)ということで2回。
 もちろん当日は若い世代以外の方々にもご参加いただきましたが、一応の趣旨としてはコンクールへの応募を想定していました。「小説を書きたいけれどどう書いたらいいかわからない人のための講座です」のようなわかりやすい説明文があった気がします。

土屋:
 こうした一連の取り組みはいろいろな媒体が無償で取り上げてくれました、今でも検索すると出てきますよ。高校生の新聞紙の取材とかも来ましたし、公募ガイドとかも、普通はお金がかかるのに「無料で載せますよ」って言ってくれました。


[12] 上田宙(うえだ・ひろし)株式会社烏有書林 代表。2015年より本学文学部日本文学文化学科非常勤講師として本づくり(編集デザイン、出版メディア、書誌学など)を教える。

[13] 株式会社モリサワが販売するフォントの総称。「A1明朝」「リュウミン」「武蔵野」など2000種類を超えるフォントが提供されている。(2024年現在)

[14] 佐藤誠一郎(さとう・せいいちろう)編集者。「新潮ミステリー倶楽部」ほか3つの叢書を手がけ、「日本推理サスペンス大賞」ほか5つの文学新人賞を立ち上げた。

[15] 武蔵野文学館編『緊急文学宣言―むさしの学生小説コンクール作品集―』(2022、新潮社)
むさしの学生小説コンクール受賞作9編を収録している。

[16] 宮部みゆき(宮部・みゆき)小説家。著書に『我らが隣人の犯罪』(1987、文藝春秋)、『模倣犯』(2001、小学館)、『ソロモンの偽証』(2012、新潮社)などがある。

[
17]三田誠広(みた・まさひろ)2009年4月から2011年3月まで本学文学部日本文学文化学科客員教授、同年4月から2019年3月まで同学科教授(2013年4月からは文学部長を務める)として小説について教える。2019年4月からは同学科名誉教授。
本館ウェブサイトにて「作家 三田誠広」を公開中
https://www.musashino-bungakukan.jp/keyperson/keyperson03.html

URLはいずれも2024年8月12日最終閲覧

選考委員あれこれ

土屋:
 選考[18]はね、いろいろ考えたんだけど、結局二一ふたつひとつでやりました。青春小説を書いていた川西蘭先生[19]を中心に詳細な形で表にして、作品の良いところと悪いところを挙げたうえで、最終的に候補作を絞って何人かで読んで選びました。

山路:
 ただ事務局内でということで、(川西先生の)お名前は出していません。

土屋:
 選考委員に学外のビッグネームを持ってこようか、どうしようか、というのをだいぶ考えて、何人かにも声は掛けたんだけど、結局それはやめました。お金の使い方として、受賞者を呼んでパーティーをするとか、ビッグネームを選考委員に入れるとか、いろいろ考えたんですけど、それにしてはちょっと足りないし、もったいない使い方じゃないかっていうことで、しっかりとした本を出すことにお金を使うことにしました。

 朝井リョウさん[20]とか、花澤香菜さん[21]とか、そのあたりは具体的に考えましたけど。ただ花澤さんの場合は、もともと賞の選考委員はやらないことにしていらっしゃるので。朝井さんに見てもらうほどの作品が集まるかどうか、あるいはコロナのときに交渉するのも(新潮社の担当編集者がいたのでその人を中心に交渉することもできたんですが)朝井さんだけでボンとやるのはどうなのか、といった話もあったし……。あとは芦田愛菜さん[22]とか。最初はむしろ、誰かに見てもらうなら、芦田愛菜じゃないか、って話にもなって、芦田さんも考えたんですけど。

山路:
 ちょうどこのときに、芦田愛菜さんが本についての本を出版していて。

土屋:
 『まなの本棚』 [23]

