自然という魔法の領域
ユウキ君とみっちゃんの友達の所へ初めて訪ねた日の事。
ナショナルパークの森の中を、僕らは車の荷台に乗ってゆっくりと走っていた。
やがて、広い場所に出た所に車を止めて、そこからさらに森の奥へ向かってる林道を歩く。
どのくらい歩いたか、突然目の前が開けた場所に出てきたら、文字通り圧倒された。
ひゃあー!!
見渡す限り緑の広大な原生林に囲まれてる中、僕らは滝の水口に立っていた。
人間は、とても環境に左右されやすい生物なのだと聞いた事がある。
大都会の人口音の中で暮らしてると、その音数の多さが無意識のうちに、ストレスや疲れに繋がってるんだそうだ。
普段街中を歩いてる時、僕らは、無意識の内に信号や階段、乗り物に乗ったり、実はすごい数の問題を、スイスイとゲームの様にこなしてるけど、その状態は神経が緊張してる状態でもある。という言葉が、なんだかえらく心に残った。
その後、旅先で自然の豊かな場所を訪れたり、日本の田舎で自然と共生しながら暮らしてる人達の側にいると、
植物や動物、鳥や魚や虫、それに微生物や菌類などの集まる壮大なコミュニティの環境がもたらす力が、緊張をほぐしてくれたり、それまで悩んでた事を飲み込んでくれて、もう悩むことすら小さい!と思えてしまうから不思議なものだ。
生きてるだけで、全部オッケー!の境地だ。
人間の体内には、100兆を超える菌や微生物が僕らの身体という世界の中で生活しているそうだ。
僕らが自然の豊かな環境に行って、幸せを感じるって事は、体内中の細菌達も、今喜んでるのかもなあと、思えてならない。
いや、むしろ、細菌が健康でいられると、僕らも健康でいられるとさえ思う。
お腹が空いた時、今日はあれ食べたい!って感覚は、僕自身の考えじゃなくて、実は細菌達が欲してる!て説もあるくらい、僕らは常に100兆以上の生物と運命を共有してるのだ。
僕の体内細菌コミュニティをイメージしてみる。
夕暮れ前になると、今度は家へ招かれ、夕食をご馳走になって、地球の話や、環境の話などで盛り上がっていた。
気持ち良い環境で、美味しい食事と、笑いがあれば、一生幸せだと思う。
今住んでるドイツでは、自然がとても貴重なものとされていて、エネルギー会社などの大企業による森林伐採が行われる度、市民による大規模なデモが行われていて、たまに、死人が出るような激しいデモになる事もある。
過去に自然を無くしてしまった経験がある人達には、森や山や、綺麗な川が、お金なんかとは比べ物にならないくらい貴重な事を知識としてだけじゃなく、経験として知ってるのだと思う。
近年日本でも、都会から地方に移り住む人も増えてきてるそうで、絶望的問題もある中、同時にめちゃくちゃ面白い未来も感じてる。
世界でも有数の自然の美しい島と、長い間、その土地で自然とうまく共生してきた人達の知恵とが合わさると、世界中他にはない、とんでもなく面白い場所になるかも!と期待せずにはいられない。
あの当時、僕の中に、とてつもない変化のきっかけを起こしてくれた、オーストラリアの原生林や、カリブの海、アフリカの平原や日本の里山が、100年後も、最高の場所であって欲しいと写真を見返す度に思うのです。
【インスタでもオーストラリア、ダンス編やってます】
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【ケニアで出会った動物達を大判のポスターカレンダーにしました】