夫婦をやめてみる
2ヶ月間のイスラエル旅から帰って来たビエラ。
なんだか様子がちょっとおかしいので、一緒に森を散歩しながら話をした。
すると、むむむ、、、と少し悩んだ後で、すんごい言い辛そうに切り出した言葉は、今ひとりでの生活が本当に幸せだから、一度パートナーシップをやめてみないか。ということだった。
緊張しながら話すビエラを見てると、内には、もう覚悟は決まっとりますけえ。って秘めたオーラを感じた。
帰って来てからずっと言い出しにくかったのは、僕が傷つく事を心配してのことだとわかって、
ほんっまに優しい子や!
よし、パートナーやめよやめよ!
ということになった。
そんなことで辛そうにしてるビエラを見てる方が遥かに辛い。
僕も30代前半の時、バックパッカーしながらひとりでいる自由度や開放感は何にも変えがたくて、パートナーなんて一生作らない!と決め込んでた。(いや女の子は大好きで何処の国でもすぐメロメロになるんだけど)
旅中、フィンランドの森でビエラと出会ってから、そんな気持ちが一気に変わって、旅を中断してスロベニアという小さな国で一緒に暮らすようになった。
その時は、まさかその後10年以上も一緒にいるなんて思いもよらず。
徒歩5分で行けたイタリアに通ってピザを食べたり、アルプスに登ったり、時々旅行に出かけたりしながら、これまで出会ったことのない宇宙人みたいな目の前の子に完全にハマった。
それからふたりで、スロベニア、日本、ドイツと渡り歩きながら生活してる間に、愛の形も随分と変わってきてて、話をしながら感じたのは、別れるのが寂しいって気持ちより、とにかく相手が日々元気で幸せでいて欲しい!って気持ちの方が上回ってて自分でも驚いた。
とにかく元気で幸せにって言葉は、お婆ちゃんがよく言ってくれてた言葉だ。
いつの間に、僕らの愛も熱のある恋愛的なフェーズから、もっと親や兄弟や子供を想うような感覚に近づいてるのかもしれない。
家族になるってこういうことなのか。
一番大事なのは、愛する人が生きてて最高!ってなってることで、それが自分の人生と交わるかどうかなんて、僕にとったら二の次なのだ。
特にこの3年間はコロナ、ウクライナ戦争と立て続けにやってきて、この先どうすればいいのか。ってずっと晴れない霧の中でモヤモヤしてたんだけど、この選択はそれを突破する新たな風になる気がした。
イスラエルに行ってからのビエラはカラッと晴れやかで、見るからに元気になってて、何か自分の新たな居場所を見つけたみたい。
話し終えた後のビエラの安堵とスッキリした表情を見てたら、別れるのなんて絶対嫌だ!!頼む!!とか言わなくて本当よかったと思った。
その後、ひとりで地下鉄の写真を撮り周りながら、ぼんやりビエラとの思い出に浸ってると、ビエラやネコ達と一緒に暮らせなくなることや、旅行にも行けなくなるのは寂しいなあ。と思うと同時に、背中からは羽が生え始めてる。
明日から放浪者になってもいいし、別の土地に住んでみるのもあり、ベルリンで新たなことを始めるのもいいし、なにせ背負うものが軽いほど自分のリミッターがなくなるんだと、わくわくソワソワもしてる。
好きな人とも一緒にいたいし、気ままなひとりも大好きな僕らは本当矛盾の塊だと思うけど、せっかくこんな流れになったのだ、それぞれの自由を全開で謳歌しようじゃないか。
出会いは別れの始まり、そして別れは新たな出会いの始まりだって誰かが言ってたっけ。
これだから人生って面白い。暇しない。
ということで、これからふたり別々の生き方にはなるけど、愛も変わらず時々会ったり、一緒にプロジェクトはやっていくつもりなので、これからもビエラと僕の人生を引き続きよろしくどうぞ。
ONE LOVE
愛してるよー。
こんなタイミングの中、最近撮影する機会が増えてるのです。
世界中何処でも飛んで行くので面白いオファーお待ちしてます。
【ビエラのインスタはこちら】
こういう宣伝的なのも、もうしない方がいいのか聞いたら爆笑してた。