山路:
 私はあまり実感がないんですが、彼女と同年代の人たちにとっては、割と大きな存在であるらしく。

石原:
 私同い年なんですけど、彼女は本当に同い年なのかなって思うときはありますね。

山路:
 そういう同世代への影響力、インフルエンサーと言っていいのかはわかりませんが、『まなの本棚』もあることだし、今回のコンクールの審査員をお願いできないかという形で芦田さんの名前が挙がりました。

土屋:
 すごく色がついちゃうけど、インフルエンサーの人に関わってもらうことを検討はしましたね。トップは芦田愛菜さんだったんだけど。

藤井:
 あと又吉(直樹)さん[24]とか、カズレーザーさん[25]とかの名前も一瞬出た気がします。

山路:
 武蔵野大学内部の学内行事のようなものとして受け取られることを避けるため、外部へ向けて拓くためには、インパクトが必要です。そのためには影響力のある人物の言葉というのは効果的ではないかという話になりました。雑談レベルでいえば、マツコ・デラックスさん[26]の名前とか、ほかにもいろいろ挙がりました。

土屋:
 当時やっぱりまだ大学生にはなっていなかったんだよね、芦田さん。

石原:
 私が高校1年生のときにコロナが流行したので、(私と同い年の)彼女も高校1年生でコロナですね。

土屋:
 じゃあ何がよかったのか、そこはよくわからないけどね。誰かに関わってもらうことで、もう少し話題にはなったのかもしれないけど。ちょっとしんどかったんだよな。

石原:
 それはお金の面で……?

土屋:
 いや、それだけじゃなくて。そういう人に気を遣いながら審査してもらうっていうところまで。僕は大学の業務をしていて、オンライン授業をやり、学生だけではなく教職員相手にもいろいろと対応しながらこのコンクールをやっていたので、さらにそれが入ってくるのは当時の僕のキャパシティ的にはちょっとしんどかったというのは、実はあります。

山路:
 もちろん企画全体の盛り上がりのことを考えての人選と依頼であったにせよ、その審査員の依頼のほうにお金が使われてしまうのかっていうのも。

土屋:
 その意見も出ました。

山路:
 寄付金に託された思いからすれば、なるべく学生のほうに向いているべきだろうと。そっちに意識が行ってお金も行くというのは、ちょっと違うんじゃないかと思いますし。

土屋:
 コロナで学生たちが苦しんでいるからってことで、ボランティア的にいろいろやってくれるなら良いけど、芸能人ですからね、結局のところインフルエンサーって。

山路:
 もちろん芸能人は仕事なので、そこに金銭のやり取りが発生することが悪いわけではありません。が、今回その手段は採用しなくてもいいのではないかと。結果論ですが、新潮社のネームバリューはもちろんあれど、誰か有名な人物を掲げたのではなく、チラシやキャッチコピーなどとにかく言葉で訴えて応募してくれたわけなので、今回はこれでよかったと思います。

土屋:
 本当によく知っている相手だったら、特別な形で関わってもらうことはできるんですけど。友達レベルとかね。そうでなければ事務所を通さなければなりませんが、事務所はやっぱり商売と世間でのイメージのことを第一に考えてやっているところがあって(笑)。

山路:
 所属タレントを安売りしないというのは、タレント本人だけでなく事務所にとって当然大事なことですから。タレントは人間ですが、商品であり、その人の名前で食べている人がたくさんいるわけで、商品価値を下げないのが大事なのは言うまでもありません。ましてや、又吉さんは天下の吉本興業です。

土屋:
 又吉さんなんか本当に大変だよ。あの人自身はそういうふうに見えないけどね。

山路:
 本人はそういうことに無頓着であるというイメージを作りだす(保つ)ために事務所の頑張りがあります。そういったふうに見せずに、でも格を保つために事務所が頑張っているという。

土屋:
 あるいは、簡単に引き受けてくれる人はインフルエンサーではないっていう……。

山路:
 なので、今回のコンクールでは「事務局」としているんですよね、徹底して。


[18] 選考当時の様子は、noteからもご覧いただけます。
むさし野文学館note
https://note.com/musashino_honke/

[19] 川西蘭(かわにし・らん)本名 川西宏之(かわにし・ひろゆき)2019年4月から2022年3月まで本学文学部日本文学文化学科教授として小説創作を教える。著書に『春一番が吹くまで』(1979、河出書房新社)、『空で逢うとき』(1980、同社)などがあり、『パイレーツによろしく』(1984、同社)が1988年に映画化されている。

[20] 朝井リョウ(あさい・りょう)小説家。著書に『桐島、部活やめるってよ』(2010、集英社)、『何者』(2012、新潮社)、『正欲』(2021、同社)などがある。

[21] 花澤香菜(はなざわ・かな)声優。アニメ「〈物語〉シリーズ」千石撫子役、アニメ「はたらく細胞」赤血球役をはじめ、さまざまな役柄の声を演じる。楽曲も多数。

[22] 芦田愛菜(あしだ・まな)女優。2004年生まれ。第5回野間出版文化賞受賞(2023)。

[23] 芦田愛菜『まなの本棚』(2019、小学館)

[24] 又吉直樹(またよし・なおき)吉本興業所属のお笑い芸人(綾部祐二とのコンビ・ピースにて活動)であり、小説家としても活動。『火花』(2015、文藝春秋)で第153回芥川賞受賞。

[25] カズレーザー サンミュージック所属のお笑い芸人(安藤なつとのコンビ・メイプル超合金にて活動)。

[26] マツコ・デラックス ナチュラルエイト所属のコラムニスト、タレント。
本館ウェブサイト・オンライン企画展示にて「マツコデラックスと秋山駿」公開中
https://musashino-bungakukan.jp/contents/contents12.html

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幻の面接

野田:
 二次選考で面接を実施、と資料に書いてありました。

土屋:
 結局面接はなくなりました。できないんですよね、実際。10代の中学生が名古屋から入賞していますけど、交通費も全部出してあげて、さらに中学生だから親御さんも一緒に来なきゃいけません。で、その予算を立てないと面接できないですよね。もちろん、それでも良いかなと思いながら面接を予定しましたけど、結局今のような事情や話し合いを経て辞めることになりました。
 小説を書き馴れてない人も書いていただろうから、良いものがあれば(応募段階で)形になっていなくても良いものにしてあげようと思って、面接を経てもう一回書き直してもらうというのも最初の段階では構想していたんだけど、とてもじゃないけどそれはできないということが分かって辞めました。
 ただし一次選考通過の人は、ある程度の期間までもう1回出すことができるようにはしました。

野田:
 そうだったんですね。

土屋:
 面接はね、面接で選ぶっていうよりは、会えると良いよねっていう考えが最初はあったんです。そこでの人物評価は関係ないわけで、むしろ誰かがプロとしてアドバイスする機会があったら良いよね、という感じでした。

藤井:
 例えば企業や大学に入るときの面接と違って、お会いして次に生かせるようなことを直接話せる機会を学生向けに設けられたらな、という思いがあったのですが。コロナ禍だし、実現するのは難しいということになりました。

土屋:
 その代わりに、プロの編集者たちが途中で入って、校正段階でしっかりと指示を出して、っていうのは経験してもらいました。コメントやフィードバックがあるということ自体が、嬉しいかもしれないっていうことで。目的はそこです。で、それは書面でしたけれども、面接の代わりになるような指導を行うことはありました。

藤井:
 文書でね。

土屋:
 文書でコメントを出して、形式を直す、みたいなことのやり取りです。何も知らない人たちは、例えば漫画家さんと編集者の関係とか、編集者とのやり取りの中で直さなきゃいけないというのがイメージにあるだろうから、それに近いようなことは経験してもらいたいね、と。それで実際良いものになるのであれば、そのほうが良いかなって。
 で、結局出てきたものを見て、やっぱりあまりいじらないほうが良いよね、と。
 大きくいじるというよりは、少しのアドバイスを受けて1回か2回本人が書き直す機会があれば良いのではないかとなりました。例えば、すごい企画書みたいなものが来て、これが小説になったらおもしろいんだけど、全然小説の形になってないものがあったらね、もしかしたら何か考えたのかもしれないけれど、一応みんな形になっていました。

コンクールと日文

土屋:
 (このコンクールは)今後の武蔵野大学の創作を盛り上げるためのものでもあったので、当時日文の創作を引っ張っていく中心にいた川西先生に委ねる形で、そのご判断をかなり尊重する形で選考を進めました。(日文の創作科目の教員について、)川西先生がご退任されたのち、良い先生を探して来ていただいたのが町田康先生[27]です。そうやって全部繋がっているんですよね。

山路:
 町田先生に来ていただく前の段階で、楊逸先生[28]にも非常勤講師として来ていただいて。

土屋:
 現在小説創作のゼミは楊逸先生にお願いしています。僕は楊逸先生と対談もしたことがあって直接よく知っていたし、そんな縁もあり助けていただいて。そのあと町田先生をお呼びしました。町田先生のことでご相談し、仲介してくださったのが黒井千次先生[29]です。

野田:
 町田先生もコンクールに携わっているのですか?

土屋:
 携わってはいませんが、できたばかりの本(『緊急文学宣言―むさしの学生小説コンクール作品集―』)は読んでくださいました。
 本の中でも大石(智)さん[30]ってのは(当時の)日文の学生で、町田先生が着任してからは授業にも出席していました。

藤井:
 大石さんはイドバタコウギ[31]に出ていたことがありましたね。去年(2023年8月)のオープンキャンパスでしたっけ。町田先生の模擬授業をイドバタコウギで生配信する[32]ときに一緒に出ていたうちのひとりが、大石さん。

土屋:
 だから大石さんと町田先生は……。

藤井:
 面識がありますね。

大石智さん(左)
イドバタコウギ「【前編】小説家・町田康に聞く、学校では教えてくれない詩の読みかた(中原中也編)【ゲスト:町田康先生(小説創作)】#6」より(2023年8月19日)
町田康先生(同上)

土屋:
 (大石さん以外の受賞者は)みんな他大学の人なんです。だから、他大学からもだいぶお礼の連絡がありましたよ。「うちの子がお世話になりました」っていうのとか、「取材して学内の新聞に載せたいのだけど構いませんか」とか、「コンクールのことを取り上げたいんだけど」とか。そういう意味では、うちの学生だけじゃない形で実施できて、それはそれでよかった。

山路:
 武蔵野大学の学生だけのためにやっていないということが、武蔵野大学の学生のためになります。


[27] 町田康(まちだ・こう)2023年4月から本学文学部日本文学文化学科特任教授として小説創作を教える。著書に『くっすん大黒』(1997、文藝春秋)、『きれぎれ』(2000、同社)、『口訳 古事記』(2023、講談社)などがある。受賞歴多数。
本学ウェブサイト「学問の地平から 第四十七回 型にはめられた言葉の枠組みから、いかに自由になれるか」
https://www.musashino-u.ac.jp/research/interview/47_machida/

[28] 楊逸(やん・いー)2022年4月から本学文学部日本文学文化学科非常勤講師として小説創作を教える。著書に『ワンちゃん』(2008、文藝春秋)、『時が滲む朝』(2008、同社)などがある。

[29] 黒井千次(くろい・せんじ)2002年4月から2008年3月まで本学(当時は武蔵野女子大学)客員教授として小説について教える。「内向の世代」のひとりとされ、著書に『時間』(1969、河出書房新社)、『群棲』(1984、講談社)、『たまらん坂 武蔵野短編集』(1988、福武書店)などがある。
本館ウェブサイトにて「黒井千次の世界」公開中
https://musashino-bungakukan.jp/keyperson/keyperson02.html

[30] 大石智(おおいし・さとし)本名 大石歩果(おおいし・あゆか)本学文学部日本文学文化学科2020年度卒業生。当館元スタッフ。『緊急文学宣言』所収「潜水」の著者。当企画展示に際し、作品や受賞についてのインタビューを行った。パネルにて展示中。

[31] イドバタコウギ 武蔵野大学発のインターネットラジオ番組。大学と卒業生のつながりを目的として学生を中心に2023年3月発足。元・現運営メンバーにはむさし野文学館スタッフも複数人いる。

[32] 2023年8月19日のオープンキャンパスにて行われた模擬授業が、イドバタコウギのYouTubeチャンネルにてライブ配信された。二部構成で、前半は中原中也「サーカス」を読み、後半はイドバタコウギメンバー3人(大石、伊藤遥香、森貞茜/いずれも当時日文4年)の執筆した800字小説を合評した。アーカイブはこちらから↓
https://youtu.be/EqD9mXt37D8?si=whZc5oDNfVCctdgH

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募集へ向けてのはたらきかけと学校現場の状況

土屋:
 どうやって募集をかけようかという段階になり、そもそもどうやって集めればいいんだという候補の問題は随分ありました。それで、みんなからの意見もふまえて全国の中学・高校に配ろうということで、ここでやっと大学からの協力の話が出てきます。入試センター(大学事務)が協力してくれて、うちの大学に進学したことがある高校リストとか、プラスで来てほしい高校リストとか、過去に武蔵野文学賞[33]に応募してくれた学校とか、何かに応募してくれたとか、そういうものの2000校ぐらいの全国の高校リストがあって、それにN高や通信制の学校も加えて全国に……。そのときの挨拶状みたいなのがそれかな。

左:チラシ/右:挨拶状

山路:
 配りました。挨拶状とチラシを封筒に入れて。

藤井:
 挨拶状、挟まっていましたよね。(透明な袋に入れて)見えるようにって。

土屋:
 目立たせないといけないからね。 

郵送したパッケージの宛名面(イメージ)

山路:
 しっかりとチラシの「緊急文学宣言」という文字を見せる。それで赤ではっきりと。

土屋:
 透明な袋でね、文字を見せて、邪魔しないところに宛名が来るように送って、先方には「なんだろう」って開けてもらわなきゃだめだよねって、みんなで考えていました。

山路:
 「文学」の部分は赤で目立たせて、とにかく強制的に目を惹かせる。何やら文学についての何かが始まるらしいぞ、くらいでいいから印象に残してもらう。

藤井:
 見てくれ、ってね。

土屋:
 学校が機能していない中で、(郵便物が)溜まっていくだけの学校もあったりするから。

山路:
 とにかく読んでもらう。

藤井:
 ちょっとでも開いてもらえる率を高くしようとして。

山路:
 そして、学内に掲示するなりアナウンスや告知をしてもらえれば。

土屋:
 でも、野田さんの目にも石原さんの目にも触れてないんですよね。2人の学校にも届いていた可能性が結構高いんだけど。

石原:
 私が高校に入ったときには全部オンラインで、登校することがありませんでした。

藤井:
 学校には届いていたけれど、学内に掲示されていると見る機会がなかったのかも。

山路:
 学内の掲示が人目につかない状況であるならば、学内のメールとか、そうしたネット環境のシステムで周知してもらえるとよかったんですが。

土屋:
 そう。本当は先生がしっかり整理して、生徒に必要な物についてはオンラインでも掲示してくれるのが良いんだけど、そのあたりの対応は学校次第になっちゃいます。

石原:
 学校の先生側も、いろいろとぐちゃぐちゃしていたのかなと思います。情報を伝えたりとか、授業の形式とかも先生ごとに全部変わっていたり。そこは、本当に大変だった記憶が……。

山路:
 本当に先生個人の対応力に、振り回されている……。

土屋:
 そう。生徒の側も、せっかくパソコンを支給されてメールの書き方とか全部覚えたのに、連絡をメールですると怒られたり(笑)。やっぱり直接言ってくれとか、メールだと管理しきれないからやめてくれっていう先生がいたとか。

山路:
 勝手な想像ですが、先生のほうでも生徒とのメールのやりとりに馴れていないケースが多かったのかもしれません。

土屋:
 でも、ある若い理科の先生はメールで質問すると返ってくるのに、英語の先生には怒られるとかもあったそうですよ。

野田:
 人によって違う……。

土屋:
 で、多くの学校で起こっていたこととして、そういう詳しい先生が生徒のためにどんどん進めていくと、ほかの先生から意地悪されてやめろって言われちゃう。(できない人との)差が出ちゃうから。それは卒業生で先生になった子たちからもだいぶ聞きました。現場では結局、上の人に潰されてしまう。

野田:
 そういった中でこのコンクールができたのは、改めてすごいことだったんだなと思います。

土屋:
 あの頃は、みんな普通じゃなかったからね。そういえば思い出したんだけれども、小松くんという人は、同級生やその前後にやたらと友達の多い人で、学校の先生になった人たちをZOOMで集めて、「で、今どうなってんだ」とか、「こういうのやってんだけど、どれだけ見るか」とか聞いてみたらしいです。そしたら「(郵送物は)なかなか見ないよ」、「誰が係をしているかによって開ける・開けないが決まるくらい、先生によって対応が変わるよ」と返ってきたので、じゃあこれ(チラシ)をどれだけ目立たせるかということになった。これは彼が自主的に取材したから、工夫ができたんです。


[33] 武蔵野文学賞 武蔵野大学国文学会が主催する文学賞。「高校生部門」では小説、俳句、短歌、詩、評論を、「在学・卒業生部門」では創作(小説、詩、短歌、俳句、児童文学、戯曲、シナリオ)、書道を募集している(2024年度現在)。
武蔵野文学賞「高校生部門」
https://www.musashino-u.ac.jp/academics/faculty/literature/japanese_literature_and_culture/musashino_literary_prize_high_school_student.html
武蔵野文学賞「在学・卒業生部門」
https://www.musashino-u.ac.jp/academics/faculty/literature/japanese_literature_and_culture/musashino_literary_prize_current_students_graduates.html

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人とのつながりでうまれたポスターデザイン

石原:
 お話を聞いていると、人の輪が繋がってできた企画だったんだなという印象を抱きました。

土屋:
 小松くん、あの時はそうした制作進行的なお仕事をまだ覚えたてで張り切っていました。そしてチラシのラフまで描いてくれて。

藤井:
 今だったとしたら、小松くんはちょっと忙しくてできないだろうから、難しい(笑)。

土屋:
 そう、タイミングが良かった(笑)。

山路:
 べつにこれは載せなくて構わないんですけど、ポスターは小松さんが業者とやり取りしてくれて、出来上がったわけです。ただ、小松さんが作った案そのもののほうが絶対優れていると私は思っていて。業者の手が入ることによって、つまらなくなっていって。まあ相対的にですが。
 小松さんの案のデータはまだ私は持っていますね。

ポスター小松案(ラフ)

土屋:
 絶対あれがよかったよなって本当に思います。楊(昆鵬)先生[34]が作ってくれた2023年度の日文のチラシもすごく良いんですけど、それも結局業者と喧嘩別れ、決裂して、楊先生が自分で全部作ったんです。

藤井:
 「じゃあ俺がやるよ」って(笑)。

山路:
 そうなるとやっぱり、文学部の学生なり教員のほうが、パワーがあった……?

土屋:
 いや、僕が言いたいのはね、対案があるから良いんですよ。つまり業者案があるから出てきたんですよ、小松くんの良い案が。納得できない業者案があるから楊先生も頑張った。だから、それは必要な手順で(笑)。

山路:
 そうですね。すべての創作に通ずることだと。

土屋:
 つまりある程度の型みたいなものをそのまま出されたから腹が立ったけど、無意識にその型を学びつつ、こちらの案を乗せている。能力のある人は、それができるのでね。

山路:
 ああ、なるほど。

藤井:
 具体的に目に見える形になることによって、「違う」と思う部分が明確になりますし。

土屋:
 あと、守らなきゃいけない手順のようなものは、意外にそういうところで学んでいくことがあるんだと思います。

山路:
 確かに最低限の文法を尊重したうえでの、オリジナリティが大事ですよね。

藤井:
 でも私はこのままの小松くん案のほうが良いな。

土屋:
 それは確かに。

山路:
 だからそのポスターはもう、小松さんの作品ですよ。

藤井:
 それから、こちらに置いてあるのが、最初にバーッと出された没案の(外注)チラシの数々。

外注したポスター案

土屋:
 いっぱい作ってくれたんだな。

山路:
 ポスターのイメージには、『群像』の影響が垣間見えますね。

『群像』2020年5月号(2020年4月7日、講談社)

土屋:
 今は文芸誌もデザインで本当に売れ行きが変わる。画期的に変わるみたいです。

山路:
 文芸誌の最新号は平積みにされるので、表紙の影響はやっぱりデカいんですよ。

土屋:
 ちょうどそういうふうに、文学の世界でも装幀で差ををつけるという風潮が出てきたタイミングで小松くんは仕事で装幀をやっていたのでね。KADOKAWAでいろいろ勉強していました。

山路:
 これなどは、新海誠作品[35]のようなイメージに見えます。

新海誠作品を想起する業者案

藤井:
 すごく人気がなかった気がする。

土屋:
 いや、わざと作っているから。

山路:
 これなんかは、没にするための案みたいなもので。

土屋:
 そうした手順はすごく大事なのでね。

山路:
 そうですね。

土屋:
 なぜ業者とそこまでの喧嘩ができたのか、ってのもあって。要するに、『秋山駿蔵書目録』[36]ってあるじゃないですか。これを作っているとき、当時大学院生だった小松くんが編集チーフだったんですね。その目録を作ってくれたブックデザインの会社(株式会社Sorairo)に、「緊急文学宣言」のチラシも頼んだんです。つまり、目録作成のときからの関係性があったんです。目録のときの小松くんはまだ学生でペーペーで、教えてもらう一方だったんだけど、そこからその業績をもってKADOKAWAに就職ができて活躍中だったので、ちょっと大きくなった(笑)。そして業者としても「育てた」という感じがあったので、小松くんがいろいろ言っても聞いてくれたというか。普通だったらね、頼んだ側がああだこうだ言うのはうるさくてたまらないし、黙れっていうもんですよ。

山路:
 そうですね。

土屋:
 そんなわけでこっちのペースに付き合ってくれました。こだわって何回も何回もダメ出しがあって大変だったな、と後で仰っていたけど、それでも付き合ってくれたのは、その前にすでに関係があったから。で、文学館のことやうちの学生たちのことをすごくよく分かってくれていて、一緒にやってくれたんですね。
 新潮社の人も印刷所の人も、コロナのタイミングでのこういう企画自体に最初から共鳴してくれている人だけでやったので、それはすごくやりやすかったですね。というか、それがないとできないですね。製作チーム、みたいな形になった。

 ついでに言うと、株式会社Sorairoはクリエイターを差配する会社でもあって、本人(柚木公徳氏)はデザインもひとつの専門なんだけれども、動画のほうもやるんですね。で、コロナのときに大学の入学式がなくなって、文学部だけオンライン入学式を梅雨時にやったんですけれど、その配信をやってくれたのが彼だったんですね。

山路:
 結構な人数のスタッフが来てくれたんですよね。私は自宅からオンラインの参加でしたが。

土屋:
 そのオンライン入学式の様子も編集されて、YouTubeに残っています[37]。入学式がなくなりました、やめましたって当時は普通のことでした。だからしょうがないよねとなった一方で、入学したばかりの1年生の中には「入学式もないのか」と先生に嘆く人もいたんですね。そうした声を川西先生が僕に伝えてくれて、そう言ってくれるんだから何とかしようよ、となって。それで、6月でも5月でもいいから入学式をやろう、文学部だけでもやろう、ということになりました。

山路:
 本来であれば武蔵野キャンパスの体育館を会場にして、対面を主としたハイブリッド開催にして、新入生には対面で参加してもらうつもりでした。もちろん遠方であったり体調に不安があったりする学生はオンラインでつながってもらって。ですが、本当の間際の時期になって感染者数が相当増えてしまいました。なので、新入生は完全オンラインでの参加になりました。

土屋:
 対面で、そうじゃなければ配信で、いわゆるハイフレックスを当時はまだやっていなかったけど、やろうってなったんですね。そのオンライン入学式を経験しているのが森貞(茜)さん[38]たちの代ね。だから、あの子たちは一応オンラインでしか入学式がなくて、今度の卒業式(2024年3月14日)で対面の式典というのを初めて経験する代ですね。


[34] 楊昆鵬(よう・こんほう)本学文学部日本文学文化学科教授、学科長。
本学ウェブサイト「学問の地平から 第二四回 和と漢の文学が響き合う和漢聯句(わかんれんく)の世界」
https://www.musashino-u.ac.jp/research/interview/24_yang/

[35] 新海誠(しんかい・まこと)アニメーター。監督作品に「君の名は。」(2016)、「天気の子」(2019)、「すずめの戸締まり」(2022)などがある。

[36] 『武蔵野文学館所蔵 秋山駿蔵書目録』(2017、非売品)当館所蔵の秋山駿旧蔵書を一覧にまとめた書籍。蔵書数はおよそ14,370点にのぼる。

[37] 2020年度文学部オンライン入学式
「2020年度 文学部だけの手作り入学式の記録映像」
https://youtu.be/dgIqceNgu0c?si=_AiE4449Y3ka2dGq

[38] 森貞茜(もりさだ・あかね)本学文学部日本文学文化学科2020年度卒業生(卒業後、武蔵野大学大学院に進学)。当館スタッフ。

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おわりに

石原:
 小説を初めて書く人でも申し込める、学生に寄り添ったコンクールだったんだなと感じます。残念ながら当時の私はこのコンクールを知りませんでした……。

野田:
 機会があったら私も応募したかったですね。

土屋:
 そう言ってくれるならとても嬉しいですね。やっぱりどれだけ伝えられるか、届けられるかって、大変ですよね。

山路:
 例えば、そういう思いをした人が、教員になったら生徒に同種の企画を告知してくれても良いし、何かこういうのがあったらなという思いなんかを持ってくれていれば、意味があったことかなと思います。

石原:
 さきほど、"緊急文学宣言" という名で後世の人からも見えるように、とのお話もありました。

山路:
 最初のほうで言ったことと重複しますが、やはり既に活躍している書き手たちがコロナ禍に反応して書いた小説だけが残っていっても、それだけだと見えないものが絶対にあるので。

藤井:
 三田先生の「文学の海を泳ぎ出す」というメッセージ動画が、小説コンクールのスペシャル企画として公開されています。文学館のホームページからも見られます。書く人に向けて、芥川賞受賞者である三田先生が、小説について話すという内容です。

土屋:
 noteでも経緯は少し見られます[39]。取材を受けましたとか、 第一次選考結果がいつかとか、二次選考がいつかとか……。こういうこと(本インタビュー)になるかと思って、どこかを見れば進行が最低限分かるようにしていて、それをやってくれたのは齊藤(竹史)さん[40]ですね。

野田:
 ありがとうございました。


[39] 注18を参照(むさし野文学館note https://note.com/musashino_honke/

[40] 齊藤竹史(さいとう・たけし)当館スタッフ。

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むさしの学生小説コンクール受賞者インタビューも合わせてお読みください
(近日公開)

(了)



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